Cette Place

50万打御礼記念企画・リクエスト作品

Feux d'artifice


 デートと称して映画やショッピングに出かけたことはあっても、二人でスーパーへ入ったことはなかった。だから大和くんと並んでカートを押し、食材を選ぶ今のシチュエーションに少し戸惑いながら、けれど少しの気恥ずかしさと嬉しさに頬が緩むのが自分でも分かる。
 そもそもの発端は大和くんに会いに来た春休み、一泊だけだけど部屋に泊めてもらう代わりに料理を作ると申し出たら、「カレーなら僕でもできるから一緒に作ろう」と提案してくれたのがきっかけだった。
「じゃがいも、人参、玉葱、卵はウチにあるから、牛肉とカレー粉だね」
「あとピーマンと茄子も。入れるとおいしいよ」
 そう言ってあたしは一袋ずつカートに乗せたカゴへ入れていく。それを見た大和くんは「じゃあ野菜カレーってことで」とカボチャを持って来た。
「え、丸ごと?」
 驚いて思わず尋ねた。
 大和くんを見上げると、しれっと「あれ、いらない?」と首を傾げてくる。思わず「いや、そこじゃないよ」と心の中でつっこんでいた。
「カボチャは甘みを引き出すからカレーに合うって聞いたことあるけど」
「うん。でもあたし、カボチャを切る力ないよ。こっちで良いんじゃないかなぁ」
 あたしはラップで包まれた、半切りの方を手に取って見せた。大和くんはどちらともなしに見比べる。
「切るくらいなら僕がするつもりだったけど。確かに余って使わなかったら勿体無いね」
 僕一人だと食べきる自信ないし、と頷いた大和くんは、持っていた丸ごとのかぼちゃを元の位置へ戻した。それを見て、カボチャを入れることは決定事項らしい、と判断してあたしは持っていたかぼちゃをカゴへと入れる。野菜カレーの具材はこれくらいで良いだろうか。
「あとはどうしようか。サラダでも作る?」
 カレーの一品だけだとどうも寂しいような気がして、大和くんに窺うように聞いた。サラダだと盛り付けるだけだから簡単だし、味の失敗も心配ないだろうと、咄嗟に提案してみた。大和くんもそれには同意のようで、すぐに「そうだね」と頷いてくれる。
「じゃがいもが大量にあるから、ポテトサラダなんかがいいかな」
 きゅうりとレタスを新たにカゴへ入れて、こんなもので良いだろう、とレジへ向かった。お金は先に大和くんが払ってくれたので、あたしは半分をあとで渡すと言うことで話をつけた。なぜか遠慮する大和くんだったけど、あたしが引き下がらなかったのだ。こういうことは大事だと思う。
 右手は大和くんの手に握られて、空いた手にそれぞれスーパーの袋を持って歩くあたし達は、傍目からはいったいどう映っているんだろう。カボチャやレタスといった嵩張るものは全て大和くんが持つ袋に詰められて、特に重い荷物を持っているわけでもない。そういうさり気ないところに優しさを感じ、ますますあたしの顔は締まりのないものになっていく。
「あっ。アレがない!」
 スーパーを出て五分ほど経った頃、既にアパートが見えているところで突然、思い出したように大和くんが声を上げた。あまり大声を出すことのない大和くんだから、驚いたあたしは思わず肩を震わせた。
「え? 何か買い忘れたっけ?」
「僕、アレ、持ってないんだよ」
 小首を傾げて見上げるあたしに、大和くんはしきりに「アレ」を連呼する。アレ、アレ、と言い続ける彼にあたしは固い頭をひとしきり捻った。
「ポテトサラダ作るのに使うアレだよ。潰すやつ」
「マッシャーのこと?」
「うん? いや、アレの名前は知らないけど」
 困った表情を浮かべる大和くんを見て、それでも話を聞く限りはポテトマッシャーのことだろう。「潰すもの」と言っていたから間違いない。確かにマッシャーがないとポテトを潰すのに一苦労することは目に見えている。あたしは一人暮らしをしていないから分からないけれど、調理器具というのは案外必要視されないものなのかもしれない。大和くんは「料理は得意じゃない」と言っていたから、余計に揃えることをしなかったのかな。
「じゃあコレ置いて、もう一度買いに行こう?」
 軽くスーパーの袋を持ち上げてみた。大和くんもすぐに頷いて同意してくれた。
 一旦アパートへ入る。さっき行った所よりももう少し規模の大きなショッピングセンターへ行くことにして、玄関を出ると自然と手を繋がれた。
 大和くんって手を繋ぐのが好きみたい。――なんてことは恥ずかしくて面と向かっては言わないけど。
 ショッピングセンターへは踏み切りを越えて行くみたいだ。大和くんの説明によると、それでも歩いてせいぜい10分程かかるだけみたいだから、やっぱりデートと言うには短い気もした。
「ごめんね、二度手間になっちゃって」
 アパートの階段を下りながら大和くんがそっと謝ってきたので、あたしは笑って首を横に振った。
 それに料理を家でするようになって、大量の食材がある時は早く消費したいと思うのはよくわかるから、ポテトサラダは止めようということも出来ない。一人暮らしなら尚更だろう。それよりも大和くんと手を繋いで歩く時間が増えたことにちょっと嬉しかったりもするのだ。
 大和くんの案内どおり、踏切を渡って国道沿いの緩やかな坂道を上っていくと、チェーン展開している大型ショッピングセンターが見えてきた。平日でも構わず駐車場は埋まっているようで、人通りも多い。住宅地に近いのも関係しているんだろうか。あたし達は駐輪場近くの入り口から入り、調理器具が置いてあるコーナーを確認する。
「あ、食器のコーナーも同じところにあるみたい。ちょっと覗いて良い?」
 大和くんが案内図を指差しながら言った。特に急いでいるわけでもないし、大和くんが望むのだったら、とあたしは二つ返事で頷く。二人分の食器は揃ってるから大丈夫、とは言っていたけど、他に足りないものでもあったのだろうか。エレベータで目的の階へ上がり、近かった食器コーナーから見ることにした。
「何を買うの?」
 丼やお椀の棚を通り過ぎていく大和くんに聞いてみる。うーん、と少し唸った大和くんは頬を人差し指で引っかきながら照れるような仕草をした。なんだろうとますます不思議に思う。
「この際だからさ、椿ちゃん専用のお箸とかあった方がいいかなって思って」
「えっ……」
 それって――。
 びっくりして暫くの間思考が止まった。
 お箸が置いてある一角は和風のデザインで統一されていてすぐに分かった。少し前にマイ箸も流行っていたし、思っていたよりもずっと充実した並びになっていた。
「今日は買うつもりないから、覗くだけね」
 そう言いながらも大和くんは真剣に目を向けている。あたしは隣でどんな顔をしていたらいいのか分からなかった。
「椿ちゃんが使うんだから、可愛い方がいいかなぁ。ピンクとか?」
「うん。この桜柄とか可愛い」
 こうやって改めて眺めていると、お箸にもピンからキリまであるんだと初めて知った。高いもので一万円台からのもあって、素直に驚く。安いものは数百円で買えて、その大きさや太さも様々だ。幼児向けの練習用箸まであった。中指を安定させるための補助が付いているのだ。空いてる右手で取ってみると、なるほど、置いているだけで動かしやすい。
「……椿ちゃん。それはちょっと早いんじゃないかな」
 可笑しそうな大和くんの声が聞こえて、慌てて元に戻す。何か変な誤解をされたかもしれない。
「ち、違うよ? 珍しいなと思っただけで特に意味はないよ?」
「ふふ。分かってるよ」
 冗談だよと言った大和くんは、こっちも可愛いよね、とキャラクター柄のを指して笑った。あたしの反応もそれ程気にしてないみたいでほっとした。よく見てみれば女性用だとかギフト用だというふうにも棚が分けられていて、存外見ているだけでも退屈しないものなんだな、と面白かった。
 一通り見て回ってから、本来の目的場所である調理器コーナーへ足を向けた。
 こちらのメインはやっぱり包丁やお鍋、フライパンといった類のもののようで、肝心なポテトマッシャーはなかなか見つからない。
 お玉やしゃもじやヘラは見つかったのに、マッシャーが見当たらない。ぐるりと一周してから、大和くんは店員さんに声を掛けた。けれどマッシャーという言葉を覚えていなかったようなので、あたしが横から口添えすると、店員さんはにこやかな笑みを浮かべて案内してくれた。かくしてポテトマッシャーはひどく地味な扱いを受けていた。大小様々なタイプが揃えられているものの、皮むき器とそれほど大差ない扱いだ。
 大和くんは使いやすそうな小さいタイプを一個手に取ると、いとも簡単に決めてしまったようだ。
「これでポテトサラダは完璧にできるね」
 会計を終えて下りのエスカレータへ向かう。一度も離れなかった左手を気にしながら、ショッピングセンターを後にした。
 行きよりも帰りの時間の方が早くに感じられた。アパートに戻ったときには夕陽もだいぶ傾いて、カレーが出来る頃には夜ご飯を食べるのに調度いい時間になっているだろう。
「なんだか、こういうのも良いね」
 不意に大和くんがしみじと呟いた。何だろう、と見上げれば、にっこりと微笑まれた。
「二人で夕飯の買い物っていうのも良いなぁと思って」
 踏み切りに差し掛かり、ちょうど遮断機が下り始める。完全に下りて数秒経つと電車が目の前を通り過ぎていく。
 そんな当たり前の日常の途中で。
「っ!」
 握っている手に一瞬力を込められた。そう思ったときには唇に触れていた。
 警告音が止み、遮断機が上がる時にはまた全てが日常に戻っていて、あたし一人だけが戸惑っている。そっと大和くんの方を上目遣いで窺うと、何事も無かったかのように進行方向に視線を向けていた。……なんだ、今のは?
 そっと右の指で自分の唇に触れてみる。
 もう一度大和くんの方へ視線を向けてみれば、ふふっと穏やかに笑みを向けられた。それだけで何だか恥ずかしくなる。絶対、分かっててキスしたんだ。
 居た堪れなくて俯くあたしだけど、繋がれた手は離せない。
 ――ずるい。
 いとも簡単にあたしを色んな世界へ連れて行ってしまう大和くんは、ずるい。
「野菜カレー、楽しみだね」
 何事もなくそんなことを言ってのける大和くんに、あたしは悔しくて返事をしなかった。
 あたしだって楽しみにしているのに、そんなふうに言われたら「そうだね」なんて言えない。
 ……大和くんのばか。

+++ FIN. +++

ご精読ありがとうございました。
2010/08/29 up  美津希