Je t'aime

8


 放課後になると、彩芽は朝言ったとおりにあたしを無理矢理連れ出した。その絶世の美女だという彼の恋人を見ようと瞳を爛々と輝かせて、あたしの腕を引っ張りながら彼のあとを追う。
「本当にやるの……?」
「往生際が悪いよ! ――あっ、ほら、やっぱり放課後デートは定番なんだ!」
 嬉しそうにはしゃぐ彩芽の視線の先に一組のカップルが手を繋いで歩いていた。背中まで伸びている綺麗な黒髪の女子生徒と、ひょろ長い体格の男子生徒。その彼の頭は――キレイに坊主だ。って人違うし!
 だが彼らが歩いている道と反対側の歩道に藤崎大和の後ろ姿がある。彼はまさかあたし達が後をつけているなんて思っていないんだろう。ズボンのポケットに手を突っ込んで悠然と歩いていた。やはりかっこいい男は後ろ姿でも様になっているものなのだ。
 しばらくすると彼は制服姿にも拘らず近くにあった喫茶店へと入っていった。昔ながらの“いかにも”な店だ。雰囲気はありそうだが人気があるのかはよく分からない。とりあえず彩芽と目を合わせて、彼が出てくるのを待つことにした。
 直ぐに出てくるだろうと高を括っていたのだけど、なかなか出てこない。彼が入っていった後に入ったのはわずか4人。その中にカノジョらしき人は居なかった。もう既に来ていて、話し込んだりしているのだろうか。
「あっ、出てきた」
 角の所でしゃがみ込んでいた彩芽が立ち上がってあたしの肩を叩いた。見ると藤崎大和の隣には髪の長い女子高生が歩いていた。後ろ姿しか分からないけれど、すらりとした長身は、彼の隣に居るに相応しいと思える。きっと彼のように美人なんだろう。そう思うことが当然のような気もした。
 二人は仲良さげに肩を並べ、どこに入るでもなく通りを歩いていた。まるで少女漫画にあるような放課後デートそのものだ。
「何話してるんだろう。聞きたくない?」
 彩芽は二人から目を離さずに言ってきた。あたしは彩芽と二人を見比べながら少し首をひねる。
「そりゃ聞いてみたいけど……近づきすぎるとばれるよ、確実に」
「だぁいじょうぶ、大丈夫」
 どこからそんな自信が出てくるのか、彩芽は歩くスピードを速めた。あたしも慌てて彩芽の後を追うしかない。それでもけっこう人通りの多い場所だから声が聞こえるほどまでは行かなかった。というか、それくらい近くに行くのも気が引けた。尾行の意味がなくなってしまう。
「むぅ。もう少しなのに」
 前へ前へ行こうとする彩芽の腕を掴んでそれを阻止する。これ以上は本当に見つかりそうだ。
 そうこうするうちに藤崎大和と彼女は、大きな通りを抜けて閑静な住宅街に向かっていった。人通りの数も随分と減って、数分もしない内にあたしと彩芽と前の二人だけしか居ない状態にまでなっている。また、さっきまではちらほら見えたパン屋や理容室やナントカ事務所という建物は全くなくなって、見えるのは立ち並ぶ一軒ややアパート、マンションという類のものばかりだ。きっとどちらかの家がこの辺りなんだろう。
「そういえばさぁ」
 キョロキョロと見回していたあたしに、彩芽がふと思い出したように口を開いた。いつの間にか二人との距離は喫茶店からの時と変わらないほど離れていた。
「彼女の制服って南女のやつじゃない?」
「え、あ、ほんとだ」
 南女はこの辺りでは偏差値が高いお嬢様高校として有名な私立学校だ。大学の付属で幼稚園からある。ワンピースタイプの制服はカワイイと評判だけれど、実際その通りだと思う。制服と言うよりは私服としても着れそうな感じだ。校則もそれほど厳しくないのか、女子高にありがちな白く短い靴下を履いていないし、指定鞄でもなさそうだ。
 二人が中に入ったのは7階建てのマンションだ。南女の子がいるとは思えない、本当にいたってどこにでもありそうな、普通の建物だ。外観は割りとオシャレな感じもするけれど。藤崎大和が住んでいるんだろうか。
「家へ連れ込みましたね」
 ……彩芽の楽しそうな口調が何だか気に入らない。それをアピールするほど強い性格を持っていないあたしは、ただそのマンションを見上げるしかできなかった。
「帰ろう」
 噂は本当。確定。それでいい。
「えっ椿!?」
 くるりと背を向けたあたしに彩芽が慌てて着いてくる。まるで行きとは逆の立場だ。そうぼんやりと思いながら、あたしは歩く速度を緩めたりはしなかった。一度も振り返ったりはしなかった。
 そんなあたしの行動に彩芽は機嫌を損ねてしまったけれど、あたしは簡単に謝るしかできなかった。なんだか胸の底が膨れ上がるような、むかむかとするわけの分からない気持ちの処理にいっぱいいっぱいだったのだ。

 次の日、あたしは藤崎大和から衝撃的なことを告げられた。
「椿ちゃん、昨日アタシのこと着いてきてたでしょ」
「ぅえ!?」
 なんとあたしと彩芽の尾行は喫茶店へ向かっている時点でバレていたらしい。しかも今日に限って彩芽の登校は遅い。昨日の今日であたしはどうしたら良いものか、完全にパニクってしまった。
 彼はあたしが焦っているのを可笑しそうに見つめながら、「気にしてないから」と意味の分からない慰めをした。尾行されて気にならない人はいないだろう、絶対的に。
「でもちょっと嬉しかったかな。ふふ」
 あたしの眉は自然と中央に寄っていた。彼の言動には謎が多すぎるのだ。