Cette Place

50万打御礼記念企画・リクエスト作品

Jalousie


 大学の長期休暇の中で一番長い春休み。その内の3日間を使って大和くんに会いに来た。先月には成人式で大和くんと会ったのだけど、それでもその時は高校時代の皆とも一緒だったので、大和くんから「こっちに来ないか」と誘われたときは、“二人で会える”ということだけで有頂天になった。あたしは年甲斐もなく遠足前の小学生のように、前日の夜はなかなか寝付けなかったのだった。そういえば夏休みに会いに行った時もそうだったな、と、その時のことを思い出したりもした。

 新幹線からJRに乗り換え、改札を出ると、売店の傍に立っていた大和くんを見つけた。先月の成人式で会ってはいたけれど、なんだかすごく久しぶりな気がする。
 大和くんはまだあたしの方に気づいてないみたいで、腕時計に目をやったり、携帯電話をいじっていた。一人でいる大和くん、というのをあまり見たことがないので面白くて、あたしはわざとゆっくり歩いてみる。いつになったら気づいてくれるだろうか、と悪戯心がうずうずとしてきた。
「あ……」
 ふと大和くんが顔を上げたので、いよいよあたしに気づいてくれたのかと胸を高鳴らせた。
 けれどあたしは、笑顔を作ったまま僅かの間、固まってしまった。知らない女の子二人が大和くんに話しかけてきて、大和くんは彼女たちに気づいて顔を上げたからだ。誰だろう、と近づいていくと喧騒する駅の中、微かに二人の声が聞こえてきた。
「あの、良かったらメルアドだけでも教えてくれませんか?」
 お、おお〜!?
 あたしは今度こそ、完璧に、固まってしまう。
 これっていわゆる逆ナンでしょ。確かに高校時代からモテてたし、そういうのもあって不思議じゃないけど。なんだろう。すごく不思議な感じがする。珍しいものをみた時の戸惑いとか、ヤキモチに似た困惑とか。
 笑顔で応える大和くんは誰から見ても格好良くて、女の子も困ったように喜んで、どうしたら良いのか分からなくなった。
 あたしが行こうかどうか迷っているうちに、女の子達は手を振りながら離れていった。知らないうちに安堵の溜め息が漏れた。
「あっ、椿ちゃん!」
 不意にこちらを向いた大和くんの視線にうろたえた。大和くんがこちらに来るのを見て、固まっていたあたしは少しだけ動けた。ひらひらと手を振って、名前を呼んでくれた大和くんに応える。
「遅かったね。荷物持とうか」
 言うが早いか大和くんは、あたしが両手で抱えていたボストンバッグを軽々と、あたしの手の中から取り上げた。
「あ、ありがとう」
「いえいえ」
 さっきの女の子に見せたように笑顔を向けて、大和くんは「行こうか」と歩き出す。
 ……ちょっと、胸がちくっとした。
「先に荷物置きにウチ来る? それともロッカーに預ける?」
 バッグを持っていない手で自然とあたしの手を繋いできた。その自然さにドキドキしながらあたしは、どうしようかと逡巡する。
「う、んと、……ロッカーに預ける」
 後から思い返してみると、この時にあたしの選択が違うものだったら、何かが変わっていたんだろうか。

 駅の100円ロッカーに大きな荷物を押し込んだあと、カフェに寄って僅かながらの腹ごしらえをする。それから観光という名のウィンドウショッピングを堪能することにした。ブランドというものにあたしはそれほど興味はないのだけれど、せっかくだから、と大和くんが連れて行ってくれたのだ。
「あ、これカワイイ」
 思わず足を止めて呟いたあたしに、どれ? と大和くんも一緒にショウウィンドウを覗く。
 あたしが目を止めたのはピンクの財布だった。同系色でデザイン違いのものがいくつか並べてあった。他にも同じデザインで白やベージュもあったけれど、この中だったらピンクが一番カワイイ。あたしにお小遣いの余裕があれば、手を出していたかもしれない。新幹線代はなかなかバカにならないものだ。
「財布欲しいの?」
 あまりに熱心に見てしまっていたのだろうか。そんなふうに尋ねられて、あたしはコクンと素直に頷いた。
「今使ってるの、だいぶ古いんだ。そろそろ新しいのも欲しいかな」
「どれくらい?」
「5、6年は使ってるよ」
「ふぅん。そういえば椿ちゃんって物持ち良いよね。シャーペンとかもさ」
「そうそう、小学生の頃に貰ったやつね。まだ現役だよ」
「ふふ。椿ちゃんらしい」
 話が脱線してきたところで、あたし達はその場を後にした。
「今日は僕のところに泊まるんだよね。夜はどうする? 外で食べる?」
 次第に傾いていく太陽が空を赤くしていく。初日の夜だけ大和くんの部屋に泊めてもらって、明日は近くのビジネスホテルに泊まることになっていた。すっかり舞い上がっていたあたしはホテルの予約をするのを忘れてしまって、急遽見つけたところは既に満室で、明日以降しか空いていなかったのだ。それでも大和くんの部屋に泊まればいいかな、と思っていたのだけど、さすがにそれはマズイと大和くんに注意されてしまった。大和くん曰く、あたしはそれがどういう意味を持つのかを分かっていないらしい。
「あ、あたしね、料理作るよ! 今色々とお母さんに教えてもらってるの」
 部屋に泊めてもらうのだから何かしないと、ということで考えた結果がこれだった。意気揚々とあたしが言うと、大和くんは一度驚き、それから何とも困ったような複雑な表情を浮かべた。
 あたしは喜んでもらえるものと思っていたので、その顔はちょっとショックだ。
「迷惑……? やっぱり外で食べようか?」
「あ、ううん! びっくりしただけ。椿ちゃんの手料理楽しみ」
 そう言ってやっと笑顔を見せてくれた。少し気になったけど、楽しみと言ってくれたのだから張り切らないわけがない。時間的にはまだ早いけれど、特に目的もなく歩いていたので、そのまま大和くんの部屋の近くにあるスーパーへ案内してもらうことになった。
 駅へ戻る途中、大和くんの携帯電話が鳴った。
 ごめん、と言いって不満気にしながら、大和くんは電話に出る。嫌なら出なくてもいいのに、と意地悪なあたしが顔を出す。
「もしもし、坪井?」
 あ。知らない名前だ。
「えっ、嘘? どこ?」
 大和くんは驚いた声を出すと、突然辺りを見回した。電話を耳に当てたまま、嫌そうに顔を歪めてある一点を見つめた。どうしたんだろう、とあたしも視線を辿っていけば、同じように携帯電話を耳に当てた女の子が一人、こちらに向かって手を振っているのが見えた。大学の友達だろうか。彼女の他にも女の子が一人と男の子が一人、こちらを見ている。
「椿ちゃん、アレ大学の友達なんだけど。今から合流したいって。いい?」
 そっと内緒話をするように、大和くんは電話を口元から離すと屈んで囁いた。これで嫌だなんて言えないよ。あたしは小さく頷いてみせる。
 一言二言話して電話を切れば、あたしは大和くんに手を引かれたまま彼女達の方へと近づいていった。
「ハァイ、ヤマトくん。わざわざごめんねぇ」
 電話をしてきた女の子がそう言って迎えてくれた。
 大学でも“ヤマトくん”と呼ばれてるんだと知って可笑しかった。クスッと笑うと、彼女と目が合った。
「はじめまして。椿ちゃん、だよね?」
 いきなり名前を呼ばれて驚いた。
「皆椿ちゃんと会いたいって言ってたんだ。あたし達散々惚気られてたから」
「え……」
 のろけ――って。え。どう反応していいか分からなくて、恥ずかしくなって顔が赤くなった。
「あたしなんて、即行で振られちゃったんだから。それでもヤマトくんの友達としていられるのはラッキーだなって思ってるんだ。高校の時もモテてたでしょう、ヤマトくん。大学でも有名人なんだから」
「ちょ、麻耶。喋りすぎじゃね?」
「何よ尚志。こういうことは隠しててもしょうがないじゃん」
「だからってわざわざ言うことでもないだろ……」
 あれ。もしかして。
 二人のやり取りを聞きながら嫌な予感がした。そっと大和くんの方に視線を向けると、困ったように肩を竦めたので、予感は確信に変わる。きっとこの人が――。
 あたしはまだ、あの時のことを許していないのだ。
「ていうかなんで三人揃ってココに居るの?」
 まだ言い合っている二人の間に割り込むようにして、大和くんは尋ねた。
「偶然だよ、偶然!」
「まぁ、今日がデートだって聞いてたから、もしかしたら〜という期待はしてたけどね」
 悪戯っ子みたいに笑う彼女は心底楽しそうで、大和くんは気に入らないのか眉毛をピクリと動かした。
 ふと気づくと大人しそうな女の子がチョイチョイと手招きをしている。
「ねえ、ヤマトくんって女言葉だったんだよね」
 ヒソヒソと声を小さくして尋ねられたのは意外な事で、コクンと頷くしかできなかった。どうしてこんなことを聞くんだろう? 大学では使ってないって聞いてたし、実際最近では全く聞かなくなっていた。友達だから過去のことも話してるだろうとは思うけど、その真意が何か掴みきれない。
「もういいでしょ。椿ちゃんには会わしたんだし。僕達もう帰るから」
 急にぐいっと腕を引かれて大人しそうな子と離れる。大和くんと話してた二人はあからさまに「ええ? まだ何も話してないのに!」と文句をぶつけていた。それでも大和くんは取り付く島もないように二人を無視した。本当に仲が良いんだな、と思う。
「じゃあね」
 ひらひらと手を振る大和くんはそれだけ言うとさっさと背中を向けて歩き出してしまった。あたしも慌てて後を追うけど、後ろを振り返るとお友達二人もニコニコと手を振ってくれていた。小さく会釈をして、あたしは大和くんの隣に並ぶために足を速めた。

 ロッカーから荷物を取り出して、大和くんのアパートへと向かう。
「あの人だったんだね」
 手を繋いだまま、黙って歩いてるのも変な気がしたのだけど。どうしてかあたしの口から出たのはそんな言葉だった。
 一番気になっていたことだったから、ある意味では自然なことであったのかもしれないけど。
「……うん」
 何が、とまで言わなくても大和くんには伝わったようだ。
「綺麗な人だった」
「椿ちゃんの方が可愛いよ」
「そんなことない」
 そんなことを言われても嬉しくなかった。
 繋がれた手は冷たくて、あたしは少しだけ力を込める。
 朝から、チクッと胸に刺さった針が、ぐいぐいと押し込まれてるような。そんな感覚が押し寄せてきて、どうしたらいいのか分からない。初めてのことで今日はずっと戸惑いっぱなしだ。
「皆、大和くんの昔のことも知ってるんだね」
「ん? ああ、まー、成り行きで。結構喋っちゃってるかもね。アレでも信頼できる奴らだから」
 何でもないことのように言う大和くんがなんだか嫌で、チクチクと胸が痛む。
 大和くんの友達が羨ましくて仕方がない。ずるいと思わずにはいられなかった。あたしは今の“ヤマトくん”と呼ばれている大和くんを知らないのに。あの人たちは知っていて、尚且つ「アタシ」と言っていた“ヤマトくん”も知っているんだ。
 でも今更、あたしの前だけでも前みたいに女言葉で話して、なんて言えない。大和くんの家にお邪魔して目の当たりにして、そんなこと言えるはずがない。
「椿ちゃん?」
 あたしがずっと俯いていたからだろう。不思議そうな声であたしの名前を呼ぶ。ふっと覗き込まれた目に嫌な感情が映りそうで、怖くて視線を逸らした。今口を開いたらきっと嫌な子になってしまう。
「……もしかして、機嫌悪いの?」
 恐る恐る、確かめるようにして大和くんが尋ねてくる。
「悪くないよ」
「嘘。どうして? 何が気に食わなかったの?」
 ウソ、と決め付けられて、でも本当のことなので反論できずに口を閉ざす。どうしてバレたんだ、と焦った。
「ね、別に怒らないよ」
 小さな子どもを宥めるように大和くんが言ってくれる。優しい声音に思わず「本当に怒らない?」と確かめたくなって、慌てて上げそうになった顔を元の位置へ戻す。それじゃあ不機嫌です、と宣言したも同じじゃないか。
 そうやって、あたしが頑なに口を閉ざしていたら、大和くんは大きな溜め息を吐いた。「頑固者が」と呆れられてしまったけれど、問い詰めることは諦めたようだった。
「……あ、あのさ」
「うん?」
「あたしまだ……許してない、から……」
 今は未だ、これしか言えないけれど。
「――うん」
 頷いた大和くんは分かっているんだろうか。
 本当はあまり、大和くんに好意を寄せていた女の子とは仲良くして欲しくない、なんて思うあたしがいるってこと。
 繋いだ手を見て、もっともっと強く握り返して欲しいと思っているってこと。
 本当は言葉にしないといけないって、分かっていてもできないあたしがいるってこと。全部、伝えられたらいいのに。

+++ FIN. +++

ご精読ありがとうございました。
2010/08/19 up  美津希