Je t'aime

1周年&10万打記念


「おーい、ひろ! こっちこっち!」
 セミの鳴く夏休みの昼時、平(おさむ)はふと後ろを振り返って叫んだ。他の二人は既に先を走っているのに、大和(ひろかず)だけはまだ先ほどいた田んぼの端から動かず、じっと地面を見続けていた。
「ひろってば! 何してんだよ!」
 仕方ないなぁと、面倒見の良い平は変わらずマイペースな友人のところに引き返した。とりあえず前の二人に声を掛けることは忘れない。
「アイス落ちちゃったの」
「はあ?」
 大和の可愛らしい言葉とは逆に平は思い切り顔を顰めてその視線の先を追った。確かに地面に溶けたアイスが横たわり、数匹の蟻が寄ってきていた。それは紛れもなく先ほど自分達が買って食べていたアイスキャンディで、おそらくいつも食べるのが遅い大和が皆に追いつこうと焦って食べた結果なのだろう。
「そんなのもういいじゃん。早く行かないとセミ取れないぞ」
 今年の夏休みの自由研究はセミの生態についてグループでやろうと言い出したのは大和だ。確かに個人でやるよりはグループでやった方が楽しいし一人当たりの負担も随分減るから、名案だと一致で決まったことだというのに、当の本人は今その状況下でセミよりも落ちたアイスに興味を持っているらしい。
「蟻はこのアイスをどうするのかしら?」
 大和は男の子らしくない言葉を平気で使う。幼稚園に通っている時からの付き合いである平たちにはさして珍しくなくなったこの言葉遣いも、クラスの中で浮くには充分な要素だった。だから平たちはなるべく普通でいようと、いつも以上に気を使って普通に接するようになった。
「食うに決まってるだろ。蟻は甘いものが好きなんだ」
「じゃあ、僕と一緒だね」
 それでも完全に女の子のように喋るわけではない大和の声を、平はいつものことながら不思議な感覚で聞いていた。他の二人も割りと個性が強いと先生に言われるけれど、自分たちの中で一番大和が変わっていると思う。
「だな。ひろ、もういいだろ、早く行こうぜ」
 平が既に姿の見えなくなった二人の背中を探すように顔を上げてみるが、相変わらず大和は立ち上がろうという気配すら見せない。喧嘩も強いし勉強も出来るのに、協調性がないのが欠点だ。そんな彼に平は少し苛立ちを覚え始めた。
「先行ってて良いよ。僕、セミよりも蟻の方が良い」
 じっと形を無くしていくアイスを見ながら大和が言った。
「わかった。じゃあ、もう、ひろはオレらのグループじゃないからな!」
 平はそれだけを言うと急いで二人の後を追いかけた。怒りを含んだ平の声に顔を上げた大和には、もう平の背中しか見えない。
「おさむ……」
 ゆっくりと立ち上がって追いかけようとするが、やはりアイスの行方も気になり、動かしかけた足を止めて再び地面へと視線を向けた。
 何度かそれを繰り返し、結局平の姿が見えなくなったところで大和はもう一度座り込んで蟻がせっせと溶けるアイスに群がっていく様を観察することにした。この蟻達はどこから来てどこへ液体となるアイスを持っていくのだろうか。

「あら、ヒロちゃん?」
 声を掛けられて初めて、そろそろ日も傾き始めたのだと気づいた。平たちはまだセミを取りに駆け回っているのだろうか。
 振り返るとにこやかに笑う年配の女性が大和を見つめている。
「あ、おばあちゃん、こんにちは」
 やばい、と思った。
 彼女は大和の祖母である。最近認知症が始まりだして、男の子である大和を女の子と思っているようなのだ。いくら回りの大人たちが訂正しようとしても、大和のその風貌が祖母の意見を通しているかのようで、近頃はなるべく女の子らしくしなければならないのだと、大和自身も感じ始めていた。
 だけど今、大和の格好は決して女の子らしいとは言えない。少し汚れたTシャツに短いズボンで、焼けた肌がいっそう“女の子”から遠のけているようだ。
「どうしたの、こんなところで?」
 けれど彼の格好を気にする風もなく話しかけてくる祖母に、大和はそっと安堵の息を漏らした。
「平くんたちとセミを取りに行こうと思って……」
 少し困ったように言う大和を見てどう感じたのか彼自身には分からないが、彼女はただ微笑むだけだった。
「元気なのもいいけど、宿題は終わった? スイカがあるから早く帰ってきなさいね」
 スイカという言葉に大和はパッと顔を上げた。
「わっスイカ! ぼ、アタシっ、スイカ大好き!」
 大和が声を張り上げて言うと、祖母は嬉しそうに頷き、早く帰ってきなさいね、ともう一度行ってからその場を後にした。
 危うく「ぼく」と言いそうになったことにドキドキとしながら、それでも何とか言い直せた自分が誇らしかった。
「おーい、ひろ!」
 振り向くと平と他の二人が笑って手を振っている。その様子から上手くセミが取れたのだと分かった。大和も手を振って三人を迎えた。
「見ろよ、ひろ。こんなに取れたぜ!」
 虫かごの中で忙しなく羽根を動かして鳴くセミを見ながら、大和は自分が取れたことのように喜んだ。
「うわぁ、すごいねぇ、いっぱいだねぇ」
「ひろも今度はちゃんと一緒に取ろうな!」
 平が言うと、うん、と大和は力強く頷いた。
「アタシも皆に負けないくらい取るね!」
 満面の笑みを浮かべながらそう言った大和に、三人は一瞬顔を見合わせた。
「あ……ひろ、さっき、ばあちゃんに会った?」
 平がそっと確認するように聞くと、大和はキョトンと目を丸めた。
「え、なんで分かったの? さっき会ってね、スイカがあるから早く帰ってきなさいって言われたの。たぶん今日のデザートはスイカなのよ。嬉しいなあ」
 大和の口調が完全に変わるのはいつも彼の祖母と会った時だ。三人はそれを知っていて、だけどそれだけのことだから驚きはするものの、多少戸惑いはするものの、やはり普通に接するようにするだけだ。
「いや、なんでもない。なっ」
「うん、別に、なっ」
「そうそう、なんとなくそうかなぁって。オレたちも見たしな」
 そうだそうだと頷きあう三人に大和は不思議そうな顔をしたが、たいして気に留めなかった。そんなこともあるのだろう。

 大和と別れた後、いつも平は振り返って彼の背中を見る。時々心配になるのだ。
 いつか彼が、自分達の知らない世界の中で、苦しんでしまうのかもしれないと。
 大和の家の事情を何となく知っている平はそんなふうに思ってしまう自分を追い払うかのように頭を振って、暗くなっていく空を背にしながら家路を急いだ。

+++ FIN. +++

≪あとがき≫
ご精読ありがとうございました。
サイト1周年記念&10万打記念として「Je t'aime」の番外編を捧げたいと思います。
メインは一応幼少時のヤマトですが、平に持ってかれてる感は否めないかも、です(笑)
余談ですが「平(おさむ)」という名前は小学校時代の同級生から頂きましたw
というか10万打から1ヶ月も経ってますが。…すみません。
さてサイト開設1周年ですよ。早いものです。
1周年記念にヤマトを使うことはアンケートで彼が1位に選ばれた時点で決めていました。
で、本当は中学時代の彼か椿(?)と駅で会う場面かと悩んだのですが、
結局は本編とは関係のない幼少時にしようと思いました。
まぁ関係ないとは言い切れない感じになってますけど(^^;)
恋愛要素ゼロなのもどうかと思いましたが、これはこれで結構気に入ったりしてます。
これからもMITSUKISSをどうぞよろしくお願いしますm(_ _*)m
2007年8月 美津希