Je t'aime

Le Jour De Petite Amie


 男の子のためにチョコレートを作るなんて初めてだった。それがなんだか恥ずかしくて照れくさい。
 お母さんに散々からかわれながらできたチョコは、クリームとバターをたっぷり含んで、口の中で蕩ける。男の子にあげるには少し甘すぎるかもしれないけど、あたしが今まで食べた中で一番美味しいと思えたから、これに決めた。型を取るのに少し失敗して見かけは不細工だけど、味で勝負だ、と自分に言い聞かす。
 それにこれはプレゼントだもんね。やっぱり自分が貰って嬉しいものを好きな人にあげたいと思うのは恋人とかじゃなくても当然だと思う。入試お疲れ様の意味も込めて、あたしは入れ物に溢れるくらいたくさん作った。いつの間にか台所はお父さんの苦手な甘い匂いでいっぱいだった。
 2月14日。
 女の子にとっての勝負の日だ。
 あたしにもこんな日が来るとは思わなかったけど、ある意味一世一代の大告白よりも緊張する。藤崎くんだったら受け取ってもらえないということはないだろうけど、不味そうな顔をされるのは嫌だ。
 待ち合わせ場所は駅前にあるショッピングセンターの入り口の前。本当は学校はまだ終わってないのだけど、あたし達3年はもう卒業式まで自由登校で、たぶんほとんどの生徒は行っていない。推薦入試も集中しているからなおさら3年の教室は寂しいことになっているだろう。そんな中で平日に堂々と遊ぶのは少し気が引けるけど、それまでに頑張ったんだから、と言い訳してみる。頑張ったのはあたしじゃなくて藤崎くんなんだけど。
 13時を少し回った。約束は14時だからまだまだ余裕。あたしは昨日の夜から冷やしていたチョコレートをラッピングしてカバンの中へ入れる。テレビを見ても本を読んでも落ち着かなくて、30分になる前に家を出た。
 少し待つことになるけど、まあ、いいか。そういうドキドキもあともう少しで終わってしまうんだ――。
 3月には藤崎くんは大学の近くに住むことになっている。だから会えるうちにたくさん会おう、と言ってくれたのは藤崎くんだった。でも受験が終わるまでは会うのを控えていて、だからこうして少しでも特別な日に時間を取ってくれることがとても嬉しい。あたしも藤崎くんのために何かをしたい。そう思ってチョコレートを作った。料理はおろかお菓子さえ滅多に作らないあたしにしてみれば大事件だ。それで、そんな自分が照れくさい。
 甘いものは大丈夫かな。
 おいしいって言ってくれるかな。
 にっこりと、あたしの好きな笑顔をくれるかな。
 そんな期待をしつつ何度もチョコの入った小さい紙袋を眺めてしまう。
「椿ちゃん、お待たせ!」
 14時ジャストに藤崎くんがやってきた。バッと顔を上げて、あたしは「ううん」と首を振る。久しぶりの藤崎くんの姿に思わず顔がにやけてしまう。
 藤崎くんはそんなあたしを不思議そうにして小首を傾げた。
「なに? そんなにアタシに会いたかったの?」
 途端にあたしの体が熱くなる。きっと顔も耳まで赤くなっているはずで、慌てて首を横に振る。図星だけどっ、そうじゃなくてっ。
 藤崎くんはそんなあたしの反応に可笑しそうに笑って「それはそれでショックなんだけど」と呟いた。ちょっと失敗したみたいだ。
「ごめん。じゃなくて、その通りなんだけど、なんて言うか」
 言ってることが支離滅裂だって自覚してる分、ますますなんて言っていいか分からなくなる。素直に「そうだよ」って言えれば可愛いのにと思う。
「ん、まあとりあえず、どっかに入りましょ」
 藤崎くんはクスッと微笑んでさらっと流す。何気なくあたしの手を引いて歩き出した。繋がれた手が少し震えて、恥ずかしい。
 その内繋がれた手は自然と指が絡まって、いわゆる恋人つなぎ状態になっていた。これはこれで、人目が気になって恥ずかしかったけれど。
 あたし達が入ったのは駅から少し離れた、ビル街の隙間にあるようなこじんまりとした喫茶店だった。あたしはこんな場所に喫茶店があるなんて知らなくてこっそり感動する。そこは見た目は普通のお店って感じでシックなんだけど、中に入ればレトロって言葉が似合う雰囲気だった。店の所々にブリキの玩具や年季の入ったアンティークのようなテーブルがセットされているからかも知れない。
 店員さんは若い女性の人しか居なくて、藤崎くんが二人分のコーヒーを注文すると、奥に引っ込んですぐに出てきた。お客さんは一番店の奥の壁側に座って新聞を読んでいるサラリーマンしかいなくて、とても静かな空間だ。
「あ、そうだ、今日バレンタインだから」
 そう言ってあたしは持ってた紙袋ごと藤崎くんに手渡した。彼はにっこりと微笑んで「ありがとう」と言ってくれた。
「開けてもいいかしら?」
「うん」
 ドキドキしながら藤崎くんの動きを見守る。ゆっくりとラッピングした箱を取り出して蓋を開ける。そこには丸いような四角いような三角のような歪な形の小さなチョコレートが詰まっていた。
「あの、形は汚いけど、味は保障するから!」
 焦って言い訳をしてみれば、藤崎くんは少し驚いたような表情になって、それから嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「もしかして手作り?」
「あ、うん、一応……。ガンバリマシタ」
「どうしよう。すごく嬉しい」
 ふふっと笑って藤崎くんの綺麗な長い指がごつごつしたチョコレートを一つ摘み上げる。
「椿ちゃん、口開けて?」
「へ?」
 唐突な申し出にあたしは首をかしげた。藤崎くんも真似するように首をかしげてみせ、もう一度言った。
「口、開けて、あーん」
「あー……ん……?」
 ぽい。
 あたしの口の中に放り込まれたのは、あたしが藤崎くんのために作ったチョコレート。クリームとバターをたっぷりと混ぜて作ったバレンタイン・チョコレート。
 藤崎くんは自分の指先に付いたチョコレートをペロッと舐める。
「ん、おいしい」
 そう言って満足げな笑顔を浮かべた。
 ……なんか。
 なんだろうか、これ。すごく恥ずかしいんですけど。
「あの、藤崎くん、甘いの苦手なの……?」
 不安になって遠慮がちに聞いてみれば、彼はけろっとした表情で「ううん」と否定した。
「ただやってみたかっただけ。アタシ苦手な食べ物ってあまりないの」
 そう言ってもう一つ掴むと、今度はちゃんと彼自身の口の中へ入れる。
「うん、美味しい」
「そうデスカ」
 うわ、うわ、すごく嬉しい! 想像してたよりずっと嬉しい。
 へへっと思わずにやけてしまう。気づかれたくなくて俯けれど、きっとバレバレだと思う。
 でも良かった。藤崎くんに微笑んでもらえて。美味しいと言ってもらえて。
 それだけであたしは幸せだ。あともう少しで卒業式を迎えるけれど、きっと、離れたって今なら大丈夫な気がする。
 運ばれてきたコーヒーはとても苦くて、けれどなぜか、幸せな味がした。

+++ FIN. +++