彼と彼女と…

彼と彼女と宝物


 いつの間にか自分の部屋に彼から貰ったものが当たり前に並んでいることに気づいた。初めて貰った香水はまだ半分ほど残したまま鏡の前に置いてあり、次に貰った腕時計は、この間お土産だと言ってくれたブレスレットと一緒に小物入れにしまっている。彼――辰己には「付けてね」と言われたが、香水の時と同じで、雪野には腕時計もブレスレットも付ける習慣がなかった。時間はケータイで確認するし、ブレスレットだけではなくてアクセサリー全般にいたって雪野は全くと言っていいほど身に着けない。ただアクセサリーに興味がないってだけなのだが。だからつい忘れて、辰己は少し不機嫌になる。最近は香水も、ブレスレットも、彼に会うときはなるべく付けようと思うようになったが。それでもやはり忘れることの方が多かったりするのだ。
 辰己は会う時は大体の割合で何かを雪野にプレゼントをするけれど、彼女はただ「ありがとう」の言葉しかあげていなくて、彼女にとってはそれがなんだか心苦しい。一度だけ辰己にお返ししようと思って買い物に行ったのはいいが、彼は「いつも貰ってるから要らない」と言って受け取ってくれなかった。だから辰己のために買ったライターは来年の父の日行きになってしまった。
 辰己から貰った物を見る度に、雪野はなんだか不思議な気持ちになる。嬉しいような可笑しいような、照れくさいようなくすぐったいような、そんな気持ちになる。それは確かに彼と自分は繋がっているんだという夢のような現実を実感できる瞬間でもあった。辰己は雑誌はもちろん他のメディアにもよく顔を見せるトップモデルという看板を背負っており、雪野はそんな彼に引け目を感じてしまうのだ。彼は自分とは違う特別な人なのだと、そう思わずにはいられないのだ。
 辰己と雪野が会うのは大抵、彼女がバイト先から帰る夜の時間だ。平日は当然として、土日・祝日もだいたいそんな感じである。辰己の仕事上、なかなか学生である雪野との時間が合うことはないから、仕方のない事だろう。そうだと分かっているから、雪野は昼間の自分と、夜彼に会っている自分は、果たしてどちらが本当の自分なのか、時々自分で分からなくなる時がある。そういうときはだいたい、辰己から貰ったものを眺めて、この瞬間に居る自分が本当の自分だと納得するのだ。

 大学での雪野はごく普通の真面目な学生の一人だ。というより、マジメを装うことに成功している少し不真面目な学生と言った方が雪野自身はしっくりすると思っている。そんな彼女に色恋話は無関係で、ほとんどが友達のノロケ話の聞き役になっている。
「でさあ、二人で買いに行ったのに、結局帰りは一人よ。信じられないよね、まったく」
 友人の、怒りながらも、その口調はどこか呆れたふうで、本気で怒っていないのがよく分かる。
「それでどっちから謝ったの?」
 雪野が聞くと、彼女はにっこりと笑って、負のオーラはすっかり消えて無くなった。
「そんなの向こうからに決まってるじゃない。だって明らかにあっちが悪いんだし」
「ふぅん」
「それでね、これ、前から言ってた指輪をね、買ってくれたの! もうだから好きなんだよねー!」
「あはは」
 彼女が本当に嬉しそうに話すので、雪野も自然と笑顔になって、彼女が指に嵌めたリングを見る。小さな石が入った控えめなそれは、だけど堂々と彼女の幸せを象徴しているようだった。
「雪野も早くこういうのくれる人、見つけなよ」
「あー、うん、そうだねぇ」
 雪野は一瞬ドキリとして、だけど言えるはずもなくていつものように曖昧に笑う。こういう流れは苦手だ。ついボロが出てしまいそうで鼓動が速まる。本当は言ってもいいのだろうけど、彼女なら言っても信頼できるんだろうけど、少しの秘密に優越感を味わいたがっている自分も居て、どうしていいか分からない。こういうとき、彼が皆の特別な人ではなく、自分だけの特別な人だったら――などと意味のない事を思ってしまう。

 と、そんなことを、彼女に自分達のことを話したいということを、雪野は恐る恐る辰己に言ってみた。やはりバイトの終わりの夜、彼の車の助手席で。
「ふうん。良いんじゃない? ってか俺としては、もうしてるのかと思ってたんだけど」
 やけにあっさりとした答えに雪野は拍子抜けして、間抜けな顔をしてしまった。
「え、良いんですか。っていうか辰己さんはしてるんですか?」
「俺? 俺は、まぁ……してるって言えばしてるかな」
 なんとも曖昧な言い方に雪野は首を傾げた。辰己は遠くを見るように前を向いていて、雪野はその横顔を眺めながら、いつ見てもきれいだと、関係ない事を思う。
「なんですか、その言い方?」
 不思議そうに問う雪野に辰己はゆっくりと視線を戻した。
「だって雪野と初めて会った次の日には話してたからさ。どうやって雪野をモノにできるかなぁって」
「……へ?」
 訳が分からないといった雪野の表情に辰己はニヤリと妖艶な笑みを見せた。
「雪野とこういうことしたいなって、相談してたからね。話す話さないのレベルで考えたことなかったんだ」
 そう言って近づいてきた整った形の唇が雪野の少し厚みのあるそれに重なる。数秒触れ合っただけで辰己は顔を離し、そっと彼女の柔らかい髪を撫でた。
「だから雪野が言いたければ言って良いし、内緒にしたければそれで良いよ。どうしたって面倒には巻き込まないから、安心して?」
 そして今度は頬に、瞼に、額に、キスを降らす。
「ん……」
 雪野が返事をしようと頷いたのを見て、辰己は再び柔らかな唇を舐めた。いつだって雪野とのキスは甘くて美味しくて、一度味わってしまえば止められなくなる。もっと、もっとと交わすたびに欲しくなる。だからいつも彼女とのこの瞬間を静かに、果てしなく続けば良いと願いながら過ごす。
「ねぇ、雪野」
 長いキスを終えて辰己は囁くように言った。
「そういえばこの前のライター、どうした?」
「え、ライター? ……まだ家にあるけど」
「やっぱりそれ欲しいな。今度持ってきて、ね」
 突然の辰己からの頼みに、雪野は驚きながらも嬉しさを感じた。「うんうん」と何度も頷いた。
「でも、どうして急に?」
「雪野にはいつもこの時間を貰ってるけど、離れてる間も雪野を傍に感じたいなと思って」
 あ、と思った。
 それはいつも雪野が辰己から貰ったものを眺めているときに感じているものだ。いつか消えてしまいそうなこの幸せな時間を過ごした後は、香水や腕時計やブレスレットなど、彼から貰った物を手にとって、これらだけは確かに在るのだ確認する。これは決して消えるものではないと感じられ、だからさっきまでの幸せな時間もまだ消えていないと実感する。
「うん、分かった。じゃあ次、絶対持ってきます!」
 そうして笑った雪野の表情がとても嬉しそうで、愛しく思えて、辰己はまた彼女を抱きしめた。さわり心地の良い彼女の髪を何度も撫で、口付けし、この暖かさを感じる。あの時断らなければ良かったと今更になって思う。
 雪野は抱きしめられながら目を閉じた。確かに辰己から貰った物は全て宝物だけれど、今この瞬間はそれら以上に大切なものだと感じながら、彼の温もりに身を任せた。

* * * *

「あれ、タツミって煙草吸ってたっけ?」
「ん? んー、始めようかな」
「やめとけって。お前見かけによらず喉弱いんだし。それにどうせ、それってファンからのやつだろ?」
「ファン……なのかな?」

≪F I N.≫

+++ あとがき +++
ご拝読ありがとうございます。カレカノ3です。
拍手のお礼用に書いたので短めな内容となっております。
結局こっちに降ろしましたが…いかがでしょうか。
香水2からだいぶ時間の経過した二人です。
少し進展した辰己と雪野が書ければとやってみましたが…。
うーん、なかなか、二人を書くのは難しいです。
それでも書こうと思えるのは、
偏に読みたいと言ってくれる方のおかげです。
期待に応えられてるか分かりませんが、
楽しんでいただければ幸いです。
2007/06/23 up  美津希