彼と彼女と…

WEB-CLAPお礼画面掲載作品

彼と彼女と朝のひととき


 辰巳の朝は早い。雪野の寝顔を少し堪能してから体を起こすことが習慣になりつつあった。その事を話すたびに恥ずかしいからやめるように彼女から言われるが、止める気はさらさらない。そうして恥ずかしがる雪野を見るのも楽しみのひとつだった。
「ふ、ふ、ふ」
 雪野は一人不気味な笑い方をする。しかしこの場いるのは彼女と隣で眠る辰巳だけだ。雪野は気づかれないようにそっと彼の腕から抜け出し、ベッドを降りた。
 雪野はいつも自分より早く起きてしまう辰巳に不満を抱いていた。そもそも朝が弱い自分が悪いのだが、それでも黙って寝顔を見られているというのは気分のいいものではない。今日こそは、と逆に辰巳の寝顔を堪能してやるのだと意気込む。
「あ、そうだ」
 ふと思いついて雪野は服を着替え、台所に立った。どうせ早く起きたのだから、朝ごはんでも作って驚かせてやろう。家でも滅多に手伝いなどしなかった雪野だが、大学へ入って一人暮らしを始めた。料理も簡単なものなら作れるようになったのだ。いつも自分より早く起きる辰巳が全てやってくれているのだから、当然今日は雪野がやらなければなるまい。


 辰巳は少しの違和感を覚え、目を覚ました。いつも感じる腕の重みがないことも、どこからともなく漂う何かを焼いている匂いも、いつもとは違う。
「雪野!?」
 慌てて飛び起きるが、彼女の姿は部屋のどこにも見当たらなかった。いつもは自分の腕の中で気持ち良さそうに眠るその姿がない。時計を見れば、確かにいつも起きるよりもだいぶ遅い時間である。久々に寝坊したらしい。今日はせっかくのオフだから雪野と朝から色々いちゃつこうと思っていたのに、と軽く舌打ちをする。
「雪野? どこだ?」
 ベッドから降り服を着る。しかし風呂場にも姿はなく、玄関に目をやれば靴がない。どうやら外へ行ったらしい。といっても鞄は残っていたからすぐに戻ってくるだろうが。それにしても朝からどこへ行ったのか。
 そしてふとキッチンに目をやれば――。
「なっ……?」
 なんだ、これは。辰巳は一瞬それが何か判断しかねたが、ようやくフライパンに焦げ付いた魚だということは分かった。もしかして雪野がこれをやったというのか。料理を作ろうとしてくれたことに嬉しさを感じるのと同時に、料理は自分がやった方がいいということを発見した。
 辰巳が焦げた魚を捨て、フライパンやサラダを作ろうとして失敗した後が見える食器類を片付け終えた頃、ようやく雪野が戻ってきた。
「う、あ、辰巳さん……」
 キッチンを綺麗に片付けたらしい彼を見て、雪野は気まずそうに手に持っていた袋を背中に隠した。
「何それ?」
「いや、あの、その」
 目を泳がす雪野も可愛いが、透明なビニール袋に入っているものが何だったのかを見てしまっては、いつまでも焦らすのはよくないだろうと判断した。それは彼女のためでもあるし、自分の腹の虫のためでもある。
「朝ごはんのパンじゃないの? 早く食べようよ」
 ね、と微笑む辰巳に、雪野は渋々といった様子で頷き、テーブルにそれらを広げた。彼女が買ってきたのはお惣菜パンから菓子パンまで見事に揃っていた。
「ホントはちゃんと作ろうと思ったんだよ? でも、ですね……」
 向かい合って席に座ると、言い訳するように雪野が俯く。辰巳は特に気にせず手前にあったパンを取り、袋を開けた。
「苦手なら無理しなくて良かったのに」
 あ、美味しいよ、これ。などと言ってくれる辰巳の優しさに、雪野はますます恥ずかしくなった。けれど彼の笑顔に少しずつ肩の力も取れてきたようで、そっと彼女も一つ目のパンを手にした。
「でもどうしてこんなに?」
「……おなか空いてたので……」
 彼女らしい答えに思わず笑いが零れた。確かに自分もおなかが空いていたから助かっているけれど。
「あーあ、驚かそうと思ったのに……」
 ぼそっと呟いた雪野に、辰巳はにっこりと微笑みかける。
「充分驚いたけどね。朝雪野がいないことがあんなに嫌だなんて」
 辰巳は、雪野の顔がますます赤く染まっていくのを見つめながら、だから止められないのだと思う。
 雪野が反応するたびにそれが可愛く思えてしまうのだから、止められないのだと。

≪F I N.≫