天つ神のおまじない

エイプリル・フール編


「“えいぷりるふーる”ってのは、元々は4月1日の午前中にしかウソ言っちゃいけないんだぜ!」

そう得意満面に言い放ったのは、最近仕入れてきたネタを披露したくて数日前からソワソワと落ち着きの無かった、天空だった。

「そうなの? どうして?」

すみれが驚いて尋ねてみれば、少し考えて天空は唇を尖らせた。

「んなの俺が知るわけ無いじゃん! てか何だよ、“えいぷりるふーる”ってのは?」

逆に聞き返されたすみれは、確かに式神である彼がエイプリル・フールについて詳しいわけはないと思い出した。あまりにも自信満々で得意げに言うものだから、つい信じてしまったが、それこそ嘘である可能性もあるのだ。今は正に、4月1日の朝である。朝食を摂り終えてゆっくりと自室で寛いでいるところだった。

「エイプリル・フールは、その日だけならウソも許されるという、人間界のお遊びの日ですわ。天空、そんなこともご存知なくて?」

「あ、あたしも知ってるよ! “いぎりす”が発祥の地とかなんとか。大河が教えてくれたもの」

貴人が口元を手で隠しながらも笑うことを堪えきれない様子で答え、それに六合が続いて言った。天空は悔しそうに貴人らを睨むが、全く相手にされていないことは明らかだ。

「柴島くんってそんなことも教えてるの?」

すみれが感心しながら貴人に視線を向ければ、彼女は優雅に頷いた。それが当然とでも言うような仕草だ。

「人間界も随分変わりましたゆえ、習慣については一通り教えていただきまた」

貴人の言った前半部分はよく意味が分からなかったが、大河によって現代の習慣については特に戸惑う様子も無かった理由は分かった。そういえばバレンタイン・デーも日本特有のホワイト・デーも、彼らは何の疑問もぶつけずにすみれに付き合ってくれていた。普段はこちら側に居ない式神達が平然とプレゼント選びに協力してくれたりアドバイスをしてくれていたのを、違和感を覚えることもなく受け入れていたが、確かによくよく考えてみれば不思議な光景だったに違いない。

「それで、すみれは大河にどんなウソをつくんだ? ちゃんと考えているのか?」

今までのくだりを静かに聞いていた朱雀が楽しそうにすみれの方へ覗き込んできた。イベント事が好きな彼女は当然すみれも本日の習慣とやらに乗ると考えているらしい。だが生憎、すみれは天空に言われるつい先ほどまですっかり忘れていた程、そういう事には疎かった。

「え、いや、考えてないけど」

そもそも学校は既に春休みであるし、今日は会う約束もしていないから、大河に吐く嘘も何も無い。

すると朱雀と天空が声を揃えて非難の声を上げた。

「えーっ、つまんないだろ、それじゃあ。どうせなら一緒に考えようぜ!」

体を乗り出して天空が意気揚々と声を上げる。面白そうだと最初に頷いたのはやはり朱雀で、六合も満更でない顔をしている。貴人はただ彼らの流れを眺めているだけで特に進言はしなかったが、その目はとても興味深そうな表情を浮かべていた。

「それって柴島くんを騙すってことだよね」

後ろ向きなことを言うのはすみれだけで、天空はいかにもそれがいけない事のように呆れたな表情で彼女に向き直る。

「さっき貴人も言ってただろ、お遊びだって! お・あ・そ・び。そんな難しく考えんなよ」

「そうだよ。あたしたちも協力するしさ。絶対楽しいよ」

かくして、式神達の後押しもあり、すみれは渋々世間の波に乗るように、エイプリル・フールを実行することにしたのである。



大河は天后からの連絡に慌てて家を飛び出した。式神を憑けているからと言って四六時中すみれを監視しているわけではないが、式神達の反応には敏感に察知するようにしていた。そのおかげか鬼頭の戦い以降、特に大きな事故や事件にすみれを巻き込むことはなかったのだ。ところがその式神である天后から厄鬼が出たとの連絡が先ほど入ったのだ。厄鬼の気配など感じなかったのに、と不思議に思いながらも、すぐにすみれが居るという近くの神社まで走り出した。

そこは地元民ですら、初詣や祭りなどのイベントがない限り滅多に行くことのない住宅地からも中心部からも離れたところにある、何の神を祀っているのかおそらくほとんどの者が知らないだろう小さな神社だ。

山の上にあるため長い石段を登らないといけなかったが、早くすみれの元に行かなければという気持ちの方が勝っていた大河にはそれほど長く感じなかった。しかしながら息は上がり、上手く呼吸が出来ないせいで足も段々と重く感じ始める。

ようやく上りきった大河は、辺りを見回す。境内にはすみれの姿はなく、式神達の気配を感知しようとし、そこで気づく。やはりここにも厄鬼の気配は無く、先程まで本当にここに居たかも疑わしいほど微塵も感じなかった。

「すみれ! 天后! どこだ!」

嫌な予感がし、大河は堪らなく大声を上げた。厄鬼とかそういうのではなく、なんだか自分にとって物凄く嫌な展開が待っている気がしてならない。

「大河!」

もう一度叫ぼうとした時、境内の裏から大河を呼ぶ声が聞こえた。ドスの利いた男の声だった。それに聞き覚えのある大河は、まさか、と驚きながらも急いで声のした方に駆け寄る。思ったとおりの姿がそこにはあった。

「白虎!? すみれは……!」

白虎が本来の姿である虎のままそこにいることに驚きを隠せない大河は、更に嫌な汗が背中を伝うのを感じた。白虎が出ているという事は、それほどまでの相手ということなのか。大河は焦りと不安を織り交ぜた表情で虎の彼を見つめる。式神の内、朱雀・白虎・玄武・青龍は四天王と言われるほど、他の式神とは格段に力の差があるのだ。その一人である白虎が出てきているとなれば、いよいよ徒事ではない。

「安心しろ。朱雀が既に結界内に閉じ込めている。こっちだ」

大河は白虎の背に飛び乗った。白虎はそれを体感だけで確認すると、すぐに空へと飛び上がる。一蹴り、二蹴り、宙で足を蹴り上げ、数十メートル行ったところで着地する。神社より百数メートル離れた更に山の奥だ。

朱雀はすぐに現れた。神妙な面持ちで結界を広げ、白虎と大河を中へ入れる。

「朱雀、すみれは? 厄鬼はどうした」

「説明は後だ。それよりすみれが危ない」

朱雀に連れられて更に奥へと歩き進む。僅かに土地が開いている箇所があり、そこにすみれは居た。しかし様子がおかしく、大河の表情が自然と険しくなった。

すみれはぐったりとした様子で、青龍の腕の中にいた。目を閉じ、意識を失っているようだ。

「すみれ!!」

大河は一目散に駆け寄り、青龍からすみれを自分の腕の中へと抱き寄せた。すみれは僅かに身じろぎしたが、目は開かない。ただ眠っているように見える。しかし本当に眠っているだけだろうか。今までもこんなことがなかった。大河の不安は本物になった。

「一体何があった?」

すみれを抱きかかえ、青龍に視線を向ける。少々目つきが悪くなってしまうのは仕方のないことだ。声音が低く、白虎に匹敵する程ドスが利いてしまうのも仕方のないことだ。

「実は……」

朱雀がゆっくりと口を開く。

ぐぅぅぅ。

不意に、この場に似つかわしくない音が響いた。

大河は驚いて、音が出た方――すみれの腹に目を向けた。大河にはすみれの腹の虫が鳴いた……ように聞こえたのだが。

「すみれ?」

恥ずかしいのか、耳まで赤く染めてすみれが大河の胸に顔を隠すようにして埋めてくる。

大河は益々混乱した。すみれは意識を失っていたのではないのか? 眠っているのではないのか?

「おい、どういうことだ」

大河が青龍、朱雀、白虎、と見渡せば、気まずそうに口を開いたのは朱雀だった。

「いやぁ、もう正午過ぎてるし、腹減ったんでしょう。朝食べてから何も口にしてないし」

確かに腹の虫が鳴くのは空腹だからだということだ。しかし大河はそういうことを問うたのではない。こちらとしては真剣に聞いているのだ。

「茶化すな。……すみれ、起きてるんだろう?」

大河は、流石にすみれへは厳しく突き詰めた言い方はしなかったが、それでも若干声は低いままで、びくっと肩を震わせたすみれは恐る恐る閉じていた目を開ける。

ちらり、と上目で大河を見上げるすみれはまだ頬を染めたままで、しかも抱きしめている格好のため是ほどまでにないくらい密着している。ここが外でなければ彼の理性はとうに切れているだろう程に、このシチュエーションはまずい気がした。大河はさっさとすみれの体を起こし、目の前に座らせる。すみれはずっと俯いたままだ。

「すみれ、どういうことか説明してくれる?」



全ては天空が考えたシナリオで、そこに朱雀や六合や果ては貴人までのアイデアを織り込んだ芝居だった、ということを説明し終えたすみれは、怖怖と大河を見上げる。黙ったままの彼は、不機嫌になった様子も立腹している様子もなく、ただじっとすみれの話を聞いていた。

「あの……、ごめんね」

「いや、いいよ。もう怒ってないし。天空が考えそうなことだ」

実行するに当たり、提案者当人が出てこない辺り、狡賢い天空らしくて可笑しかった。それに最初から違和感はあったのだ。天后が連絡してきた通りならば、厄鬼の残党が散らばっていてもいい筈だった。そもそも全く気配が無いことには気づいていたのだから、目の前のすみれの姿に惑わされず、冷静になっていればすぐに見抜ける嘘だった。

「それよりすみれに何もなくて安心した。本当にここに来るまで、生きた心地がしなかった」

大河は彼女を安心させるように優しく微笑み、そっとすみれの頬を両腕で挟んで顔を近づける。すみれは安堵したように、ようやく柔らかな笑みを浮かべた。

「今はまだ厄鬼も姿を見せていないけど、鬼頭が存在する限り、またすみれが襲われるかも分からないんだ」

「うん」

「今度同じような事があったら、次は本当に間に合わないかもしれない」

「うん」

「それに、青龍に抱かれていたのも気に食わない。青龍だけじゃない、他の男がすみれに触れているだけで俺はそいつを殴り飛ばしているかもしれない」

「うん……?」

「嘘だよ」

さっきのお返し、と大河は笑って、そのまますみれの額に口付ける。


もう正午を回っている。どこまでが嘘なのか、知らないのはすみれだけだった。



≪ F I N. ≫

 

2012/4/1 up  美津希