Short×Short

高く、放たれた羽根は


 高く、天井目掛けて放たれた羽根は、重力のままに弧を描いて落ちていく。
――眩しい。
 ステップを踏みながら目を細め、タイミングを見計らって腕を振った。ラケットの中心に芯が当たり、パンッと切れの良い音を立てて、打たれた羽根は線を描く。高さ155センチメートルのネット際に落とされたシャトルは、相手のラケットの面に軽く当たり、踊るように回って再びネットを越える。それをすかさず高く上げ、また自分の上に戻ってくるのを待った。前屈みになった体勢から構え直してのカットやドロップは難しいのだ。
――あっ。
 けれどシャトルはキレイにネットの前に落ちていき、慌てて前へのステップに切り替えた。ネットへは落とさず上げてみるが、高さはそれほど持たず、中途半端に相手の懐へ入ると今度は自分の方へシャトルが上げられる。
 カットは苦手だった。ただそれ以上に、クリアは好きになれなかった。

* * * *

 閉め切られた体育館の外は、気温30度という真夏日にも拘らず涼しく感じられる。体育館が2階にあるため日当たりも風当たりも良く、15人弱の部員達は生暖かい風を心地良く受けながら入り口付近に座り込んでいた。そこへビニール袋を持って二人の少女が階段を駆け上がって彼女達の前に現れた。
「お疲れー!」
 冬花(ふゆか)と買ってきたアイスを配りながら、里衣(さとい)がメンバーに激励の言葉を掛けていく。 皆配られたアイスを嬉々として受け取り、地べたに座ったまま美味しく食べ始めた。たかだか10分間しかない休憩の中で、その食べる速さは尋常ではない。
「んめー! マジ美味い!」
 一口を噛み締めた後、乙美(いつみ)が空を仰いで叫んだ。それにつられるようにして他のメンバーも個々に喜びの声を上げていく。
「あーっ、このまま帰って寝たいー!」
「はいはい。早く食べてよー。この後ノックしてキング戦だからねー」
 里衣が部長らしく言うと、ムードメーカーの乙美が立ち上がって拳を上げた。その掌にはアイスを掬う木製のスプーンがしっかりと握られている。
「おーしっ、頑張るぞー!」
「おおっ!!」
 他の部員もそれに合わせて拳を高く振り上げた。

「冬花」
 すっかり日の暮れた後、更衣室から出た冬花は不意に呼ばれて振り返った。そこにはエナメルのショルダーバックを肩に掛けた男子生徒が立っていて冬花を真っ直ぐに見ていた。冬花と一緒に更衣室を出た里衣も彼に気づき、あ、と思い出す。
「じゃあ冬花、またね」
 気を利かせてそう声を掛けると、冬花は戸惑いながらも照れたように笑い、またねと手を振り返した。そして声を掛けた彼――日野彰吾(ひのしょうご)のところへ駆け寄っていく。
「ごめんね、待った?」
 控えめに冬花が聞くが、彰吾は素っ気無く首を横に振っただけだった。
「ん、別に。行こっか」
 その短い言葉とは裏腹に、その眼差しは優しく、さり気なく冬花の抱える荷物を自分の手の中に入れて持ち上げた。
 そんな二人の後ろ姿を里衣は複雑な表情で眺めていた。冬花と彰吾が付き合いだしたのはもう1ヶ月も前になるというのに、未だにこの気持ちは吹っ切れずに胸の奥に居座り続けている。相変わらず往生際が悪いと、つくづく思う。
「あれー、里衣? どうしたの、ボーっと突っ立って」
 冬花と彰吾の姿が見えなくなるまでぼんやりとしていた里衣に、遅れて更衣室から出てきた乙美が声を掛けた。更衣室に残っていたのは彼女が最後らしく、乙美の手には更衣室の鍵が握られていた。
「んー、ちょっと。一緒に帰らない?」
 里衣が何でもないとでも言うように返事をすると、乙美は特に気にする様子も見せずに笑顔で応えた。
「いいよ。鍵返してくるからちょっと待ってて」
 体育教官室へ鍵を返しに行った乙美を待って、里衣は駐輪場へ行った。電車通学の乙美は駅までバスを使うのだが、自転車通学の里衣と一緒に帰る時はいつも彼女の後ろに乗せてもらうか駅まで歩くのが普通だった。
「そういえば冬花は? 一緒に更衣室出てなかったっけ?」
 里衣の隣を歩きながら門を出たとき、ふと気づいたように乙美が言った。瞬間里衣の顔は強張ったが、すぐにいつもの表情に戻ったので乙美はその変化を見なかった。
「日野くんと帰ったよ」
「あーそっかぁ、付き合ってたんだっけ。いいなー、ラブラブな彼氏、あたしも欲しいなぁ!」
 冬花と彰吾が付き合っていることを知っている人間は少ない。二人はクラスメイトだというのにそれもおかしなことではあるが、乙美にすればあの二人なら仕方ないとも思う。冬花はコートの中では積極的な攻撃型の選手だが普段は大人しすぎるくらい大人しい、可憐という言葉がしっくりくる少女だし、彰吾もサッカー部でフォワードという花形の選手であるがやはり普段は無愛想で無口な男だったりする。乙美は二人とも同じクラスになったことがないから分からないが、きっとクラスの中でも二人で話すということは少ないのではないだろうか。だから乙美も里衣から聞くまでは冬花が誰かと付き合うという事実に驚いたものだ。
「乙美は居ないの? 好きな人とか」
 里衣に何気なく聞かれ乙美はうーんと唸るが、肩を竦めてみせた。
「ぜーんぜん」
 それから里衣の方へ顔を向け、笑顔を作った。乙美は里衣の気持ちを聞いたことがあったから、今里衣がどんな複雑な心情を持っているのか、何となくは想像できる。そんな里衣に、今自分が作れる最高の笑顔を見せた。
 からっとしたその笑みに里衣も何となくほっとし、この明るさが乙美なのだと感じた。自然とそんなふうに笑える彼女が羨ましく、尊敬する。
「じゃあ好きなタイプってどんなの? っていうか乙美とこういう話ってあまりしないよね」
「だねー。まあどんなタイプが好きかって言われれば、日野でないことは確かだわ、うん」
「なにそれ? 嫌味ですか、僻みですか、あてつけですか」
 棘のある口調とは裏腹に、里衣の表情は明るい。乙美はそのことに安心して、歯を見せて笑った。
「そんなのじゃないって。ただ小中高と一緒だった腐れ縁仲間としては、そんなふうに思えないってだけ。カオが良いのは認めるけどね」
「腐れ縁って言えば、久坂(くさか)くんとも付き合い長いんでしょ。どうなの、その辺は」
「えー? 久坂と? やめてよー、それこそあり得ないって!」
 手をぶんぶんと振り回して否定するが、その大袈裟具合がむしろ里衣には怪しく思えた。だが乙美がそんなふうに振舞うのだから、深入りしても無駄だろうとも思う。だから意味深な笑みを浮かべるだけにした。乙美にしてみればそんな里衣の方が怪しく見えるのだが。
 しばらくして表通りに出る。ここから真っ直ぐに行けば駅があり、里衣の家とは別方向だ。十字路の信号の前で別れることになる。
「それじゃまたね」
 里衣が手を振って自転車に跨ぐ。
「うん、また明日!」
 その後ろ姿に乙美は腕を振って声を掛けた。
 すぐに信号が青に変わり、乙美は駆け足で渡っていった。

 乙美の家は住宅街の中にあり、ポツポツと窓から漏れる明かりと数メートルおきに設置されている街灯以外の明かりはない、暗闇の道を歩いていく。それでも暗闇に慣れた目と晴れた空に浮かぶ月光で、それほどの暗さも感じず、恐怖心が生まれたことはなかった。
「おーっ、いっちゃん、遅かったなぁ!」
 家のゲージを開けて入ろうとすると、上から声が掛かった。見上げると隣の家の窓から見知った顔がこちらの方に体を乗り出して見下ろしていた。すでに普段着姿の彼は髪も若干濡らして、見るからに風呂上りといった趣だった。
「大声出さないでよ、近所迷惑でしょ」
 乙美が呆れたふうに言うと、彼は軽く笑って部屋の方へ戻っていった。だが乙美が玄関の鍵を開けて家へ入ろうとするとき、再び物音が隣の家から聞こえ、見るとちょうど、彼が家の外へ出てきたところだった。
「いっちゃん、英語の単語テストやった?」
「あー、うん、やった。久坂んとこはまだだっけ」
 乙美は開けたドアをそのままに答えた。その間に隣家に住む幼馴染み、久坂和寿(かずとし)は柵を越えて乙美の隣にまでやってきた。
「明日だよ、明日。だから範囲教えて?」
「いいけど……今急ぐようなことでもないでしょ。久坂なら直前で覚えられるのに」
「いいじゃん。どうせいっちゃん、今から食べて寝るだけだし。あっ、二人とも帰ってくるまでいっちゃんの部屋で勉強するってのも有りかなぁ」
 勝手知ったる何とやらで、早速家へ上がりこもうとする和寿の服を引っ張り、乙美は待て待てと制する。
「誰がイイって言ったよ。仮にも女の子よ、あたし。勝手に入るもんじゃないでしょーが」
 すると和寿はキョトンとした表情で乙美を見下ろす。確か中学に入るまでは乙美の方が高かった身長も、いつの間にか乙美の方が見上げるまでに差がついてた。そういえば和寿は男なんだ、と意識したのは中学に入ってすぐだった。逞しくなる体に、元から出来てた頭の良さが幸いしてそれなりに騒がれて、周りの子たちに合わせるように「久坂」と呼ぶようになったのだ。それでも二人だけの時、和寿は「いっちゃん」と呼んでくれるのに、乙美の方は「かずちゃん」と昔のように呼べなくなっていた。
 キョトンとして乙美を見ていた目はすぐさま弧を描いてニヤッとした笑みになる。
「なに、意識しちゃってんの? いっちゃんってばかーわいーい!」
 途端に乙美の顔が赤くなる。明かりの少ない外だったけれど、その変化は和寿にとって手に取るように分かった。そんな乙美を素直に可愛いと思う。
「ば、ばっかじゃないの!? 常識でしょう、常識!」
 明らかに動揺している乙美に「分かってるよ」と和寿は言う。だが込み上げてくる笑いを止めることは出来ず、肩を震わせてクックッと声を上げる。その態度に乙美はますます居た堪れなくなる。
「もう、なによっ、久坂相手に意識しちゃ悪いわけ!? あたしだって思春期の女の子なんだから意識くらいするでしょ!」
 いつまでも笑って動かない和寿に乙美は開き直ってみるが、それでも和寿は「そうだね」と何を思っているのかよく分からない返事しかしない。
「俺としては彰吾よりも早く意識されたかったけど、まぁ今は同じくらいってことで良しとするか」
「はぁ? 何ワケわかんないこと」
 なぜそこで彰吾の名前が挙がったのか分からない。そんな乙美にすかさず和寿は顔を近づけて答えた。
「だって好きだったんだろう? 彰吾に彼女が出来て今は吹っ切れてるみたいだけど」
「な!!」
 知ってたのか。乙美は驚いてそれ以上何も言えず、口を金魚のようにパクパクと動かすだけだった。いつから気づかれていたのだろうか。冬花はともかく、里衣にすら気づかれていないのに。
「それくらい気づくって。何年一緒にいると思ってんの」
「うー……」
 なんだか悔しい。そういえば久坂のそういう話は全く知らない。好きな女の子のタイプとか、今彼女はいるのかとか、そういう諸々のことを、全然知らないのだ。何も言ってくれたことすらない。――それは乙美自身にも言えるが。
「ってことで入るよー。あ、大丈夫、まだ取って食ったりしないから。とりあえず単語帳貸して」
 唸る乙美を横切って和寿はさっさと家へ入っていく。
 その後に続いて乙美も家へ入り、ドアを閉めた。そこでふと気づく。
「……まだってどういうこと?」

* * * *

 高まる緊張感の中、高く、天井目掛けて放たれた羽根は、重力のままに弧を描いて落ちていく。
 ステップを踏みながら目を細め、タイミングを見計らって腕を振った。ラケットの中心に芯が当たり、パンッと切れの良い音を立てて、打たれた羽根は線を描く。高さ155センチメートルのネット際に落とされたシャトルは、相手のラケットの面に軽く当たり、踊るように回って再びネットを越える。それをすかさず高く上げ、また自分の上に戻ってくるのを待った。前屈みになった体勢から構え直してのカットやドロップは難しいのだ。
 けれどシャトルはキレイにネットの前に落ちていき、慌てて前へのステップに切り替えた。ネットへは落とさず上げてみるが、高さはそれほど持たず、中途半端に相手の懐へ入ると今度は自分の方へシャトルが上げられる。
 カットは苦手だった。ただそれ以上に、クリアは好きになれなかった。
 それでも、相手がバック奥を苦手とする選手なら、無理からでも奥へ飛ばした方が良いに決まっている。
 一瞬構えた腕に力を込めたが、打つ瞬間にラケットの面をずらした。気が変わったのだ。やはりここは前へ落とす。シャトルはコートの前端へ。ネットぎりぎりのキレイなカットは決まり、上げ損ねたシャトルはふわりとネットを越える。それを目掛けて叩き付けた。プッシュされたシャトルはクロスしてコートに入った。
――よしっ。
 軽く握り拳を作る。自然と笑みが零れる。無理な体勢からのカットが決まるとは思わなかった。嬉しかった。
「21−17、ゲームセットです」

≪ F I N. ≫

+++ あとがき +++
ご拝読ありがとうございます。
なんだかよく分かりませんが、
急にスポーツ物が書きたくなりました。
ってことで意外とハードなバドミントン。
バドミと略して言ってました、中学時代。
いえ作品の舞台は高校ですが。
一応前編的なノリで人物の関係図みたいな
仕上がりですが、後編は全く考えてません。
中途半端好きですね、私…。
まぁ例の如く突発掌編なので勘弁してくださいw
ではここまで読んでいただきありがとうございました。
2007/04/25 up  美津希