Te amo
 -side T-

1


 いつからか、ケータイの発信履歴には実莉の名前が並ぶようになった。それを見て俺は苦笑する。こんなことは今までになかった。着信履歴が女の名前で埋まることはあっても、こんなのは、初めてだ。
 そして今も俺はあいつの声を待っている。
『もしもし?』
 不機嫌そうな声が耳に届く。最近実莉の第一声はこんな感じばかりだ。原因は多分に俺のほうにあると思うけれど、だからって毎回毎回あからさまに声の調子を変えるのはどうなんだよ。昔は可愛かったのに、と自分のことを棚に上げて俺の方も機嫌の悪い声になるのは仕方のない事だろう。
「あぁやっと出たな。遅いんだよ、ったく」
 俺が悪態を吐くと電話越しに溜め息が聞こえる。
『ごめん』
 小さく、呟くように言う彼女の謝罪は、それだけで俺には効果充分だった。他の女だったら更に苛立つと思う態度だけど、実莉のそれに俺は何も言えなくなってしまうのだ。
『で、何?』
 少しの間のあと、実莉が話を促す。これも毎度のパターンだな、などと思いながら、やっぱり俺もいつもと変わらない言葉しか浮かばなかった。
「ああ、この前俺、実莉に一万貰ったじゃん?」
 本当は『貸して』と俺から言った。だけど返す当てもないのでとりあえずはそう言ってみる。っていうかすぐに返せるくらいならわざわざ借りるなんてことしないし。
『あーうん、あげたね』
 ほら、実莉がこうやって俺の調子に合わせてくれるから、今回もまた『貰った』ことになる。実莉がこんなふうに俺を甘やかしてくれるから、俺もまた何度だって同じことを繰り返してしまうんだろう。
「あれ無くなってさ、もう持ち金ないんだよ。一万でいいから今から持って来てくんね?」
『今から!?』
 即座に驚愕した声が鼓膜に響いた。その驚きように俺も少し驚く。
「んだよ、こっちは切羽詰ってんだよ。ちょっとぐらい抜けたってどうってことねえだろ? お前マジメなんだし」
 そうだ。俺と違ってちゃんと大学に行って、それなりにやれてる。俺も大学には行ってたけど中退して、そのまま何もせずに遊んでばっかのプータロウだ。バイトなんかもやっちゃいない。それもそろそろ限界かな、と思い始めてきたのはまだ誰にも言っていないけど。
『そんなわけないでしょう! とにかく、次の授業で最後だから、それまで待ってて。終わったら連絡するから』
「え、おい――」
 俺が何かを言う前に電話は無情に切れた。しばらく反応のなくなったケータイを眺めて、仕方がないかと諦める。
「電話終わったぁ?」
 ケータイをジーンズの後ろポケットに入れるのを見て、コンビニからカオリが出てきた。髪も染めてない実莉とは間逆のタイプのこいつとは、高校からの付き合いだ。お互い割り切った関係で、今でもこうしてたまに会ったりしている。まぁ付き合いの長さから言ったら実莉よりも長いし、気の合う親友みたいな奴。恋人から始まった関係だが、そういう意味での相性は良くなかったらしい。
「ああ、終わった終わった。見事にフラレたよ」
 俺が肩を竦ませて苦笑すると、カオリは遠慮無しに大笑いした。こいつは俺の見た目に惹かれたとかほざくくせに、こういう情けない面を見るのが楽しいらしい。意味分かんねえ奴だけど、一緒に居てて楽しいのは同じだ。
「あんまりほっとくと愛想つかされるわよ? いい加減浮つくのやめなよ。本命って彼女なんでしょ?」
「ウルサイ。また連絡くれるって言うから、まだ大丈夫だっつーの」
「“まだ”、ねぇ」
「もういいじゃねぇか。行くぞ」
 それでも笑い続けるカオリを置いて俺はさっさと歩き出す。

 まだ日も明るい時間帯だっていうのに、その瞬間、目の前はガラスに反射する白い日の光に包まれた。