Je t'aime

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「ねえ、藤崎さんってヤマト君のこと好きなの?」
 放課後、今日はあたしたちの班が掃除当番だった。なのでテキトウにだらだらと箒で床を掃いていたら、不意に、そんなことを聞かれた。声をかけてきたのはあまり話したことのない畑さんたちだ。素朴な疑問なんだけど、みたいな感じだったので特に他意はないと思う。だけどあたしはどう答えていいものか困った。スキって一言で言っても幅広いと思うんだよね。
「好きっていうか……」
 とりあえず黙ったままっていうのもどうかと思うので口にしてみる。が、やっぱり「好き」という言葉は何だかしっくり来ない気がする。
「嫌いじゃないけど」
「ふぅん?」
「どうしてそんなこと聞くの?」
「うーん、別に。いつも見てるからそうなのかなぁと思って」
 それだけ言うと畑さんたちは教室を出て行った。
 ……あたし、いつも見てるのかな。

 自分の気持ちは他人から見るよりも不確かで、時に自身が一番分からなくなる。それはあたし以外にも言えることなんだ。今日の芳香はなぜだかすごく大人しくて、心此処に在らずだ。
「どうしちゃったの、芳香」
 先に来ていた飛鳥ちゃんたちに聞いてみるけどみんなふるふると首を横振った。今日だったという英語の単語テストが悪かったのだろうか。
「もしかしてヨッシー先輩も恋煩いなんじゃ……」
「えー!? それはナイでしょう」
「いやその前に、“も”って何?」
 あたしが聞くとアレアレと皆が一斉に窓際の席を指差した。そこにはなぜか棚口稔明の姿が――。なぜ!
「久しぶりにグッチ先輩を見たと思ったらああなんです。何だか近寄れなくって」
 グッチ先輩こと棚口稔明は我が文芸部の数少ない男子部員であり、現在生徒会書記を務めている。ワザとなのか寝癖なのか分からないボサボサとした頭は地毛なのか染めてるのか分からないくらいの茶色をしていて、肌の色は病的に白い。軟弱なイメージを更に強固しているのは大きな黒縁めがねのせいだ。もちろん外したら王子様、なんてことはなく、面白がって外したあたしたちは現実ってのをよく知らされた。
 同じタイプの加島君と違って意外性など感じられない、平和的な青年である棚口という男子生徒は、あたしが唯一人見知りすることのなかった人間だ。同じクラスになったことなどないし、割と影の薄い存在の彼なので今まであまり話す機会もなかったのだけれど。
「よし、あたしが聞いてくる」
「さすがフジ子先輩! もし恋の相談だったら私達も協力しますから!」
 どこか的の外れた声援を受けながらあたしは棚口の前の席に腰掛けた。棚口は自分の前に人が座るなんて思わなかったとでもいうように驚いてあたしを見た。多分棚口から見たらあたしも芳香と同じような人間なんだろうと思う、その表情を見るたびに。図々しくてお節介でビシバシと言いたいことを言うような。
「珍しいね、部活に顔出すなんて。残念ながらまだ新入部員来てないけどさあ」
「ははっ、そうみたいだね。今年は何人入るんだろうね」
 にこにこと笑う棚口の顔はけっこう好きだ。笑ったとたんに彼の表情は幼く見える。肌の色は病的だけど、その実もち肌でぷにぷにと気持ち良いってことは芳香が実証済みだ。嫌がる棚口の頬を抓りまくってた芳香は本当に悪魔ヨッシーだった。
「さすがにゼロではないと思うんだけどねー、ってそうじゃなくて」
「ん?」
「棚口元気なくない? どうかしたの?」
 あたしが覗き込むように見上げると、棚口は困ったように笑った。それが何だか藤崎大和が時々見せる表情に似ていて驚いた。……男の子ってみんなこんなにも大人びた表情をするんだろうか。
「そうかな」
 棚口のとぼけた口調はどんなことでも何でもない事のような気にさせる。それはたぶん棚口の雰囲気が包み隠してしまうからだろうけど。
「自覚ナシってやばいよ。なんだったら話してよ? あたしアドバイスはできないけど聞くだけなら自信あるから」
「別に何もないよ。藤崎こそ何かあったんじゃないの?」
「えっ? あたし?」
 逆に心配そうな表情をされるとは思っても見なかったので素直に驚いた。特に悩んでることなんて思い当たらないのに。
「藤崎だって自覚なしじゃん。最近あの転校生と仲良いってよく聞くけど。ほら藤崎って目立つこと苦手なのにさ」
 ――ああ、そっか。
「それは違うよー。向こうから来るんだもん」
「好かれてるね。モテテいいんじゃない?」
「あーうー、棚口ってそういうこと言うキャラだっけ」
「何唸ってんの。図星なんだ」
「違うってば。あたしは棚口の話をしに来たんだってぇ」
 それでもって恋煩いの真相を確かめに来たのだ。
「ありがと。でも何もないよ。そろそろ帰るし」
 そう言って本当に荷物を持ち上げて棚口は立ち上がった。あたしはまだ何も聞いてないというのに。
「待ってよ。何しに来たのよ?」
 あたしも慌てて立ち上がって聞くと、棚口はにっこりと人のいい笑顔を向けて振り返った。
「時間潰し。これから行くところあるから」
 ドアのところまで行くと、ああそうだ、と思い出したような口ぶりでまたこちらに振り向いた。
「シンデレラ、楽しみにしてるね」
 なぜそれを!?

 次の日の放課後、あたしはすっかり棚口のことを忘れるほどの衝撃的な光景を見てしまった。
「椿、椿! あそこ見て!」
 掃除中のあたしの腕を引っ張って彩芽は窓から校門の方を指差した。あたしたちの教室からは駐輪場を挟んで辛うじて校門が見える。そこには見たことのある制服姿の女の子が立っていたのだ。顔までは見えないけれど、あの制服は知っていた。
「南女のカノジョだよ!」
 近くに居るはずの彩芽の声が遠くに聞こえた。あたしって重症なのかもしれない。
 でもそれよりどうしてあの人がここに? わざわざ藤崎大和を迎えに来たの?
 気になる。
 それと同時にもやもやとした渦が心にできたみたいに、きもちわるい。胸が高まって治まらない。本当にカノジョなんだろうかと、信じたくない気持もある。
 自分で自分がよく分からない状態だ。
 何しに来たんだろう。
 彼は今どこに居るんだろう。
 そんなことばかりが気になって、掃除どころじゃなくなってしまった。