Ich Liebe Sie

15万打御礼記念企画・リクエスト作品

Ihre Temperatur 〜君のぬくもり〜


「え……?」
 私は思わず気の抜けた声を出していた。あれ、と古瀬さんは首を傾げる。
「聞いてない? 今日、明良休みだよ。風邪引いたんだって」
「……聞いてない」
 メールしても返ってこなかったし、電話を掛けても出なかった。どうして私には何も教えてくれないのだろう。
 俯く私に、古瀬さんは困ったようにううーん、と唸る。
「まったくしょうがないね」
「……」
「お見舞い、一緒に行こうか?」
「ううん。一人で大丈夫」
 私はバカだ。教えてくれなかったことよりも悠木くんのことを心配しなくちゃいけなかったのに。
 連絡取れなかったことは会ってから聞けばいいだけだ。なんて自分勝手な奴。いつからこんなふうになっちゃったんだろう。
 いや、それよりも。今はそんなことで自己嫌悪しても意味はない。
「あ、じゃあ、今日は私、先に」
「うん、先輩には言っとく」
 お願い、とそれだけを言って私は踵を返した。気持ちだけが早って急ぎ足になる。
 門へ向かう途中の本館の入り口前で、掲示板がある向かい側から歩いてくる工藤先輩に気づいた。
「あれ、帰るの?」
 工藤先輩も私に気づいたらしく、声を掛けてきてくれた。
「悠木は?」
「えっと、今日は風邪で休んでるみたいで」
「そうか。気を付けて」
 工藤先輩は小さく笑みを見せて言った。私は滅多に見れないその表情にどきりとしながら、はい、と頭を下げて歩き始めることにした。
「あ、渡会」
 別れてすぐに呼び止められ、私が振り返ると工藤先輩は、少し表情を歪ませていた。
「この前は悪かったな」
「え?」
 この前、という事の意味を掴めずに先輩を見ていると、工藤先輩は言い難そうに少し視線を外して言った。
「悠木にわざと、渡会に気のある言い方してさ」
「あ……」
「渡会にも悠木にも悪かったかなと思って」
 すまなさそうにする工藤先輩に、私は思い切り首を振った。
「いえ。あれはあれで、良かったと思います、今は」
 確かに少し恥ずかしい思いはしたけれど、工藤先輩のこともあったから悠木くんはちゃんと私に向き合ってくれた。今にしてみればそう思えるから、私は微笑んで言える。
「すみませんでした。それから、ありがとうございます」
 私は再び頭を下げて、踵を返す。階段を駆け下りて門を駆け足で抜ける。
 時間を確認すると、次の電車が来るにはまだだいぶ余裕がある。私はそれでも早くなる足を休めることは出来なかった。
 悠木くんが住むアパートには数えるほどしか行っていないけれど、私は迷うことなくたどり着くことが出来た。いつもと違う駅で降り、見慣れない気色の道を歩く。けれどその先が悠木くんの元だと考えるだけで、早く早くと急かす自分がいる。会いたい。ただそれだけで。

 インターホンを鳴らす。ピーンポーン、とゆっくり間延びした音が響き、しばらくしてから静かにドアが開いた。
「はい。どちらさ、ま……」
 ゆっくりと顔を持ち上げた悠木くんの顔が、見る見るうちに驚愕の表情へ変化していくのを、歪んだ視界で私は見ていた。
「え、渡会? え、ちょ、どうした?」
 目の前の悠木くんがぐらぐらと揺れるのはどうしてだろうと考えて、けれど原因なんてすぐに分かる。悠木くんの部屋のドアの前まで来た時はドキドキと高鳴っていた心臓。彼の姿を見た途端、目頭が熱くなった。
「何、どうしたの。や、待て。ちょっと片付けるから」
 あたふたと部屋の中へ戻って忙しなく動き回る悠木くんの気配を感じながら、私は流れてくるこの雫をどうすることもできなかった。
 また私はここへ来れたんだと、悠木くんの傍にいてもいいんだと認められた気がして。どこかがプツンと途切れるように緩んでしまったんだ。
 悠木くんは具合が悪いのに、私なんかのために気を使ってくれて。なんだか申し訳なくなってきて、余計に溢れ出した。
 きっとウザがられる。こんなヤツ、私だったら嫌だよ。でも、止め方が分からない。
「とりあえず、ほら、上がれよ」
 私の肩を抱きながら、悠木くんは静かに背中側のドアを閉めた。
「うん、ごめんね」
「ん、何が?」
「……ううん。お邪魔します……」
 私が靴を脱いでいる間に悠木くんは先に部屋へと入った。廊下とも呼べない短い距離を経たそこは、8畳ほどの空間が一つだけある。入って右側に大きな窓があって、その向かい側にベッドが置かれている。突き当たりに本棚と机が置いてあるだけの、至ってシンプルな部屋だ。私がその部屋に入ると既に悠木くんはベッドに横になっていた。
「風邪、大丈夫?」
「だいぶ。そうだ、メール、返せなくてごめんな。心配させたくなかったんだけど」
「言ってくれた方が良かったのに」
「ん。悪かった」
 私がベッドの前に腰を下ろすと、悠木くんが私を見上げる形になる。
「熱あるの?」
「んー、どうだろ。朝は8度近くあったけど。今はそんなに辛くないし」
「ご飯は? お粥でも作ろうか?」
 すると悠木くんは私の後ろの方を指差した。見ると小さな折りたたみ式のテーブルに空になったお皿が一つとスプーンが置いてあった。
「レトルトだけど、さっき食ったから」
 私は少し寂しくなって、けれど他に何かやれることはないだろうかと考えを巡らせた。
 あ、あるじゃない。一番肝心なことが。
「薬は? 病院行った?」
 悠木くんはフルフルと首を横に振ったので、私はいそいそと立ち上がる。
 けれど悠木くんの手が私の手を掴んで、立ち上がり損ねた。中腰のままその手を見つめてしまう。少し、熱い。それは果たして彼の温度なのか。それとも私の体温なのかもしれない。
「あの……」
「居て」
 擦れるほどの声で悠木くんが呟く。
 私の鼓動はどんどんと加速していく。
「渡会が来てくれて嬉しいんだ。少しだけ、ここに居て」
 じんじんと、捕まれている手首に熱が帯びていく。
 また、泣きそうになった。心臓を捕まれたように、締め付けられる。
「居るから。ちゃんといるから、おやすみ、悠木くん」
 ゆっくりと目を閉じる悠木くんに、私もそっと囁く。
 そして私も座り込んで、頭をベッドの上に置いた。目の前には彼の寝顔がある。
 その規則正しい呼吸を耳にする。
 目を閉じると二人の距離がぐっと近くになる気がする。
 私も何だか眠くなった。
 手首から伝わる少し高い悠木くんの体温が、なぜか心地良くて。

+++ FIN. +++

ご精読ありがとうございました。
御礼企画のリクエストにより、Ich Liebe Sieから書かせていただきました。
いかがでしたでしょうか。設定としては本編から少し経った頃ですね。
リクエスト内容に「悠木が取り乱す云々」とあったのですが、あまり、です…すみません(汗)
こういう企画は初めてだったのですが、皆様に喜んでいただければ幸いです。
美津希