Ich Liebe Sie

18


 展示会には悠木くんと二人で行った。そこには幾つかの大学からも出展していて、私たちのサークルが出展した作品らは入り口から中央の展示場へ行く廊下の壁に敷き詰めるように展示されていた。
「あっ、田中先輩、入賞してるよ」
 個人作品の額の下に名前とタイトルと学校名が書かれた紙が貼っているのだけど、田中先輩のそこには緑色のリボンが一緒に飾られていて、油性ペンで「監督推薦賞」と記されていた。
「マジか。いろいろすごいな、この人。院に進むって話だし。いつ勉強してんだろう」
 悠木くんの口調は感心しているというよりも呆れた印象だ。私もついクスクスと笑ってしまった。本当に田中先輩はいつ勉強しているんだろうと不思議だ。飲み会は率先して仕切るし、作品は誰よりも早く完成させていた。
 悠木くんと手を繋いで回り終えると、昼ごはんを取るにはちょうどいい時間になっていた。私たちは近くのファーストフード店に入ることにした。ふわりと暖かい空気に包まれて、私はコートを脱ぐ。
「正月は一緒に居れないけどさ、初詣は一緒に行こうな」
「うん」
 私も悠木くんも正月の三が日はそれぞれの祖父母家へ行くことになっている。だから4日に初詣に行こうということになったのだ。既に田舎へ行っても私は神社には行かないと親に言ってある。悠木くんのこともまだ話していないから理由ももちろん詳しく言ってないけど、特に突っ込まれなかったことに安堵した。
 穏やかな雰囲気に、自然と口元が緩む。今、この時間、私はこの上なく幸せだと思う。
 悠木くんはあの日以来、先輩たちのことを口にしなくなった。もちろん今までも私といる時は先輩たちのことを積極的に話す方ではなかったけれど、今は真織ちゃんが悠木くんのことを話題にしなかったのと同じくらい、悠木くんは先輩たちのことを避けるようになった。視線も、前とは比べ物にならない程向けなくなった。……これは、まあ、前までどれ程よく見てたのかが分かっただけだ。
 悠木くんは本当に私を必要としてくれるのか不安だったけれど、澤井先輩から貰った「彼女には一途」という情報は真実だった。最近はよく肌を触れ合わせてくることが多く、それは手を繋いだり肩を抱いたりと軽いものだけど、それが何より私を安心させてくれる。悠木くんは分かっているんだろうか。
 私たちはちゃんと、やり直せているのかな。不意に、そう思うことがある。
 でも不安になるときはいつも、「まだ始まったばかりじゃないか」と言い聞かせる。あの頃はまだ、始まってなかったのだと。
「この後どうする? 行きたい所とかあるなら付き合うけど」
「特にないかな。悠木くんは?」
「んー、俺もないなぁ。渡会が居てくれればどこだって良いし」
 ……。
 思わず押し黙った私を見て悠木くんは甘いくらいの空気でにっこりと笑う。最近は本当に、壊れてしまったんじゃないかというくらい嬉しい言動をしてくれる。その度に私はどうしていいか分からなくなるのだ。
「いや、ほんと。最近特にそう思うんだ。――吹っ切れたのかもしれない。俺の中で、何かが、さ」
 先輩のことを言っているんだろうと思った。でも悠木くんがはっきりと言わなかったから、私もただ曖昧に微笑んだ。
「帰るか」
「――うん」


 これからきっと私たちの本当の物語が始まっていくのだと思う。
『私を見て』
『私だけを見て』
『あの人の方に振り向かないで』
 そう思いながらも伝えなかったあの頃には戻りたくない。それと同時に悠木くんが変わってくれていることに喜びを感じる。
『私を見てくれている』
『私にだけ触れる温かさを教えてくれる』
『先輩のことをもう見ないでくれている』
 それがどんなに幸せでも、ふとした不安は、恐怖は、消えない。その時は泣いてしまえば良い。そうすればいくらか気持ちが楽になることを知ったから。
 小さな期待は裏切りを恐れるためのものじゃないのだと、ようやく気づけた。


「そういえば、渡会のことを考えるときの気持ちの呼び名、少し分かった気がする」
「何?」
 悠木くんの言っている意味が分からず首を傾げると、悠木くんはそっと私に囁いた。
「俺は渡会を“愛しく”思ってるんだ」
 それは『好き』よりも大きくて、『愛してる』よりも静かな言葉だった。

+++ F I N. +++


 

++ あとがき ++
「Ich Liebe Sie」のご拝読、感謝します。
このタイトル、お気づきでしょうがドイツ語です。
本当は「Ich liebe dich(I love you)」の方が良いのですが、
「Ich liebe Sie(I love you)」と「Ich liebe sie(I love her)」を掛けてみました(^^;
dich(du)とSieの違いは親しい呼び名かそうでないかです。Sieの方が丁寧で、初対面の時なんかにはSieを使うようです。ご参考までに。
切ない話を目指しましたが、果たしてそうなってるのでしょうか。
私としてはラストがとても微妙になってしまいました。最後のフレーズは気に入っているんですけれど。
とにかく今までにないくらい楽しめたので良かったです。
お付き合いくださった皆様、ありがとうございました。
美津希