Je t'aime

13


 今、ここに居るのは、あたしと彼と、彼のトモダチ。
「はじめまして。棚口香苗です」
 ふんわりと微笑む彼女は、兄によく似た和やかな空気の持ち主だった。

 思えば彼――藤崎大和のことは何一つ知っていなかったのだと気づいた。前の学校ではどんな生活を送り、どんな友人達と付き合い、何に関心を持っていたのだとか、そういう当たり前でフツウのことを、何も知らないことに気づいていなかった。
 だから、本当に何気ない、思い付きだったんだと思う。棚口の妹が来た日の翌日、芳香と彩芽が揃ってあたしを引っ張り彼の前へ連れて行った。席に座って森岡君たちと話していたところに割り込んで、芳香は彼の前を陣取った。
「ねえ、いつから棚口の妹と付き合ってるの?」
 前置きもなく唐突に本題に入った芳香を、彩芽は止めるでもなく好奇心の瞳を輝かしていた。その質問に答えずに彼はあたしを見上げ、あたしは一刻も早く逃げ出したいと願った。そのささやかな願いは彩芽があたしの腕を掴んで放さない状態の中で叶うはずがなかった。
「恋人じゃあないわよ?」
 ……いや、あたしに言われても。
「それは知ってるって。前の学校の友達の紹介?だっけ、それで普通に友達だってのは」
 だから安心して、と芳香は笑う。
「じゃなくて。いつ、どこで、どうやってってのを具体的に詳細を知りたいの」
 彩芽が横からそう言うと彼の視線はやっと芳香と彩芽に移った。それだけでほっと緊張が取れた気がした。
「どうして?」
「だって椿がヤキモチ焼いて離れてくのは嫌でしょ、ヤマト君が」
 は!?
「そうねえ、ヤキモチは嬉しいけど距離を置かれるのは辛いわねえ」
 いやいやいや、ちょっと何、この話の展開は!
「じゃあ今度の日曜日、香苗の家で集まりましょ」

「待てぇい!!」
 休み時間に行われた藤崎大和と芳香と彩芽の企画会議を報告し終える間もなく、棚口が今まで見せたこともないような形相でストップをかけた。
「なんで僕が知らない間にそんなことになってるんだよっていうか勝手に僕の家を舞台にしないでくれないかな」
 そりゃ尤もだ、と頷くあたしを横目に悪魔ヨッシーはニヤリと微笑んだ。
「違うわよ。棚口の家じゃなくて香苗ちゃんの家で、よ」
「同じだ!」
 机に両手を叩きつけて棚口が叫んだ。なんだか人格変わってる気がするんだけど…。  だけど棚口が何を言おうと芳香はこう!と決めたら何が何でも実行に移す性格だから、当然棚口の意見なんか聞きながら聞いてないようなものだ。芳香はすでにこの話しは終わったとばかりに二年生とようやく入ってきた一年生の輪の中に入っていった。今年の新入部員は今のところ六人。このうち既に一人がユウレイなんだから、今年の新入生もけっこう度胸がある人がいるんだなと思う。何のために入部してるのか分からない。この学校は絶対部活制を採用しているわけでもないのに。
「椿ちゃーん、居る?」
 賑やかに棚口と雑談していると、ガラッとドアが開く音と聞きなれた声がこの化学室に響いた。ドアはあたしの背中側にあるのだけど、振り向かなくてもあたしを「椿ちゃん」なんて呼ぶ人は一人しか居ない。
「きゃー! 本物!!」
「ヤマト先輩!!」
 一年生はともかく、新歓の時に嫌って程目にしただろう二年生も彼に対して大袈裟に黄色い声を上げた。間近にそれをくらった芳香は手で耳を塞いでいた。
「どうしたの?」
 あたしの前に歩いてきた彼を見上げてあたしは首を傾げる。今日は文化祭の練習はなかったはずだし、彼があたしに用があるとは思えなかった。棚口の家へ行く予定だって既に決まっているし、確認取る事項もなかったはずだ。
「あ、良かった、ヨッシーも居る」
「私はついでですか」
 乾いた笑い声を立てながら芳香が言った。
「えっ、芳香に用事?」
 彼はあたしの隣に座って曖昧な笑みを見せた。
「半々かな。あのさ、さっきの約束、少し変更してもいい?」
「どこら辺を?」
 芳香が鋭く突っ込むと彼はもう一度困ったような笑みを見せる。それでもやはり彼は綺麗な顔をしていると思う。
「アタシと香苗と椿ちゃんの三人だけがいいな、と思って」
「ほぉ?」
 ……芳香、どこぞの親父かアンタは。
「してその心は?」
「会うだけ会わせて、あとはイチャコラしようかと」
「分かった。許す」
 許すんかい!!
「なに、もしかして、付き合ってるわけ?」
 棚口があたしと彼を交互に指差してそんなことを聞いてきたもんだから、遠くからこのやりとりを聞いていたであろう1、2年生の絶叫が聞こえてきた。いやそこまで嫌がらなくてもいいんじゃないか、と少し思ってしまった自分に嫌気が差した。
「付き合ってなんかないよ!」
「今はね」
 こら芳香、何をさらっと言い出すのか。
 そして照れたように顔を赤らめるな藤崎大和。
「ってことで次の日曜、ちゃんと来てね」
 にっこりと笑って彼は化学室を出て行った。何事もなかったかのようにサワヤカな姿だ。あとに残されたあたしは1、2、3年の全員に囲まれたのはしょうがないんだろう。
 だって相手はあのエセ王子だもの。

 待ち合わせ場所は学校の正門だった。一応部活をしているとはいえ、文芸部に休日の活動はなく、なんだか他校へでも来たみたいに日曜の学校というのは不思議だった。
「お待たせ椿ちゃん。行こっか」
 時間きっかりに顔を見せた彼に連れられて棚口の家へと向かう。こうして並んで歩いていると、なんだかデートみたいだと考えて、少し恥ずかしくなる。当然お互い私服だからよけいにそう思えるのかもしれない。
 もともとの素材が良いからか、私服姿の彼は本当に絵から切り抜きだしたようにかっこよかった。服のセンスはどうか、あたしには分からないけど良い方だと思う。足も長いし、制服で居る時よりも断然モデルみたいだ。
「そんなに見つめるほどアタシって良い男?」
 あたしは自分で思う以上に彼を見ていたらしく、冗談ぽく笑って彼が言った。
「うん」
 あたしがあまりにも素直に頷いたものだから、彼はハハと乾いた笑い声を上げて困ったように頭を掻いた。その仕草が彼のオネエ口調と似合わない気がした。本当は無理してるんじゃないかってくらい、彼にその口調は似合わない。
「椿ちゃんって天然?」
「そんなことないと思うけど」
 天然なんて言われたことがないので少しだけ驚いた。天然って天然ボケのことだよね? と確認したくなるくらいにそう言われたことが信じられなかった。
「じゃあアタシのこと好き?」
「えっ……」
 何を唐突に聞くんですかこの人は。
 自分の顔が赤くなるのが分かる。真夏でもないのにすごく暑くなった。
「え、じゃなくて。好き? 嫌い?」
「嫌いではない……けど……」
 面と向かって彼に「好き」と言えるほどあたしは大人じゃなかった。
 なんだか微妙な空気。
 それからその空気を上手く入れ替えることもできずに、あっという間に棚口の家の前まで来てしまった。それまでの道のりなんて全然覚えていない。というか周りの景色は全然見てなくて、ずっと彼の仕草だとかに気を取られていた。まぁ一度尾行してるから帰り道は分からなくもないけど。
 彼がインターホンを鳴らすとすぐに鍵が開けられた。このマンションはオートロック式らしく、玄関の所で一度相手を確認してるから、ドアの所で確認なんてしなくてもいいんだろう。
「はーい、待ってたよ藤崎くん」
 元気な声と一緒にドアから姿を見せたのは可愛らしいお人形さんみたいな女の子だった。この前は後ろ姿しか見てなかったけど、髪の長いこの子があの時の“香苗”さんだと分かった。前から見ても棚口の妹にしては可愛いすぎるくらいの子だ。確か2つ年下だと聞いていたけど、実際は大人っぽくてあたしよりしっかりしてそうな雰囲気を持っていた。
「あ、こっちも藤崎さんなんだよね。はじめまして。棚口香苗です。兄がいつもお世話になってます」
 ぺこりと頭を下げてにっこりと笑う。あたしも慌てて頭を下げた。
「ふ藤崎椿です」
「私のことは香苗って呼んでください。じゃあどうぞ」
 そうして案内されたのは多分香苗さんの部屋だ。女の子らしく所々に小さなぬいぐるみが飾られていた。でもベッドのシーツやカーテンは寒色系で、丸々オンナノコしてます、ってこともない。不思議な子だなと思う。
「で、藤崎君は紹介してくれないの?」
「んー? もったいないからしたくないなと」
「なにそれ。藤崎君から言ってきたのに」
「こっちにもいろいろ事情があるのよ。まあコドモの香苗には分からないかしら」
「ひどぉい!」
 二人のテンポの良い会話を聞きながら、あたしの胸は何だかムヤムヤとする。何だろ、変な感じ。
 彼が藤崎君と呼ばれてるのも違和感を覚えるけど。何だろう。寛いだ感じで笑う彼を見ると、何だか嫌な気持ちになる。
 何だろ……これ。