Je t'aime

15万打御礼記念企画・リクエスト作品

Bonne Nuit Lentement


 明日はいよいよ、O大の受験日だ。指定校推薦といって、いわゆる専願入試だから受ければよっぽどの問題を起こさない限り落ちることは無い。それに入試内容も面接と小論文だけだし。だから一度学校で行った模擬面接と、小論文の書き方講座を少し受けただけで勉強らしい勉強はしていなくて、すごく余裕ぶっていたけれど。前日ともなるとやはり緊張はするものだ。面接でしっかりと答えられるだろうか。どんな題で小論文を書かされるのだろうか。そういった小さな不安は、やはりどんなことでも生まれるのだと痛感した。
「おはよう」
「おはよ、彩芽」
 彩芽が自分の席に着くのを何となく眺めながら、あたしは自分の米神を摩る。緊張のせいだからだろうか。朝から頭が痛んだ。
 もしかしたら風邪だろうかと考え、けれど朝は普通だったし、特に熱さを感じないから熱も無いはずで。だからやはり緊張のせいだと思うことにした。こんなに緊張したのなんて今までなかったのに。藤崎君に告白する時もあり得ないほど緊張したけれど、さすがに頭痛はしなかった。
 不意に、ひやりとした感触が額に当たった。
「椿ちゃん、大丈夫?」
 見上げると後ろから藤崎君があたしの額に手を当てて難しい顔をしていた。いつの間に背後にいたんだろう。
「おはよ、藤崎君」
「……」
 何よ。挨拶したのに睨むことないじゃないの。あたしも思わず睨み返す。
 すると藤崎君は困ったような表情になって、くしゃっとあたしの髪を撫でた。髪に触れられるのは好きだ。気持ちよくて、美容室に行くと必ず眠ってしまうくらい。
「おーい、朝っぱらから見せ付けてくれんなよー」
 突然後ろからはやし立てる声がして、振り向くとニヤニヤと森岡君がこちらを見ていた。他の男の子達も一緒に口笛なんか吹いたりして、あたしたちをからかう。クスクス、と周りの女の子たちも笑っている。それに気づくと急に恥ずかしくなった。
 なのに藤崎君は思い切り腕を回して、あたしの頭を抱きかかえたかと思うと、そっと髪にキスをした。
「ふふ。羨ましいでしょ」
 柔らかな口調で彼が言えば、女の子たちの黄色い声が教室内に響き渡る。
 ほんとにもう、勘弁してください。

 今日の一時間目は苦手な数学だ。ただでさえ頭が痛いのに、朝から数字の羅列を見るのかと思うとぐったりとなる。しかも教科担当の先生の性格が堅苦しいのか、授業自体も堅苦しい雰囲気になるのだ。あまり生徒に不人気だったりする。
「先生」
 嫌だ嫌だと思いつつ大人しく授業を受けていると、開始して数分で誰かが声を上げた。ざわつく教室内の空気を感じながら、あたしは自分の頭痛で後ろを振り向く力さえなく、耳だけでその状況を見ていた。
「どうした、藤崎」
 藤崎君? 彼が質問なんて珍しいこともあるもんだ。いやそれよりも、まだ前回の復習のところだから質問するタイミングでもなかったはずだったけれど。
「藤崎さんが具合悪いみたいなので、保健室に連れて行ってもいいですか?」
 椅子を引く音がした。藤崎君が立ち上がったらしい。
「あ? 藤崎? ああ、こっちのか」
 同じ名前が当人から出て戸惑ったような声がした。この先生、あまり人の名前覚えないから……。
「保健室なら保健委員がいるだろう。ええと保健委員は――?」
 パシっと耳元で何かが叩く音がした。ようやく顔を上げてみると、いつの間にかあたしの傍に先生と藤崎君が立っていて、藤崎君の手があたしの肩にそっと触れた。手を摩っている先生を見るに、彼が先生の手を叩いたようだ。どうしてかは分からないけれど、厳しい表情の藤崎君と困惑した表情の先生が対峙しているのは、少し怖かった。
「俺が、行きますから」
 その低い声音に、あたしの心臓はずっと早くなる。シン、とクラス内が静まって、耳元で鳴る鼓動がやけに大きく響いた。
「立てる?」
 あたしに囁くその声はとても優しいのに。
「……うん」
 あたしはまともに顔を見られなくて、あたしの肩を抱きかかえる彼の腕にもたれるようにして立ち上がる。立つと痛みがいっそう増したように感じ、思わず顔を歪める。
 保健室までの廊下がとても長く感じた。
「大丈夫?」
 教室を出てすぐに藤崎君が声を掛けてくれた。あたしはコクンと頷く。
「明日受験なのに、無理しないでよ?」
「緊張のせいかと思って」
「バカね」

 保健室に入ると早速熱を測った。その間ずっと待っている藤崎君に保健室の先生は授業へ戻るように促す。ここでは強く出れないことを分かっているのか、渋々といった感じで、けれど意外にあっさりと出て行った。
 体温計を取ると、先生はベッドで寝るようにと勧めてくれたので、あたしは素直にそうすることにした。横になればすこしはこの痛みを忘れることができると思ったからだ。痛ければ眠ってしまえばいい。
「椿ちゃん……」
 あれ、おかしいな。藤崎君の声が聞こえる。ここは保健室のベッドなのに。
「椿ちゃん」
 とても優しい、あたしの好きな彼の声だ。保健室の先生はどうしたのだろう。
 あ。髪を撫でてくれている。この手も、あたしは好きだ。
「まだ寝てるの?」
 これは彩芽の声か。心配掛けちゃったかな。――あ、そういえば授業はどうしたんだろう。終わったのかな。もう休み時間?
 どれくらい寝てたんだろう。さっきが一時間目だったから、一時間くらい?
「うん。先帰ってて。起こすの、もう少し待ってみるから」
 答えたのは藤崎君だ。ああ、休み時間は早いものね。でも彼も教室へ戻らなくちゃいけないのに。
「分かった。じゃあね」
「ん」
 彩芽の遠くなる足音を聞きながら、あたしはそっと目を開けてみる。頭痛はすっかり引いたみたいだ。
「藤崎君?」
「椿ちゃん、大丈夫?」
 あたしを見下ろす彼と目が合った。起き上がろうとするあたしの肩をそっと押して、藤崎君はまたあたしをベッドの上に寝かせた。
「明日は試験でしょ。ちゃんと休まなくちゃだめじゃないの」
「うん、ごめんね。心配、した?」
「当たり前でしょっ」
「うん、ごめん」
 でも……そう言ってくれるのがとても嬉しくて、あたしはフフッと笑みを零した。彼も優しくあたしの髪を撫でながら小さく微笑んだ。
 いつも彼の手も、視線も、全てが優しいから、あたしは頑張れるの。
 本当は風邪かなって、分かってたかもしれない。だけど学校を休めば藤崎君に会えないから――。
「もう少し、休んでも良いかな。先生は?」
「すぐに戻ってくるわ。それまで、ゆっくり休んで」
 うん。
 声が出たかは分からないけれど、藤崎君が微笑んでくれたから、きっと届いたんだろう。
 あたしはほっとして、また目を閉じた。彼のぬくもりと感じながら寝るのは、とても心地がいい。
「おやすみ、椿ちゃん」
 おやすみなさい、藤崎君。
 先生が来たら、すぐに起こしてね。
 次の授業が始まる前に……。<

+++ FIN. +++

御礼企画のリクエストで、椿が風邪を引いて…という内容でした。
時間の流れとしては11月頃、イチミ騒動がひと段落した後になるかと。
やはりリクエストって難しいですね。お気に召していただければ嬉しいのですが。
コレに懲りず、これからもお付き合いしていただければと(苦笑)
ご精読ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。
美津希