天つ神のおまじない

お買い物編


事の発端は日曜日の午後だった。

「暑いわぁ、暑い! もっとクーラー利かないの?」

冷房をつけてパタパタとうちわを扇ぎながら言ったのは朱雀だ。乱暴に袖を肩まで捲り上げて、女性にしては筋肉の発達した腕で激しく風を作っている。

「これ以上冷えるのは体に毒ですよ。私にしてみたら今の設定温度でも低すぎるくらいです」

朱雀の隣で呆れた声を出したのは貴人だ。涼やかな声音と同様に、涼しい顔をして汗一つ掻いていない。そういえば貴人が汗を流しているところは一度だって見たことがなかった。昨年の夏、厄鬼・鬼道と戦った時でさえ、彼女は優しく微笑んでいたのだ。

「朱雀は頭から水被ればいいよ」

ボソッと小さく呟いたのは、朱雀の斜め左向かいに正座してアイスティーを啜る、大陰だ。六合と同様に少女の姿をしているが、他の式神とは異なり、その真の姿は誰も知らない。実は老婆ではないか、と天空が吹聴し、彼女に一喝されたことはすみれも聞いたことがあった。天空が言うには、その時の大陰は相当恐ろしかったようだ。

「あー、そうしようかなぁ。水に浸かりたいかも」

朱雀が鬱陶しそうに表情を歪ませて言った。本当に暑さに参っているようだ。

「水風呂を用意しましょうか?」

ふと天后が朱雀の顔を覗きこむ。うーむ、と朱雀は目を閉じたまま眉根を寄せた。水に浸かりたいといったものの、水風呂はなんとなく苦手な朱雀だった。風呂と言えば熱い、という感覚が当然にあって、どうしても違和感を否めない。

「いっそ皆で海に行こうよ! 海の中は気持ち良いし、楽しいよ」

元気よく右手を上げて提案したのは六合だ。

「あっ、それ良い! 海行きたい!」

すみれも思わず賛同して、一瞬にして海へ行こうという空気ができあがった。朱雀も海水浴は好きらしく、良いね、とうちわの扇ぎを速めた。

「どうせなら大河も誘えばいいよ」

相変わらずアイスティーを啜りながら小さな声で、大陰が言う。その途端、誰からともなく、おお、と感嘆の声が上がった。

「そうですね、せっかくですし大河も誘いましょう」

「他のご友人方も誘ってみたらどうです?」

貴人と天后の言葉に、すみれは「そうだなぁ……」と高校時代の友人達の顔を思い浮かべる。大河も一緒に行って違和感を持たれない友人といえば、しごく限られてくるものだ。

「ていうか、それより、すみれは水着持ってるの?」

パタパタとうちわを仰ぎ続けながら、朱雀がふと視線をすみれに留めた。

え、とすみれは思考を止めた。

「水着だよ、水着。すみれ、もしかして持ってないんじゃない?」

「ダメだよぉ、学校の水着とか。すみれってそういうの興味なさそうだもん」

「せっかく化粧とか覚えたんだしさ、服にも気をつけなくちゃ」

さすが、式神たちもだてに1年以上すみれと付き合ってない。彼女達はここぞとばかりに言い始めた。

「そこまで言わなくても……」

若干落ち込み気味なすみれに、最後の言葉を放ったのは六合だった。

「で、どうせなら大河に喜んでもらえたら良いと思わない?」


――というわけで、今に至るのである。


「ばっ、違うだろっ。なんでビキニなんだよ。なんでそんな際どいんだよ」

「大河こそワンピースなんてそ馬鹿じゃないか? 水着なんて肌見せるもんなんだよ。見せてなんぼなんだよ」

女性用衣服店で大の男と女が言い争っているのを傍から見ていると、その話題の中心が自分だなんて、すみれはできれば思いたくなかった。

「大河も朱雀も落ち着きなさいな。すみれが困ってますよ」

二人を見上げて貴人が呆れた声を出した。長身な大河と、それに引けを取らない朱雀相手では、どうしたって周りの女性陣は二人を見上げるしか他ない。そんな二人に見下ろされれば威圧感も多少なりとも感じるものだが、貴人は慣れた様子で困ったように微笑んだ。

「一度試着してもらえば良いでしょう。私はこちらが似合うと思いますの」

さりげなく自分の主張も外さない貴人にすみれは苦笑をもらしながら、タイプの違う三つの水着を持たされて、内心ほんの僅かにげんなりとした。

初めからすみれ自身の意見は求められていないのが腑に落ちないのだけれど。

大河が選んだ水着は可愛らしいデザインのワインピースタイプ。朱雀が選んだのはセクシータイプのビキニ。貴人から渡されたのははボーイッシュなタンキニだった。見事だな、とすみれは思う。

試着室へ強制的に放り込まれ、鏡を前にしてそれぞれの水着を並べてみた。大河が選んだ水着を見れば、彼が自分に対してのイメージなんだろうと想像できた。本当はこんなに可愛い自分ではないことに申し訳ないと思いつつ、隣のビキニへと視線を移す。

「……」

これはきっとスタイル抜群の朱雀が着た方が似合うだろう。さすがにハイレグを着る勇気は、すみれにはなかった。

そしてタンキニ。トップはベアミドルフ、貴人なりにすみれのスタイルに気を遣ってくれているのだろう。ボトムもボーイレッグで、一見水着という感じを受けさせないデザインだ。

すみれは散々悩んだ。大河の望みも叶えてやりたいが、すみれの好みとしては貴人が選んでくれたタンキニだ。さすがに朱雀の選択は賛同できなかったが……。

悩みに悩んで、結局手に取ったのは。

「……っ」

カーテンが開かれた途端、大河は思わず息を呑んだ。

「なんだ、似合ってんじゃん」

「可愛いですわ」

すみれの姿を見入ったまま動かない大河を押しのけて、朱雀と貴人が「うんうん」と首を縦に振る。どうやら見苦しいものではなかったらしい。すみれはほっとしつつも、大河の反応が気になって素直に喜べなかった。

「ど、どうかな、柴島くん……? 一応柴島くんが選んだのを着てみたんだけど」

おずおずとすみれが上目遣いに大河を見上げる。

ごくり、と大河は喉を鳴らした。それは、ダメだろう。

「だめだ、だめだ、絶対にダメだ」

大河は首を横に振るなり、素早くすれみが持っていたTシャツを奪い取り、頭からすっぽりと被せて着せた。水着はすっかり見えなくなってしまう。

「あ!? 何やってんのよ、大河」

朱雀が大河の肩を掴む。けれど大河は断固として譲らず、そのまま試着室の奥へすみれを隠し、カーテンを閉めた。

「すみれ、貴人が選んだやつを買って。んで上に何か羽織るんだぞ。絶対だぞ」

「何それ? それじゃあ水着の意味ないじゃん」

「良いんだよ! ていうかそうしないと……、……っ俺の身が持たない……」

最後の言葉はすみれには全く聞こえなかったのだが。

「……まあ」

「馬鹿じゃないの」

貴人と朱雀の反応で、大げさな理由ではないことだけは分かった。

とりあえず大河からの指示は有り難く受けることにする。もともとすみれはワンピースよりタンキニの方が気になっていたからだ。

これは喜んでいいところなんだろう。


……だよね?


たぶん。

≪ F I N. ≫

 

2009/07/04 up  美津希