彼と彼女と…

WEB-CLAPお礼画面掲載作品

彼と彼女とスペシャルランチ


 いいのだろうか、と雪野は不安を隠せないでいた。ちらりと隣の彼を見上げても、深く帽子を被っているせいでその表情は分かりにくい。けれど繋いだ手はとても優しくて、それだけが救いだった。
 今日は辰己と初めての日中デートである。
 とは言っても昼食を外で食べるだけなのだが、それでもそれなりに認知度や知名度の高い辰己と真昼の大通りを歩くのは緊張するし、不安になる。雑誌だけで活躍していればこんなに周りの目を気にすることもないのだろうが、彼はテレビでの露出も割りとあるのだ。
「大丈夫かな。やっぱりマズイんじゃないかなぁ」
 手を離されることは寂しい気もするが、しっかりと握られているせいでどう見ても自分達は恋人同士だと宣言して歩いている。これがメディアに見つかれば大騒ぎになるのではないだろうか。雪野はとうとう口に出しで不安をぶつける。
「心配ないよ。俺の恋愛話なんて誰も興味ないから」
 それより話題になるのは、と辰己が挙げたのは、辰己と同じように雑誌からテレビへと活躍の場を広げ始めている若手俳優の名前だった。今はまだ脇役でしかドラマの出演をしていないものの、来春公開予定の映画で初主演を得た彼のプライベートは、確かに世の女性の関心を引くだろう。けれど、と雪野は思う。
 辰己は何と言っても少し前まで若手女優との交際が噂されていたのだ。当然雪野も知っているし、雪野が知っていることも辰己自身わかっているのだから、誰も興味がないというのは完全に吐かなくてもいい嘘である。
「気にしすぎだって、雪野は」
 もっと気楽にしろよ、と笑う辰己の表情はやはり帽子のせいであまり見えなかったが、その口元が、声が穏やかだったので、雪野も素直に頷くことが出来た。それもそうだ。せっかくのデートなのに楽しまなくてどうする。
 辰己が連れてきたのは高級そうな和食レストランで、二人は店の奥に位置する個室へと案内された。座敷になっているそこは4人客仕様の小さいながらもゆったりとしたスペースの部屋だった。
「さすがに帽子を取らずに食事するのは気が引けるから」
 と彼自身が言っていたので、個室を予約していたのも辰己なのだろう。誰よりも気をつけているのは辰己本人なのだと分かり、雪野は先ほどまで不安を抱いていた自分自身を恥ずかしく思った。
 料理が運ばれ、二人は時々談笑しながら箸を進めていった。こうして日中にデートをするのも初めてだが、二人で食事をするという事も初めてだったので、雪野はついつい「食事を取る辰己」の観察をしてしまう。何と言っても目の前にいるのはトップモデルのタツミでもあるのだ。
「なに、雪野。えび嫌いなの?」
 そう言ってえびの天ぷらを取り上げようとする辰己の手を、雪野は思わず叩いた。えびの天ぷらは雪野の大好物なのだ。
「あ、ごめんっ」
 慌てて叩いてしまったことを謝罪するが、辰己は気にした様子もなく笑った。
「いや、びっくりしたけど。でも食べないから心配した」
「好きなものは最後に残しておくの」
「ふうん。俺はさっさと食うけど。腹いっぱいで食えなくなるの悔しいじゃん」
「そこはうまく調節するんです」
 雪野は胸を張ってそう言ってみせた。
 それからふと気づく。――私、普通に話せてる……。
 いつだって雪野の前の彼はモデルのタツミではなくただの賀川辰己なのだ。それを思い出したような気がする。

「あ、雪野」
 不意に辰己が彼女の名を呼び、雪野は顔を上げる。
 すると身を乗り出した辰己の顔がすぐそこにあって。
「ご飯粒」
 唇の端を軽く舐められた。
 何をされたか理解した瞬間、雪野は顔を真っ赤にしたまま固まってしまう。そんな彼女を満足そうに微笑み、辰己はもう一度えびの天ぷらに箸を伸ばす。
 それでもやはり辰己の手は雪野の手に叩かれ、しばらく二人の攻防は静かに続く。

≪F I N.≫