Short×Short

WEB-CLAPお礼画面掲載作品

えんどう豆のプリン


 僕はえんどう豆があまり好きじゃない。豆そのものを嫌いなわけではなくて、その名前が苦手なのだ。何にでも名前というのはあるもので、そのものを表す呼び名が気に食わないというのはたいへんなことだと思う。だって仮に僕の名前が嫌だと言われて、その相手のことを何とも思ってなかったとしても、それだけで僕はその人のことを嫌いな部類の人間に入れるだろう。僕が僕であることを表す名前を嫌だと言われて何とも思わない人なんていない。だけど僕は、えんどう豆という呼び名を好きになれそうもないのだ。
 僕がえんどう豆を意識し始めたのは小学3年の時の給食の時間だった。それまでにも給食の中でえんどう豆は食材として出ていたのだけど、それを話題に取り上げる子は居なかった。だけどなぜかその時、その小さな、主役になるのは大人の酒のつまみになるくらいでしかない存在の、えんどう豆を取り上げた奴が僕の隣の席に座っていた。
「おーい、えんどうがここに居るぞー。お前の仲間が食べられるぞー」
 今考えても本当にしょうもなくて馬鹿げた子供のセリフだと思う。実際その手のからかいは想定できる範囲内だ。だけどその時の僕はあまりにも衝撃を受けて、もともと積極的に人と付き合うことのしない子供だったから、何も言い返せないでただ黙々とパンをかじっていた。周りの子も何がそんなに面白いのか、「ほんとだぁ、共食いじゃん」などと言って笑うだけだ。そんなに親しくない女の子達も顔を見合わせてくすくすと肩を揺らしていた。

 それから月日は流れて、僕も一人前に可愛らしい彼女を持てて、えんどう豆の共食いだ何だとからかわれることもなくなった。お酒は進んで飲む方じゃないからえんどう豆や枝豆を食べることもそんなになくて、たまに誘われた居酒屋でもそういうオーソドックスのつまみよりも少しこ洒落たサラダやパスタなんかが出てくるから、僕はえんどう豆へのコンプレックスを記憶の片隅に追いやっていたのだ。そこは意識しないうちは絶対に開かない扉で、そう簡単には開けたくないと気づかないうちに避けている場所でもあったんだろう。
 だからそれは突然だった。いきなりこじ開けられたというよりは、錆びた鍵がちょっとしたことで外れて、鍵が錆びていたことに僕自身が気づいていなかったから、急に開けられたのだと錯覚するような、そんな感じ。
「遠藤くん、見て見て、これ!」
 彼女がコンビニの袋を持ち上げて嬉しそうに飛び込んできた。今日は一緒に夕食を取ろうと約束していた日で、大抵彼女からそういう誘いが来るときは僕の部屋で彼女の手料理が披露される。だから今日も彼女はここに来る前食材か何かを揃えてきたんだろう。手に持っているのは小さな鞄とスーパーの名前がでかでかと印刷されたビニール袋と、今僕に見せ付けるように掲げているコンビニの小さなビニール袋がある。僕はとりあえず重そうなスーパーの袋を彼女の手から奪うと、首を傾げてみる。
「なに、それ」
 僕の質問に彼女は可愛らしい笑顔を満面に浮かべて、嬉しそうに僕の後を着いてくる。別に僕のことで嬉しそうな顔になっているわけではなく、その笑顔の原因は彼女の手の中にある袋に入っているものだということは、彼女が見てと主張してきた時から分かっていた。そしてその中に何があるのか、僕は大体の予想が付いていたりする。
「へへへ、新商品のプリン! 二つ買ってきたからあとで食べようね」
 ああ、やっぱり。
「んじゃあ先に冷蔵庫に入れといて」
「うん!」
 僕の彼女は新商品は必ず試すタイプだ。それがおやつ系の商品なら尚更で、ちなみに限定と書かれたものにも弱い。割と女性に多いタイプだと思う。僕はどちらかと言えば気に入ったものを飽きずにずっと買い続けるタイプだから、あまり新しいものを食べない。その点では彼女と良いバランスを取れてる気がする。彼女から得る美味い物情報はあって損することがないし、そこから新たに気に入るものが出てきたりするのだ。
「今日は何作るの?」
 袋から肉やジャガイモを取り出しつつ彼女に聞いてみる。この材料からだとカレーか肉じゃがか、あとは……。
「ビーフシチューに挑戦してみようかと思って。この前好きだって言ってたし」
 彼女は最後の辺りでどこか恥ずかしそうに笑って言った。僕はそれがどうしてか分からず、でもそんなことは特別気になることでもなかったので材料を袋から出す作業を止めることなく言葉を返した。確かに僕はクリームシチューよりはビーフシチューの方が好きだけど。
「いつ言ったっけ」
「ああ、遠藤くんじゃなくて、お兄さんに聞いたの。次何作ろうか迷ってた時に偶然会ったんだよね」
「ふうん」
 そんなことは兄貴からも聞いていなかった。僕は驚きよりももっと醜い感情が生まれていることに気づいた。たかだか彼女が僕の知らないところで兄貴に会ってたということだけで、どうしてこんなスッキリしない気分になるのだろうか。嫉妬なんて僕らしくないと思う。けど、そんなことを彼女に言ってもどうしようもなわけで。僕は思わず溜め息を吐いた。彼女は彼女で既に台所に立っていて僕のことなんて気づいていない様子だ。
「遠藤くんのお兄さんて話しにくい人なのかなぁって思ってたけど、意外にそうでもなくてびっくりしちゃった。よく遠藤くんのことを見てるなぁって感心したくらい。あたしにも色々アドバイスくれたし、良い人だよねぇ」
 ああ、すごく苛立つ。別に兄貴のことなんかそんなに褒めなくていいのに。むしろそんなに仲良くしてくれなくてもいいのに。
「どんなアドバイス貰ったの?」
 それでも僕は兄貴のことを心底嫌っているわけでもなく、彼女にそんな汚い感情を押し付ける気もさらさらなく、いたって平然な態度を取る。それに兄貴がよく人のことを見てるってのは本当だ。それは僕だけじゃなくて、人間全てが対象となっているということも知っている。兄貴の見る目は絶対だし、結構その人の本質を当てられると思う。だから彼女が兄貴から貰ったアドバイスは今後の僕に大きな影響を与えると思った。
 彼女は少しふふふっと笑ってもったいぶる。
「あのねぇ、よく分からないんだけど、とりあえず遠藤くんの好物は豆なんだって」
「へ?」
「だからえんどう豆を食べさせれば機嫌が良くなって、何でも言う事を聞いてくれるよって」
「へ?」
 なんだ、それは。僕がいつえんどう豆を好きだと言ったのだろう。いつそんな態度を取ったのだろう。僕は昔からえんどう豆という名前を聞くだけでも嫌な気分になるほど苦手なのだ。むしろその名前さえなければ兄貴の言うとおり好物として挙げられているだろう。だが残念ながら現時点でえんどう豆はえんどう豆でしかなくて、好物とは決して言い難いものだ。
「それ、本当に兄貴が言ってたの?」
 一応念のために聞いてみる。兄貴のそっくりさんだったという確率は極めて低いけれど、ゼロでもないはずだ。兄貴が僕の好物を知らないわけが無いのだ。断じてえんどう豆なんかじゃないことくらい、知っているはずなのに、どうしてそんな情報を彼女に渡したのだろう。
「そうだよ? だからあのプリン見つけた時、絶対買わなきゃって思ったもん」
「……プリン?」
 なぜそこでプリンが出てくるんだ。今は豆の話をしているんじゃないのか。そんな僕の疑問が台所に居る彼女にも伝わったのか、冷蔵庫から袋を取り出してわざわざ僕の前に置いてくれた。そして中からそのプリンを手にして僕の目の前に見せてくれた。
「ほら、新商品の『ふんわりエンドウのプリン』特大サイズ」
 ね? と小首を傾げて僕を見上げる彼女は今すぐ抱きしめたくなるほど可愛いけれど、今は目の前のプリンがそれを邪魔する。
「それ、美味いのか……?」
 きっと美味いとか不味いという問題ではない。だけど聞かずには居られない鮮やかすぎるパッケージの緑色は、感覚的に体に悪い気がする。しかも使われてるベースが豆なのだ。プリンとしてどうだ、味の想像ができない。苦手意識を持ってる僕はあまり好きになれそうにないと思うのだけれど。
 そんな僕の不安をよそに彼女はにっこりと僕の好きな笑顔を浮かべた。
「大丈夫だよ。えんどう豆が好きなら絶対イケる! だから楽しみは置いとくの!」
 そういえば彼女は好きなものは最後まで取っておくんだ。それはコンビニ弁当のハンバーグだったりラーメンの上に置かれるチャーシューだったりする。僕はそういうことをしないから、最初は嫌いなのだと思って親切心から箸を伸ばしてしまい、彼女と口論になったのは一度や二度じゃなかった。今ではすっかり学習したからそんな言い合いも無くなっている。
「良ければ僕の分もあげるけど」
 ぼそりとダメモトで呟いてみる。結構小声で呟いたつもりだったのだけど、テレビも付けてない静かな部屋の中では彼女の耳にしっかり届いたらしく、「だめだよー!」と彼女の声が返ってきた。
「遠藤くんの優しいところは好きだけど、そういう優しさは要らないの。お兄さんにも言われたのよ。きっと好きなものを分けることになっても遠藤くんは遠慮するだろうから、そのことにちゃんと気づいてあげてねって」
 ……余計なことを。
「だから遠藤くんの分は遠藤君のものなの。それに聞いてほしいお願いもあるし……」
「え?」
 僕はやることがなくなって、彼女のいる台所に入ってみる。後ろ姿の彼女を見つめながら、さっき耳にした言葉をもう一度確かめることにする。今とても珍しいことを聞いた気がするのだけれど。
「願いって、何?」
 彼女が僕に“お願い”するなんて今までにあっただろうか。頼みごとなら何度かあったと思うけれど、それは事務的なことが多くて、恋人としての願い事なんてなかった気がする。彼女は甘えたがりのクセに甘え方を知らないのだろう。だから時々僕はじれったくなってしまう。僕としてはもっと甘えてほしいし、どんな我侭だって彼女のためならできる限りのことをしたいと思っている。それが男というものじゃないのかな。
 彼女は僕が台所に立っていることに気づいたのか、恥ずかしそうにこちらに振り向いた。少し頬を赤く染めるその表情は、それだけで僕の胸を高鳴らせる。そんな表情を他の誰にも見せたくないと思うほど、今の彼女は一段と可愛い。
「や。そんな、ちょっと言ってみただけだから」
「いいじゃん別に。何?」
 どうして遠慮することがあるのだろうか。素直に言えばいいのに。でもだからこそ彼女だとも言えるのか。
 じりじりと寄っていく僕に彼女はふいっと顔を前に戻し、包丁を慣れた手つきで動かしていく。彼女が切っているのは皮をむいたジャガイモだ。
「いい、言わない」
「言ったあとにそれはないんじゃない?」
「うっ……」
 僕は後ろから彼女に声を掛ける。腕を伸ばせばすぐにでも抱きしめられる距離だけど、包丁を持ってる彼女に抱きつけるほど僕には勇気がない。だからせめて縮められるだけ距離をなくそうと近づいた。彼女の心地いい香りが僅かに僕の嗅覚を刺激し、それだけで僕は参ってしまいそうだった。
「じゃ、じゃあっ、プリン食べた後に言う」
「えっ」
 彼女の香りに夢見心地だった僕の脳は、その言葉で一気に現実に意識を戻した。
「遠藤くんにプリンを食べさせた後に言うから、今はいいでしょ。できるまで待ってて」
 それって。

 はぁ、と僕は盛大な溜め息を吐いて台所から出て、どかっとリビングの中央を占領している小さなソファに体を沈めた。どうしたって兄貴のアドバイスどおりになるんじゃないか。
 だけどそれで良いのだ。例え僕がえんどう豆を好きじゃなくても、結局は僕の機嫌は上昇しているんだから。彼女の初めての“お願い”にこんなにも上機嫌になっている自分に苦笑しながら、僕はこの後口にするプリンのことを思った。

≪ F I N. ≫

+++ あとがき +++
ご拝読ありがとうございます。拍手からの降下作品です。
拍手のお礼画面では要領のため前後編に分かれてました。
なのでつなぎの部分がおかしくなってるかもしれませんが…。
これは実際枝豆味のプリンを食べた時に思いついたので、
(まぁエンドウじゃなくて枝豆でしたが)
そのまんまなネーミングです…センス云々は省略。
これで全国の遠藤さんが気を悪くされないように祈るばかりです。
2007年6月21日up 美津希