Je t'aime

50


 どの街も今日は特別輝いて見える。それは植木に飾られた電飾のためだったり、我先にと目立たせる各店舗の飾り付けだったりするのだろうけれど、何よりも隣に彼がいるからだと思う。隣に彼がいて、体温が触れ合っていたりしたら、あたしはそれだけできっと幸せで、あたしを囲む世界が全て脳内変換によって輝かしく見えるのだ。
 こうして指を絡ませて街中を平気で歩けるのは、たぶん今日があたしたちにとって特別な日で、世間的にも特別な日だと認められていて、そしてここが知らない街だからだ。
 藤崎君と初めてのクリスマスデートは電車で30分ほど離れた一番大きな街へ出た。歩く道の至る所がイルミネーションで飾られ、定番のクリスマスソングがどこからともなく流れている。その中を他のカップルに交じって手を繋いで歩くのはとても自然なことのように見えた。
 テレビドラマから人気が出て映画化になった話題作を楽しみ、あれこれとウィンドウショッピングを堪能したあと、藤崎君のリクエストであたし達は大型ショッピングセンターへと向かった。向かい側の大型百貨店が年配層向けの店だとしたら、あたし達が入ったのは若年層向けの商品が揃えられた総合店だ。
「椿ちゃん、こっちよ」
 店舗案内の図を見ながら進む藤崎君に引っ張られながら進んでいく。色々な専門店が並ぶ中の一つに、彼が足を踏み入れたのはアクセサリーの専門店だった。藤崎君にアクセサリーの興味があることに意外な気がして驚いている間に、彼の足が止まる。
「椿ちゃん、どれがいい?」
「え、あたし?」
 藤崎君が欲しいんじゃないの?
「クリスマスプレゼント。本当はアタシが選びたかったけど、よく分からなくて」
 困ったように笑う藤崎君に、あたしは嬉しくて自然と頬が緩んでしまう。家族以外の男の人から貰うなんて初めてで、今更ながらドキドキとしてきた。そっと絡ませた指に力を込める。
「ふ……大和くん、が選んだものなら、何だって嬉しいよ」
 すると藤崎君も優しく微笑み返してくれた。けれど。
「ダメよ。椿ちゃんが気に入ってくれるものじゃなくちゃ」
 強い口調で言われては、あたしにはそうするしかなくなってくるわけで。
 ざっと見渡してみるとあたしの目の前にあるのが指輪のコーナーだった。でもいくらリーズナブルな値段だからといって指輪を貰うのは少し気が引けて、その隣にあるコーナーに視線を移す。そこはピアスが並んでいたので、パス。体に穴を開けるなんて、怖くてとてもできないもの。反対側の隣はネックレスだった。だからあたしはそちらに向かおうとした。
「あの?」
 ネックレスがあるのは藤崎君の立つ側だったのに。手はがっちりとホールドされていて、彼が動かないと上手くそちらへ移動できないのに、藤崎君は一歩も動こうとしてくれない。困って彼を見上げると、にっこりと微笑まれた。どうやら指輪にしろということらしい。力なく微笑み返すが、ますます困ってしまう。指輪は特別なものだ。そのことに気が引けてしまっていることを、彼は分かっているのだろうか。
「嫌なの?」
 ううん、そうじゃない。
「そうじゃないけど……」
 いいのかな。いいのかな。それだけが頭を巡る。
 嬉しいけど、おこがましいような、恐れ多いような、そんな気持ちになるあたしはおかしいのだろうか。
 うぅんと困って、精一杯考えて手にしたのは、小さな石が一つ飾られただけのシンプルなデザインのものだった。一応値段も見て、比較的安いと思ったものを選んでみる。やっぱり簡単に指輪は貰えないよ。
「これでいいの?」
 複雑そうな表情をする藤崎君の横目に、あたしはコクンと頷いた。
「ココに、嵌めるから」
 そうして指差したのは右手の薬指。恋人は右手、婚約と結婚は左手なのだと、誰かから聞いたことがある。
 藤崎君は納得していない顔で、けれどあたしが選んだ指輪を買ってくれた。
「指輪はこっちね」
 店を出るとすぐに封を開け、指輪を取り出すと彼はあたしの左手を持ち上げた。
「右手は恋人がいない人がするのよ」
「え、そうなの?」
 そうだったっけ? そうだったのかな。
 でも藤崎君が言うならきっとそうなのだろう。
 藤崎君につけてもらった指輪はそこにあるだけで宝石のついた本物のそれよりも特別に思えた。泣きたくなるほど嬉しかった。
 それからお昼を少し回った頃に、近くのハンバーガーショップへ入った。時間帯のせいかどこも満席だったけれど、3軒目にしてようやく席を取れた。藤崎君にあたしの分も頼んで、あたしは一人先に席に着く。
 待っている間に何度も思い出しては指輪を眺める。今までなかった重さがそこにはあって、慣れるまではきっと何度だって眺めるだろう。何よりも藤崎君が買ってくれたことが、あたしには特別だった。
 ……あたしが選んだプレゼントは気に入ってくれるだろうか。指輪に比べたらとても色褪せた物だから、喜んでもらえないかもしれない。がっかりさせてしまったらどうしよう。
「どうしたの、椿ちゃん?」
 不意に藤崎君の声がして、あたしは慌てて顔を上げた。トレイに二人分のメニューを乗せた彼が不思議そうにあたしを見下ろしている。
「な、何でもないよ。あ、ありがとう」
 あたしがトレイを受け取ると藤崎君は椅子を引いて腰を下ろした。いただきます、と声を揃える。
「そういえば昨日ね、芳香と彩芽と買い物に行ったの」
 ハンバーガーの袋を開けながら言った。昨日は三人で買い物に行って、そこで藤崎君へのプレゼントを買ったのだけれど、今このタイミングでするべき話ではなかったかもしれない。けれど言ったことを取り消すことはできなくて、焦りつつ昨日あったことをぐるぐると思い出す。
「それで、あの」
 どうしよう。芳香の愚痴しか思い出せない。
「何を買ったの?」
「あ、あのね、この服。上のセーター、彩芽が大和くんの好きそうな色だって言ってくれて」
「へえ。でもそれ、どっちかって言うと椿ちゃんに似合う色を選んでくれたんじゃない?」
「え、そ、そうかな」
「うん。とっても可愛い。それに好きよ、その色」
「そっか。良かった」
 ヘヘっと笑うと、藤崎君もフフッと笑ってくれた。
 それで少し気が楽になって、ふと思い出した。
「それでね、そのとき芳香が言ったんだけど。これからちゃんとお互いの好みとか色んなこと知っていかなくちゃいけないけど、あたしからじゃなかなか聞けないでしょって。芳香も大和くんもK大だから、これからの情報は芳香に聞きなさいって。でもそれってなんだか、変だよね。あたしはちゃんと聞」
「椿ちゃん」
 突然、固い口調であたしの止まらなくなったお喋りを彼が遮った。
「椿ちゃん……」
「な、なに?」
 真剣な表情の藤崎君を前に怖くなる。今までとても楽しい雰囲気だったのが、途端に重く感じられて、どうしていいか分からなくなる。
「話さなくちゃとは思ってたのに、今まで黙っててごめんね」
 柔らかくなった声音。それでも早くなるあたしの鼓動は落ち着かない。
「え?」
 藤崎君はそっと手を降ろした。
「アタシね、第一志望はやっぱり違うところを受けようと思って」
「え?」
「ずっと前に話したわよね。K大だけじゃなくて色んなところも受けようかと思ってるって。どうせなら実家から離れた方がいいと思って、アタシ、関東の方へ行くことにしたの」
「え?」
「もちろんK大への受験もするけど、本命は別のところ。ごめんね、黙ってて」
 ――謝られても、それは既に決めていることだから、あたしには何も言えなくて。
 あたしは黙って首を横に振るしかできなかった。
「アタシね、前はただ自立したいって漠然と思ってただけなんだけど、先生と進路のことで話しているうちに、どうしてなんだろうって考えるようになったの」
「……うん」
「考えてみて、ああ、アタシはこの家を出ないといけないんだなって。アタシの家ね、おかしいの。ギクシャクしているっていうか、アタシに遠慮してるっていうか。アタシがこんな喋り方だから、親は特に負い目を感じてたみたい。アタシにはこの喋り方が普通になっているのに、家族はずっと気にしてて、それが嫌だったんだなって分かった。だって本音を言い合えないなんておかしいもの。それが嫌だったの。でもどうしたらいいか分からなくて、とりあえずアタシが居なくなれば遠慮する相手が消えるわけだし、何か変わるんじゃないかって、そう思ったのね」
「……うん」
「だからまずはアタシが家を出ないといけないかなって。それにアタシ自身、もう甘えたくないの。アタシはアタシで変わらないといけないし。大学に入ったらこの喋り方も直すつもり。いつまでもこれが自分なんだって線を引いてちゃ、上手く社会を渡り歩けないと思うから。そのためには新しい環境が必要なのよ」
「……そっか」
「うん」
 あたしは上手く視線を合わせられなくて、何度も指輪を撫でた。
 藤崎君の決めたことなのだ。離れたくないなんて、もう言いたくない。言ったところで、この前のように何もならない事は分かっている。
 行かないでと言った時のように、藤崎君の心は既に決まっているのだから。
 だからあたしには一つだけしか言葉は用意されていない。ならばそれを言わなくちゃいけないのだ。
「がんばってね、大和くん。あたしも頑張るから。負けないように頑張るから」
「うん、ありがとう」
 アリガトウなんて――聞きたくなかったけれど。