Ich Liebe Sie

WEB-CLAPお礼画面掲載作品

Ich Trenne Sie Nicht 〜離さない〜


 スケジュール帳を睨みつけても、この先の予定が変わるわけでもないのに、私はどうしてもそうしてしまう。というのもここ最近、全くと言っていいほど悠木君とスケジュールがかみ合わなくて、デートどころかサークルでも会うことが少なくなっているのだ。メールや電話は週に何度かしているけれど、やっぱり会って話したい。悠木くんの顔が見られれば話さなくたっていいのに。
「どうしたんすか、渡会先輩?」
 盛大な溜め息を吐いていると、そんな声が上から降ってきた。顔を上げると私の顔を覗きこんでいた千倉君と目が合う。千倉くんはサークルの後輩で、その、私に告白をしてくれた子だ。もちろん断ったけれど、まだ諦めてはいないようで、少し苦手でもある。千倉君ならもっと可愛い子や美人な子なんかを選び放題な気もするけど。
「ん、何もないよ」
 私が笑顔を作って答えても、納得はしてくれなかったようだ。まあ、それはそうだろうけど、あからさまに不満そうな顔をされても困ってしまう。
「そういえば最近悠木先輩見ませんね。とうとう別れたんですか?」
「まさか」
「なんだ、残念」
 大袈裟に肩を落とす姿を見て、私は思わず噴出した。千倉君もまたヘラっと笑う。笑うと千倉君の顔はまだ幼さがあって、悠木くんとはやっぱり違うなぁと思った。あまり会わないからか、最近考えるのは悠木くんのことばかりだ。
「あ、でも遊びに行くくらいならいいですよね。来週の日曜、空いてますか?」
 来週――も、確か悠木くんは介護実習で居ないんだ。もちろん私に何かあるはずもなくて。
「そりゃ、まあ」
 だからと言って素直に頷く必要はなかったのだと、後になって思う。

『それって浮気って言わない?』
 実習先から電話をくれた悠木くんに千倉君から誘われたことを話すと、呆れたような声が届いた。あたしは驚いて、たぶん半分パニックになった。
「え、うそ、そうなの? ごめんっ……、あの、私、どうしよう!?」
『とりあえず落ち着け、渡会』
 完全に焦る私に悠木くんは、子どもをあやすようにゆっくりと優しく言ってくれる。電話の向こうで苦笑しているのかもしれない。
『で、行くの? 日曜に千倉と』
 悠木くんの声が心なしか鋭くなった気がした。私の心臓はビクついて鼓動を速める。
「……行かない。浮気、したくないし……」
『そうだな。俺も行ってほしくないな』
「え、ほ、ほんと?」
『当たり前だろ。相手が千倉なら尚更」
 うわ、なんか……、嬉しいかも。
 胸がきゅっと詰まるほど喜びに顔をニヤけさせていると、だけどなぁ、と溜め息交じりの悠木くんの声が聞こえた。
『あいつも相当しつこいからな、渡会が断れるかなぁ』
「大丈夫だよ!」
 誘われた時は思わず素直に頷いてしまったけれど、断るときは首を横に振るだけだ。私にだってそれくらいの意志の強さはある、と思う。
『そうか。じゃあ絶対断れよ?』
「うん!」
 私は意気込んで返事をした。やる気は充分だった。
 だから翌日、早速食堂の前で千倉君を見かけたときはチャンスだと思った。ラッキーかもしれないと、気合を入れた。
「千倉君!」
 私が話しかけていくと彼はニパッといつもの笑顔を見せる。
「うわ、嬉しいなぁ、先輩から来てくれるなんて! 日曜楽しみにしてますからね」
「そのことなんだけど、私やっぱり日曜は」
「やっぱり俺の誘いを受けてくれるってことは悠木先輩じゃダメだったんすね」
 胸の前で拳を作って勢いよく言いかけた私の言葉は、あっさりと千倉君に無視をされた。
「や、違っ」
「友達が呼んでるんでもう行きますね。じゃ」
 そう言って素早く私の横を走り去っていく彼に、私はただ呆然としているしかできなかった。――どうしよう。

 仕方がない、と私が最終的に下した決断は、直接断りに行くことだ。待ち合わせ場所まで行って、断って帰ってくる。うん、完璧。大丈夫。食堂の前の時のように無視されても言うだけ言えばいいんだから、簡単なことだ。その後ダッシュで帰れば、何も問題はない。
 千倉君の電話番号さえ知らない私はそうするしかない。家を出る前に何度も断りのセリフを繰り返して、勢いよく玄関を出た。ごめん、千倉くん。私はやっぱり悠木くんが――。
「どこ行くの?」
 ドアを開けたまま、私は思わず固まった。
 居るはずのない人の姿があって、聞こえるはずのない声がした。
「悠木、くん……?」
 どうして彼がここに居るんだろう。だって今週いっぱいまでは実習先に居るはずで、間違っても私の家の前になんか来れるはずがなくて。
「断ったんじゃないの?」
 どこか機嫌の悪いその声は、確かについ最近電話越しで聞いた悠木くんの声だった。困惑、驚愕と共に込み上げてくるこの嬉しさはなんだろう。
「学校じゃ話、聞いてくれないから、今から断りに行こうと思って」
「今日って日曜日だよな?」
「う、うん、そうだけど……」
 パタン、と後ろでドアが閉まる音が小さく聞こえた。いつの間にか手を離していたらしい。だけど今はそんなことはどうでもいいのだ。悠木くんが珍しく怒りを露にしていて、私はそれが怖かった。こんなカオ、させたくなかったのに。
「本当、渡会って律儀っていうか真面目っていうか」
 悠木くんは溜め息を吐いて額を手で押さえた。完全に呆れられた仕草に、私の胸がズキンと痛む。原因は自分なのに、分かっているのに傷つくなんて、なんてバカなんだろう。
「ごめん。ごめんね」
 泣きそうになる私に、悠木くんは少し困った顔で「そうじゃなくて」と首を横に振った。
 私と悠木くんはとりあえず家の前だとまずいから、と近くの公園に移動した。日曜だけれど住宅地の隅の方に位置する小さなこの児童公園に人気はあまりない。私達はそこの一つしかないベンチに並んで腰掛ける。
「とりあえずさ、俺は怒ってないから」
 まだ泣きそうな顔をしているんだろう、悠木くんは優しく私の頭を撫でながら言った。
「あいつのことなんて無視すりゃいいのにさ、わざわざ伝わるまで言いに行こうとするところが渡会の良いところでもあるんだけど」
 無視なんて――思いつかなかったし、できないよ。
 そう言おうとして悠木くんの方を見上げると、困ったように微笑む悠木くんと目が合った。
「しょうがないんだよな。うん。分かってるから」
 そこには諦めにも似た声色が入っていて、だけどどうしてこんなに嬉しく思うんだろうか。そのことに少し自己嫌悪する。
「だから渡会はそのままで良いよ。要は俺が離さなけりゃいいんだから」
「え……っ?」
 何か今、とんでもなくすごい殺し文句を言われた気がする。
 だけど照れたように笑う悠木くんに聞き返すのは少しだけ躊躇われて、私は自分の顔もきっと赤くなっているんだろうと自覚しながら、その甘い空気を少しだけ長く味わうことにした。
 そうだよね。私も離れたくないから、悠木くんが離すまで私達はきっと、大丈夫だよね――。