Je t'aime

51


 3年の授業は実質的に1月の半ばで終わり、2月の卒業式までは自由登校になる。
 だから最近、あたしは暇で暇でしょうがない。
「椿! いつまでも寝てないで少しは手伝いなさい!」
 リビングのソファでごろごろとテレビを見ているとお母さんに怒られた。仕方なく横になっていた体を起こし、よいしょ、と立ち上がる。
「何、これ捨てるの?」
 母は忙しなくアルミ缶やペットボトルをゴミ袋に放り投げている。
「そうよ。あんたはこれ潰して」
 そうして手渡されたのは十数本、大小様々なペットボトル。思った以上にあたしたち家族はこれらに世話になっていたらしい。
 蓋と容器を分け、カッターを使ってラベルを剥がす。それから足で容器を踏み潰すと、だいぶ体積が縮小されてゴミ袋に全て入れることができた。
「それ終わったらこれ全部捨ててきて」
 全部、と指を差されたのは合わせて3つのゴミ袋だ。ペットボトルと、アルミ缶と、スチール缶。思わず溜め息が出る。
 家からゴミ置き場まで坂を上って2,3分だ。大した距離ではないけれど、この季節にあまり外へは出たくない。
「う。寒っ」
 身震いをして、足早に歩き出す。けれど3つも大きな袋を持っていてはかなり歩きづらく、なかなか早くは進めない。おまけにビニール越しで缶の角がカシャンカシャンと足に当たって痛い。
 吐く息が白く、浮かび上がってはすぐに消えるその様を何度も繰り返す。
 ゴミを置くと駆け足で坂を下り家に戻った。小走りしたせいか、心なしか暖かくなった気がする。
「ああ、椿。さっきケイタイ鳴ってたわよ」
 リビングのソファに再び寝転ぼうとしたあたしに母が声を掛けてきた。
 テーブルの上に置いてあった自分の携帯電話を取ると、確かにメールが1件あった。
「あ」
 思わず声が漏れる。
「何? 例の彼氏?」
 お母さんにはクリスマスの時点で既に藤崎君のことは知られていたので、あたしは素直に「うん」と頷いた。
 それは藤崎君から大学の合格発表通知が届いたのだという知らせだった。



「ご卒業、おめでとうございます!」
 そうして花束と記念品が入った紙袋を渡される。
「ありがとう」
 式が終わって、あたしと彩芽は芳香たちと合流して文芸部の後輩達のところへ集まっていた。
「先輩たち、一緒に写真撮ってください!」
「あ、あたしも!」
「お願いしますぅ!」
 3年同士と撮ったあと、後輩達と撮りあい、最後に全員の集合写真を撮る。こういう光景を見ると、ああ、本当に卒業式なんだなと実感する。胸に付けたコサージュがやけに重く感じて、そっと撫でた。
 式は答辞を聞いたり校歌を歌ったり、卒業証書を受け取るだけの呆気ないものだったから、特別感動的なことは起こらなかったけれど、こうして部活の皆と話している方が、本当にこの学校に通うことはもうないのだと強く意識させられるのだ。今までの先輩たちもこんな気持ちであたしたちの迎えを待っていたのだろうか。
「フジ子先輩はO大なんですよね」
 写真を撮り終えた後、飛鳥ちゃんが聞いてきたので「そうだよ」と答える。
「彩芽は短大だし、芳香はK大に受かったしね」
「言ったでしょ、打倒K大! ふははは!」
「だから倒してどうするのよ」
 高笑いする芳香に彩芽が冷静にツッコむ。
「棚口はどうするの?」
「僕はどうだっていいんだろ」
 拗ねたように答えない棚口に、彩芽が「それもそうね」と同意する。そうすると棚口が余計に拗ねることを棚口自身がよく分かっていないので、あたしと芳香を始め、他の部員は皆苦笑した。
「それで、ヤマト君は結局どうなったの?」
 彩芽が何気なく聞いてきて、あたしは数日前に来たメールを思い出した。その事を思うとあたしはいつも気が重くなってしまう。彩芽たちは何も知らないのだ。
「うん、実はね」
「藤崎さん!」
 突然名前を呼ばれて、振り返ると畑さんが大きく手を振ってこっちに駆け寄ってきた。
「私もさっき篠原に頼まれたんだけど」
「篠原君?」
「うん。なんか、ヤマト君が探してたみたい」
 藤崎君の名前が出たとたん、後ろの1,2年生のテンションが急激に上がるのを気配で感じつつ、あたしは畑さんと別れて藤崎君を探すことにした。
「あ、じゃあ、あたし行ってくるね」
 彩芽たちに声をかけると、彩芽も芳香も棚口までもがしょうがないな、と口を揃える。
 それが認めてもらえているようで嬉しかった。ありがとう、と言ってあたしはその場から離れた。
 校舎の周りは先生や保護者や生徒で溢れていて、そのどこにも藤崎君はいなかった。もしかしたらと戻った校舎の中はしんと静まり返り、教室の中はどこも人気がなくて、やっぱり藤崎君の姿を見つけることが出来ないでいた。
「どこだろう……」
 一つ一つ空き教室を確認しても、彼はいない。校舎の中には居ないのだろうか。
 あと探していないところといえばグラウンドや体育館だけど――。
 そしてふと、思いついた場所は。
「椿ちゃん」
 図書室の隣に位置する4階の非常階段の上だった。
 あたしたちが想いを通じ合えた場所でもある……。
「探してたって、聞いたから」
 走ったせいで息を切らすあたしを、藤崎君はゆっくりと抱きしめた。
 探してたって聞いたのに、見つけてみれば彼はずっとそこで待ってたかのようにそこに座っていたのだ。
 それでも彼の腕の中から逃げることは、あたしにはできない。
「うん、探してた。でもここに居たら来てくれるかなって思って」
 結局はその通りになったことが、なぜか悔しくて。
 でもこの腕を解くことはできないから、あたしもぎゅっと抱きしめ返す。
「合格、おめでとう」
「うん」
 ぎゅっと。ぎゅっと。抱きしめ返す。泣いてしまわないように。
 この春から藤崎君は関東の大学へ行くことが決まり、一人暮らしの準備のために今日まで会えないでいた。
 そしてこれから先も、好きな時に好きなだけ会えるわけじゃないのだ。
 だから今だけは離さないように、離れないように、あたしは彼の制服をぎゅっと掴む。
「一つだけ、聞いてもいい?」
「ん?」
「どうして一宮さんと抱き合ってたの?」
「……嫌なこと思い出させるわね、椿ちゃんてば」
 藤崎君は、たぶん無意識なんだろうけど、あたしの後頭部を数度撫でながら、「あれは――」と渋々と言った口調で話した。
「あれは抱きつかれたのよ。アタシが抱きしめたいのは椿ちゃんだけだもの」
 言いながら力を込めて更に強く抱きしめてくれた。そのことが嬉しくて、あたしは彼の胸に顔を埋めた。
 そうか。そうだったのか。良かった……。
「ねえ、椿ちゃん」
 静かな声で藤崎君があたしを呼ぶ。
「大学に行ったら今よりもずっと長く話して、たくさんのことを知っていこうね、お互いのこと」
 会えない時間が長い分、その気持ちはあたしも強く持ってたことだ。だから答えは迷わない。
「うん。あたしも、もっと知りたい」
 だから。
 だから……。
「――会いに行くね。夏休みとか、春休み。それでいっぱい遊ぼうね」
 だからそれまではどうか、あたしから離れてしまわないで。
「アタシも会いに行くわ。その時は話し方が直ってると思うから、椿ちゃん、びっくりするかも」
 可笑しそうに藤崎君が笑って、あたしも彼の腕の中で笑った。
 この時間がずっと続けばいいと思う。
 けど今までもそんなことが何度もあって、その度にあたしはずっと続けばいいと思ってきた。これからもこんな思いを抱き続けられたら、どんなに幸せなんだろう。
 でも変わらなきゃいけないこともある。ずっと続いていいことが全てじゃない。
 藤崎君は、だから、この街から、自分の家族から、離れることにしたのだから。
 会えて良かった。
 藤崎君に会えて、本当に良かったと思う。
「好きよ、椿ちゃん」
「うん、あたしも」
 まだまだ幼いあたしたちだけれど。
 藤崎君とならたくさんのことを知っていけるだろう。
 今まで知らなかった強さや弱さ。
 そして「好き」よりももっと大きな気持ちを表す言葉を知っていける。
 そんな気がする。

+++ F I N. +++

 

++ あとがき ++
約1年半という長期連載でしたが、ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
見切り発車で始まり、途中何度も更新を停滞させたりしていましたのに、
気づけば多くの方に励まされ、嬉しい言葉も貰いながら、こうして完結へ向かうことが出来ました。
半ば強引な感じではありますが、一応は最終目標としていた卒業で連載の終了とさせていただきます。
途中すっぽり抜けたお正月やバレンタインなど、機会があれば番外編として書くかもしれません。
その時はまた読んでやってくださると嬉しいです。
ご精読ありがとうございました。
美津希