Je t'aime

番外編


 文化祭が始まる前に一つ、高校生として大事なイベントがある。それが中間テストだ。特に受験を控える椿たち3年にとっては1学期の中間と期末は最後の頑張りどころになる。
 その中間テストが終わった翌週は当然解答が返却されるわけで、すぐに通常授業に戻るとはいってもその1週間だけは、休み時間になるとやはりお互いの点数が気になるものだ。
 藤崎大和や森岡修司、篠原洋介の三人も他の生徒達と同様にそれぞれの解答用紙を見せ合っていた。
「ヤマトって意外に頭も良いんだなぁ」
 先ほど返ってきた数学の解答用紙を見比べながら、森岡がしみじみと呟く。
「意外って何よ」
 心外だと言わんばかりの大和に森岡は頬杖をついて彼を見上げた。
「だって顔良くて運動もできて頭も良いなんて反則じゃねぇか。なあ、洋介もそう思うだろ?」
「うーん、でも修司の言うそれって女子にモテる要素としての観点だろ?」
 篠原がずばりと指摘すると森岡は当然だろうという表情を作る。彼にとってそれが全てらしい。篠原は呆れを通り越して苦笑するしかない。こういうところは昔から変わらないのだ。
「でも俺からすると、そういう意味じゃあヤマトは的から外れてると思うけどな」
「なんでだよ?」
 意味が分からないというように見る森岡とは逆に、大和自身はコクコクと頷く。
「そうなのよ。こんな喋り方だからあんまり男として意識されてないと思うのよね」
 しかし篠原は特に同意するでもなく微妙な表情のまま彼を見た。
「まあそれもあると思うけど」
 言いながら篠原は、窓側で談笑している二人の女子生徒に視線を移した。大和はその視線の先に目ざとく気づく。
「あっ、ちょっと、なんで椿ちゃんを見つめてんのよ」
 途端に不機嫌そうな声で大和が篠原の前に立ち、彼の視界を遮る。一番の問題はクラスメイトの藤崎椿に対する彼の態度だと思うのだ。
「別に見つめてないし、心配することなんかしないって」
 思い返せば大和は転校してきてすぐに彼女のことを気に入っていた様子だ。確かに大人しくて可愛いと思うが、正直言ってそれ以上の感情は生まれない。大和の思うような心配は無用なのだが、これも大和の独占欲の強さなのだろうか。こんな会話を交わすのはこの1、2ヶ月の間だけでも1度や2度ではなかった。
 仮にもし二人が付き合うことになることがあれば、彼女はさぞ大変な思いをするだろうと容易に想像がつく。そして同時にその未来の彼女に若干の同情をしてしまうのだ。

 最初は椿のことを気に入ったんだなという認識しかなかった篠原が、はっきりとそれが間違った見解だったと分かったのは、中間テストが始まる少し前だった。
 テスト週間ということで部は活動停止になる。だがどうせ家に帰っても勉強をする気にならないことを自分で知っている篠原は、放課後になると図書室に足を運んでいた。森岡はさっさと帰っていったが。
 そしてその日も図書室に向かっていたのだが、いつもと違ったのは珍しく勉強に付き合ってくれと言ってきた森岡と放課後の教室に残っていたため、少し遅い時間帯だったということだ。完全下校まであと1時間もなかったが、できるところまではやってしまおうと思った。基本的に篠原は、勉強に関しては一人の方が集中できるのだ。
――あ、ヤマト。
 4階にある図書室へ向かう途中の階段で、藤崎大和の後ろ姿を見つけた。彼も階段を上りきると、まっすぐ図書室へ足を向けていた。声をかけようか迷ったが、図書室のドアを開け足を止めた大和の表情に気づき、出そうとしていた声が奥に引っ込んだ。少し驚いたように目を丸め、次の瞬間とても愛しそうな表情を見せたのだ。それだけで視線の先に彼のお気に入りのクラスメイトが居るんだと分かった。
 大和は静かに図書室へ入っていく。篠原もなるべく足音に気づかれないように図書室へ近づき、隠れるようにして中を覗き込んだ。そこにはやはり藤崎椿の姿があった。どうやら彼女も図書室でテスト勉強をしていたらしい。「していたらしい」というのは、今彼女はテーブルに伏して眠っている体勢をしていたからだ。
 そんな彼女に大和はゆっくりと近づき、そっと体を揺さぶる。起こそうとしているようだが、彼女は少し反応を見せただけで起きる様子はなかった。しばらくそんな椿の寝顔を見ていた大和だったが、しだいに体を屈ませて彼女の顔に自分の顔を近づけていく。
――おいおい、マジかよ。
 篠原は高鳴る鼓動を感じつつ、その光景から目が離せなかった。思わず片手で口を覆う。
 それはまるで眠る彼女に大和が口付けているように見えた。

 いくら気に入っているからと言って、そこまでするのはただ事ではない。そこでようやく彼の感情に気づいたのだ。
 その翌日、篠原は更に信じられないことを大和から告げられる。
「覗き見なんて悪趣味よ?」
 ふふ、と整った顔で笑う藤崎大和という友人に、篠原は苦笑を浮かべるほかなかった。それと同時に、彼は敵にまわしてはいけない人間だと悟った。