Je t'aime

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「……冗談、でしょ」
 藤崎大和の引きつった声が後ろからした。ほんと、この席は彼の顔が見れないのが難点だ。おそらく表情も声と同じように引きつった笑みを浮かべているんだろう。
「冗談なわけないじゃない。そのために文化委員になったのに。それに皆も賛成してるし。ね?」
 高倉さんが眼鏡の奥で微笑んだ。同時にクラスから拍手が起こる。賛成の意を表した拍手だ。例に漏れずあたしもこっそりと手を叩く。後ろから盛大な溜め息が聞こえた。

 委員を決めたホームルームから1週間後、今期初めての委員会が開かれた。
 図書室で行われた委員会の初日は挨拶と、役員と当番の順番を決めれば終わる。まず1年生からクラスと名前を言っていく。緊張するのかぎこちない様子は初々しくて、つい顔が綻んでしまった。2年生になるとさすがにそういう事はないけれど、やはり3年生が一番慣れた感じで言葉を締める。
 あたしの後に藤崎大和が立ち上がると僅かにざわついた。それもそうだろう、この容貌だもの。円になるように座っているからよく分かるのだけど、ほとんどの女子生徒がうっとりとした表情で彼を見上げていた。
 静かに始まった委員会は滞りなく進み、最終下校時刻まで残る必要もなく終わった。一応部活動も始まっているのでさっさと図書室を出たかったのだが、3年生は委員会の片付けというなんとも面倒くさいものを任されてしまった。円に並べた机を戻したり、委員会で配られたプリントの余りをまとめたり、挙句の果てにはやらなくても良い掃除までさせられた。
 少しでもクラブに顔を出せるかと思いきや、終わったのは最終下校のアナウンスが流れる数分前だ。クラブはとっくに活動を終えている時間。
「そういや去年も3年生が残らされてたっけ」
 道具入れに箒や塵取りを片付けながら加島君が呟いた。ちょうど彼の隣でゴミ袋をまとめていたあたしは「そうだねぇ」と適当に相槌を打った。加島君はあたしと同様に図書委員の常連だ。昨年の前期も図書委員で一緒だった。尤も昨年は同じクラスだったのだけど。
 真っ黒な髪を綺麗に揃えて細いフレームの眼鏡をかけた彼は如何にも読書好きな感じの男の子だ。ひょろりとして背もそれほど高くないのに、意外にも所属している部活はバリバリ体育会系の剣道部で、副将をしているほどの腕前らしい。見た目も中身もインドアなあたしとは大違いだ。
「藤崎は今年もやっぱり図書委員だったんだな」
「加島君こそ」
「椿ちゃん、そこのゴミ持ってくから、ゴミ置き場教えてくれない?」
 あたしの言葉に被さるように藤崎大和が声をかけてきた。振り向くと彼は両手に別のゴミ袋も抱えている。図書室のゴミがこんなに溜まっていたとは思えない。
「どうしたの、それ」
「んー? なんかついでだからとか言われちゃって。司書室のゴミ捨ても任されちゃった」
 ふふ、と苦笑する。
 あたしは彼に了解の返事をすると加島君に向き直る。
「じゃあ後はいいかな」
「うん、こっちももう終わりだし」
 軽く加島君にお礼を言って、あたしと藤崎大和はゴミ袋と自分の荷物を持って図書室から出た。図書室は校舎の一番端にあって、非常口から降りてすぐ目の前がゴミ置き場になっている。けれど下校時間が迫る今は非常口の鍵は掛けられていて、仕方なく遠回りをする。
「仲良いのね、あの人と」
 階段を降りてる途中に彼が話しかけてきた。静まり返る校舎の中ではやけに響いて聞こえた。
「加島君? まぁ去年も一緒だったし。普通じゃないかな」
「椿ちゃんって男の子苦手なんだと思ってた」
 唐突な言葉にあたしは少し驚いた。そりゃ得意な方ではないけれど、転校してきたばかりの彼にそんなことを言い当てられるとは思っていなかった。
「なんで?」
「なんとなく、かな。アタシが話しかけても名前呼んでくれないし。あんまり男子と話さないじゃない」
――椿がヤマト君の名前口にしてるの、聞いたことないかも。
 まさか彩芽と同じことを言われるとは。あたしは更に驚いた。
 でも、名前を言うのと言わないのとでは、そんなに違うものなんだろうか。
「話さないっていうか、接点ないから関わらないっていうか」
「そっか。じゃあこれからどんどん関わっていこうかしら」
 楽しそうに笑う彼を見て、あたしはどう返していいのか分からなかった。そりゃあ話しかけてくれて悪い気はしないけれど、別にあたしにまで気を遣わなくても彼には一緒に楽しめる人たちは大勢居るのに、と思ってしまう。素直に喜べばいいのにどうして捻くれてしまうんだろう。
 仲良くなりたいと思っていたのに、向こうから近づかれたら怖気づいてしまう。最低だ。

 翌日の昼休み、あたしと彩芽がお弁当を突いていると藤崎大和がやって来た。本当に早速関わってきたのかとあたしが驚く以上に、彩芽は飛び上がらんばかりの驚きようだった。そんなあたしたちを気にするふうでもなく、彼は一枚のルーズリーフを差し出す。
「文化祭の役割表、希望するところに名前を書いてって、高倉さんが」
「あ、うん、わかった」
 差し出されたルーズリーフを受け取って見てみると、既に何人かの名前が書き込まれている。けれど彼の名前はなかった。それもそうだ、彼は高倉さんご指名で決まっているのだから。……ふと、先日の高倉さんの微笑を思い出した。
「椿ちゃん、裏方に回ったらだめだからね」
「え?」
「最後の文化祭くらい、表舞台に立った方が思い出に残るじゃない」
 ぜったい裏方に名前を書いたらだめだからね。
 藤崎大和はそれだけを言うとさっさと森崎君達のところへ戻っていった。あたしは呆気に取られたまましばらくぼんやりとルーズリーフを眺める。なぜ彼にそんなことを言われるのかさっぱり理解できない。
「どうするの、椿」
 彩芽がニヤニヤと笑う。
「どうって、あたしが役をすると思う? 小道具あたりでいいよ」
「えぇぇ、せっかくヤマト君が誘ってくれたのに? 相手役まだ書かれてないじゃん。チャンスだよ」
「何のチャンスよ」
 相手役が書かれていないのは当然だ。この中に女子の名前は一つもない。つまり女子で最初に回ってきたのがあたしたちなのだ。でも早い者勝ちってわけではないから書いたからそこで決まるという事でもない。
 このクラスは文化祭で劇をすることになった。全て高倉さんの意向による決定だ。そのために文化委員に率先して立候補したと言うくらいなのだから、力の入れようが分かる。そんな彼女が選んだ演目はシンデレラのパロディ。なんとシンデレラを藤崎大和にやらせようと言うのだ。
 けれど彼が断固として拒否したため、高倉さんは藤崎大和を王子にすることで妥協した。……というか、正統派にしただけだ。あの綺麗な容姿で王子なんて似合いすぎている。あの喋り方さえなければ正しく“王子”と言って良い。
「彩芽がシンデレラになれば?」
「そんな怖いことできないって」
 あたしには散々言っておいて何なんだ。
 結局、あたしと彩芽は揃って衣装係の欄に名前を書いて近くのグループに回した。
 彼の隣に立つシンデレラはあたしには似合わないし、そんなキャラでもない。同じ“藤崎”でもやはり根本的に違うのだ。