彼と彼女と…

彼と彼女とX'mas 後日談


 くふふ、と雪野は思わず頬を緩めた。緩みきった筋肉を引き締めるにはなかなかの労力が必要で、けれどそれよりも嬉しさの方がずっと大きく、だから雪野はアパートへ戻る足取りを速めた。つい今しがた、彼女は辰巳の車からいつものロータリーで降りてきたところなのだった。
 雪野は大して期待していなかったクリスマス・イブに辰巳が会いに来てくれたことも嬉しかったが、連れて行ってもらった所の夜景の美しさにも感激し、そして最も驚いて喜んだのは彼からのクリスマス・プレゼントだった。
 二人で最前列の場所に車から降りて並び、美しく華やかにきらめく深夜の街並みを眺めながら、初めて会った時のことを思い出しながらとりとめもない話をしていた。始めはまだ体が車内の暖房で温まっていたのでそれなりに過ごしていたが、次第にやはり寒さのせいか雪野の肩が震えだした。それに気づいた辰巳は躊躇いもなく自分の方へ彼女の体を引き寄せ、肩を抱いた。周りには同じようなカップルが数組あったので、雪野も大した抵抗は見せなかったが、それでも落ち着くということはなく、違う意味でそわそわとしていれば更に辰巳の腕は力強く彼女を抱きしめるのだった。そんな幸せな、ゆっくりとした時間を過ごした後、さすがに辰巳も寒さに我慢ならなくなった様子で車に戻ろうと提案し、雪野がそれを拒否する理由はない。
「そうだ。あの、これ、クリスマス・プレゼント。気に入ってくれたら良いんですけど……」
 助手席に戻った雪野は、早速座席にあったバッグからプレゼントを包んだ袋を取り出した。それはここへ来るまでの間ずっと彼女が膝の上で抱きかかえていたものだ。辰巳は一瞬驚き、すぐにいつもの柔らかな笑みでそれを受け取る。
「ありがとう」
 そして中を取り出し、手袋だと分かると何度か角度を変えて眺めた後、早速それを手に嵌めた。触り心地も良かったが付け心地も中々良い。辰巳にはそれが安物の量販店で買ったものでないことはすぐに分かった。けれど値段ではない。雪野の気持ちが何よりも嬉しかった。きっとこれを買うのに色々迷ったに違いなく、それこそ店に入るのもずっと緊張していたに違いないだろう。そうまでして買ってきてくれたことが本当に微笑ましいほど愛しく思える。
「大事にするよ。今度仕事でも使おうかな」
 笑って言う彼の言葉を雪野は真に受けるほど子どもではない。それに既に彼らモデルは春物の撮影をしているはずで、仕事で使うことなどないということも何となく知っていた。だけれどそれを辰巳に思わせるのもまた子どものすることなのだろう。だから雪野は曖昧に笑って、けれど照れることは隠し切れずに少し俯いた。
「俺からはこれね」
 そう言って辰巳が取り出したのは一枚の薄い封筒だった。いつもは高級ブティックの袋ごと渡されるのに、と不思議に思いつつ、けれど気後れするようなものを貰わずに済みそうだと内心ほっとしつつ、それを両手で受け取った。薄いだけあってその封筒はとても軽かった。手紙でも入っているのかと想像するが、辰巳が手紙を書くことの方が有り得ない気がした。
「あっ……!」
 思わず雪野が声を上げると、辰巳は満足そうに彼女の反応を見た。
 封筒の中に入っていたのは二枚のチケットだった。来春に公開される映画の先行試写の限定チケットで、指定されている席はもったいないほど高い値段がつく場所だ。いつだったか雪野が見てみたいと言っていたタイトルのものだという辺り、いつから予約していたのかと雪野はその行動の素早さに感心した。自分はほんの2,3週間前にようやく決めたというのに。
「良いんですか、これ」
 恐る恐る雪野が確認してみれば、辰巳はおかしそうに笑って頷いた。当然だ。それは彼女のためにあらゆるコネを使って手に入れたのだ。
「俺も一緒に行くからね。一緒に楽しもう」
「一緒に?」
「そ。二枚あるだろ、雪野と俺の分」
 そうして雪野はもう一度チケットを見下ろし、ゆっくりとした手つきで封筒からチケットを取り出した。どうしたって手が震えてしまう。寒さのせいではなくて。むしろ暖房の効いた車内ではコートを脱いでもいいくらいだ。
「映画館じゃないから堂々とデートできるだろう?」
 食い入るように見つめる雪野に辰巳がそう言って髪を撫でた。雪野はようやくくすぐったそうに辰巳のほうへ視線を戻した。彼の大好きな満面の笑みを浮かべている。
「ありがとう。すごく嬉しいです!」
 雪野の弾んだ声に辰巳も嬉しくなる。「どういたしまして」と言いながら辰巳は愛しい彼女の唇に自分のそれを合わせた。さっきよりも甘い香りが口の中に広がった気がした。

 昼間から街中で辰巳と待ち合わせをするのは初めてだった。そのことに緊張を覚えながらも嬉しさの方がやはり上回っている。多少はばれないように配慮しなければならないのだろうが、それでも人前で胸を張ってデートができるというのは、まるで普通のカップルのようで、そういう経験を辰巳としたことがなかったから、喜びに幸せを感じるのは当然のことのように思う。
 それにしても、とあの日のことを思い出す。チケットを貰ったその日に待ち合わせ時刻と場所をしてきた辰巳は、雪野のバッグやら服装、髪型までも指定してきた。一応言われたとおりの格好をしてきたが、どうにも自分には不似合いなほどの可愛らしい服装や小物類に、自分ではないような気がして落ち着かない。これも週刊誌などでネタにされないようにという彼なりの配慮なのだろうか。滅多に履かないスカートにヒールの細いショートブーツという、慣れない格好の方が余程悪目立ちしそうで、雪野はどうしても不安を隠せないでいた。
「おっ。可愛いじゃん」
 不意に声を掛けられて驚いた雪野だが、それが辰巳だと知ってほっと肩の力が抜けた。
「辰巳さん……。なんか、恥ずかしいです、これ」
「そうかな? 似合ってるよ」
 そう言う辰巳はやはりいつもどおり、自分に合ったものを知っていて、カジュアルな服装なのにだらしなく見えないように着こなしていた。これは体のつくりが違うのか、それとも彼が持つ雰囲気のせいなのかは、雪野には判断できない。
「じゃ、行こうか」
 辰巳は雪野の手を繋いで歩き出した。ただそれだけのことに雪野は激しくなる鼓動を抑えられない。それに繋がれた彼の手にはしっかりと雪野があげた手袋がしてあり、更に雪野の胸は締め付けられた。
「辰巳さんっ、あ、サングラスは?」
 前にご飯を食べたときのことを思い出して雪野は聞いてみた。確か初めての昼間のデートはどこかオシャレなレストランで食べに行った。そこへはサングラスも帽子もしっかり着けていたのに、今日はそのどちらもない。横切る人が皆彼のことを振り返っているような気がして、そして自分に奇異の視線を向けている気がしてならないのだけれど、彼はそんなことをまったく気にしている様子はなかった。
「大丈夫。今日は有名人も結構来てるし」
 理由になっていない理由を話し、待ち合わせ場所から歩いて数分のところに建っている会場へと着いた。
 まだそれほど人は来ておらず、二人はスタッフに言われるままにチケットを見せて会場の中へ入っていった。
「今日は一般客だからね」
 不思議そうにする雪野に辰巳はそう付け加え、二人はほぼ中央の特等席へ腰を下ろした。

 辰巳は座ってすぐ、誰かが近づいてくるのに気づいた。彼は雪野に一言断って席を離れ、こちらへ向かってくる彼女に視線で合図をし、会場の外へと出る。
「あまり俺が彼女といる時に近づかない方が良いんじゃないかな?」
 追ってきた人物が扉の外へと出るのと同時に辰巳はそう声を掛けた。雪野と似たような髪型、服装をした彼女は、そのことに今気づいたように慌てて頭を下げた。
「すみません、タツミさんを見かけてつい……」
「それで、何か用ですか?」
「用という用ではないんですが、お礼をしたくて」
 少し顔を赤らめて言う彼女に辰巳は内心舌打ちした。そんなことのために雪野との時間を割かれたのかと思うと嫌な気分になる。しかし目の前の彼女の前であからさまに嫌な表情を出すほど素直な人間ではない。辰巳はただ微笑んで「別にいいですよ、そんなこと」と言っておいた。あくまでも優しく穏やかなふうに装う。
「俺も彼女と楽しませてもらうんですから、お互い様です。貴女も貴女で、こんなことで時間を潰すより、彼と二人の時を過ごした方が良いんじゃないですか?」
 この計画を言い出したのは彼女だが、それに乗って色々と手を加えたのは辰巳である。彼女と雪野の格好を似せるように指示したのも辰巳だった。そのことを強調するためにも辰巳はもう一度言った。
「せっかく奇跡的にお互いのスケジュールが合ったんですから。俺と雪野と、そして貴女と貴女の彼氏の、ね」
 例え間違って以前のように週刊誌のネタにされたところで、似たような服装の彼女がいれば、雪野を守ることができる。彼女も彼女で、本命といたところを撮られてもタツミがその会場にいるということを知られれば、いくらでもいい訳や嘘を吐ける。お互いのための計画でもあるのだ、何としてでも楽しまなくては。
 辰巳の微笑に彼女もようやく納得したようで、もう一度頭を下げてその場を離れていった。ふぅ、と思わず溜め息が漏れる。
 早く雪野のところへ戻ろう。辰巳はそう思い、足早に歩き始めた。この何とも言えない気分を彼女の唇に癒してもらおう。そしてクリスマスの甘い口付けを思い出し、明日もまた仕事がないように取り計らった自分を褒めた。きっと今夜は彼女を離せないだろうから――。

≪F I N.≫

 

2007/12/22 up  美津希