Ich Liebe Sie

17


 居心地の悪い沈黙を破ったのは、意外にも工藤先輩だった。
「俺、今日バイクだから、悠木が送ってけよ。じゃあな」
 そう言って工藤先輩は駅へ向かう道とは逆の、学校の駐車場の方へと足を向ける。
「工藤先輩」
 呼び止めたのは悠木くんで、工藤先輩は振り向いた。悠木くんを見上げるといつかと同じ目で工藤先輩を見ていた。駅のホームで私を見ていたと言った工藤先輩に向けた目と同じ、鋭さが増した目つき。
「工藤先輩、どういうつもりなんですか」
「何が?」
 工藤先輩は不思議そうに首を傾げる。
「渡会のこと、はっきりしてください」
「ああ?」
「どう思ってるんですか」
 しだいに悠木くんの視線が厳しくなる。それに反して工藤先輩は無表情を崩さないで真正面から悠木くんの視線を受けている。それでも本当に悠木くんの言っている意味が分かっていないような空気が私にも伝わってくる。
 ふっと、工藤先輩の表情が和らいだ気がした。
「別に、悠木が思ってるような感情はないよ」
 悠木くんの目が疑わしげなものに変わった。
「渡会に恋愛感情はないってことですよね」
 カッと私の頭に血が上った。きっと体中が赤くなっているんだろう。恥ずかしい! 自分勝手に工藤先輩が私を好きなんじゃないかと思い込んで、意識してたなんて。本当にあの時の言葉に他意はなかったんだ。
「ああ、気になってたのは本当だけど」
「えっ?」
 悠木くんは目を丸くした。工藤先輩は何でもにことのように言う。
「俺の専攻学科知ってるか? 人間社会学部心理学科。関わるより見てる方が好きなんだ」
 人間社会学部心理学科。確かにそんな話を他の先輩としていたような気も、しないではない。もう一人の2回生の先輩も人間社会学部だった気がする。
 ……もう何も言えなかった。私も、悠木くんも。
「じゃあな」
 体の向きを戻して駐車場の方へ歩いていく工藤先輩の背中を見つめながら、そっと溜め息を吐く。
 変に緊張していたのは私だけではなかったようで、悠木くんは大きく肺から息を吐き出した。くしゃっと前髪をかき上げると私の方を向く。
「帰るか」
「……うん」

 手はもう繋がない。それが寂しくもあり、どこかほっとしたりもしている。反対の気持ちが入り混じる自分の感情に苦笑してしまう。
「話、あるって言ってたけど」
 長い沈黙に耐えられなくて、私から声をかけた。悠木くんは言いにくそうに「うん」と頷いて、またしばらく黙ってしまった。
 話の内容は大体想像がつく。悠木くんが話したいことといえば、おそらく澤井先輩のことだろう。というかそのこと以外にないと思う。でもそれが私にとって良いものか悪いのか分からない。できれば良いものであってほしいけれど。
 相手が悠木くんだからかもしれない。何があっても、何度でも、悠木くんが少しでも反応を示してくれると、私は知らず淡い期待をしてしまう。
「自分に決着をつけようと思って、先輩に告白しに行ったんだ」
 ぽつりぽつりと悠木くんが話し始めた。「告白」の文字を浮かべて思わず息を呑んだ。きっと悠木くんにも伝わったんだろう。自嘲気味に苦笑した。
「先輩に会いに行ったは良いけど、野村先輩と並んでる姿を見たら、足が動かなくなった。今更って感じなんだけど、情けないよな。渡会みたいにちゃんと言えなかった。キモチワルイって思われるだろうなとか、嫌われるんじゃないかとか考えると怖くて、逃げたんだ。笑い話にもならないよな」
 それから悠木くんは空の遠くを見上げた。今悠木くんの目に映るのはあの暗い中に光る小さな星なんかじゃなくて、たぶん澤井先輩と野村先輩の姿なんだろう。その表情は自嘲的なものからどこかさっぱりとした感じに変わっていた。
「でもさ、それで今の関係が壊れないんだったら良いと思ったんだ。澤井先輩は野村先輩にベタ惚れで、野村先輩も澤井先輩が好きで、俺は二人の後輩で。それで良いと思った」
 悠木くんはきっぱりとそう言い切ると私を見てふわりと微笑んだ。私の好きな優しい笑みだ。
「それで俺の隣に渡会が居てくれたら、俺は最高に幸せなんだと思う」
 ――。
 頭が真っ白ってこのことを言うのだろうか。……何を考えていいのか分からない。
「俺ももう一度、渡会とやり直したい」
 そっと抱きしめられた悠木くんの腕の中は、記憶どおりに心地良かった。