Je t'aime

14


 お嬢様学校で進学校と名高い南女子学院大学付属高校に通う棚口妹こと香苗さんは、とても料理の上手な女の子で、兄に似ず可愛らしかった。
「やっぱ上手ねぇ香苗は」
「ありがとう。椿さんは? 美味しい?」
「え、あ、はい、とても」
 昼ごはんを食べていないというあたしたちに香苗さんの振舞ってくれたオムライスは下手な洋食屋なんか吹っ飛ぶくらいに美味しかった。藤崎大和はこんなに美味しい彼女の手料理を何度も口にしたんだと、さっきの言葉で分かって何となくヘコんでしまった。あたしは調理実習以外の料理なんてしたことがない。お菓子作りさえしたことがなくて、バレンタインの日はいつも試食係を申し出ていたほどだ。
「椿ちゃんは料理するの?」
「いや、全然……」
「じゃあアタシが作ってあげる。こう見えても器用なのよ」
 要領も良さそうだ――なんて思ってしまったことは秘密にしておこう。
「ええ! 藤崎君料理できるの? 初耳なんだけど」
「椿ちゃんは特別なの」
「何それ。いいなぁ椿さん、話で聞く以上に愛されて。この前も殴り倒してしまいたくなるほどノロケ話聞かされたんですよ」
 ……ごめんなさい、話についていけてませんが。
 それより二人のことを聞きに来たというのに、なぜあたしと彼のことで二人がこんなにも盛り上がっているのだろう。あたしがそんなふうに思っていると、それが二人にも通じたのか、ようやく「そういえば私たちの話だったよね」と香苗さんが切り出してくれた。もう既にオムライスはほとんど皿から消えてしまっていたけれど。
「私ね、南女に通ってて」
 はい知ってます……なんてとても言えなかったので「そうなの?」とわざとらしく驚いてみる。藤崎大和にニヤリと怪しげに笑われたのは気にしない。
「電車で通ってるんだけど、藤崎君のことはずっと電車で見てたんです。かっこいい人いるなぁって。よく同じ車両だったりもしてたんで、その日はちょっとだけラッキーデイなんて言って、友達とも騒いだりして。で、ある日、その……ちょっとした事件があって」
 急に言い難そうに口ごもる香苗さんにあたしは小首をかしげた。すると彼女を庇うように彼がその続きを言ってくれた。
「アタシの学校の奴らに絡まれちゃってたの。そこをアタシが助けたってわけ。ほら、アタシって強いから」
 ふふ、といつか見た笑みを見せて彼が言った。藤崎大和がわざと冗談っぽく言っているのだと分かって、分かってしまったからそのときの香苗さんのショックも何となく想像できてしまった。
「これは運命の出会いに違いない! って思って、私即行で藤崎君に告白したの」
「え……?」
「やあね、椿ちゃん。そんな悲しそうな顔しないでよ。告白って、愛の告白じゃないから」
 いや、悲しい顔なんてしてるつもりないんだけど。
 それでも彼の慌てた様子が可笑しくて否定はせずに黙っていた。
「あら、私にとっては愛の告白だったのに。藤崎君が『いいよ』って言ってくれたから今もこうして私の料理を食べてくれてるんじゃないの?」
 香苗さんの言葉を受けてあたしが彼を見ると、なんとも言えない、困った顔の彼がそこにいた。
「ちょっと、誤解されるような言い方しないで。あのね椿ちゃん、香苗が言ってきたのは『友達になってほしかったんです!』って告白だったのよ」
「ああ、そう」
「信じてよ、椿ちゃん」
 綺麗な顔が泣きそうになると、人間ってなんでも許せちゃいそうな気がする。例に漏れずあたしもそんな普通の人間なわけだから、素直に頷くしかなかった。
「信じてるよ」
 それを疑ったってどうなるわけってもないんだし。だけどそのときの彼の嬉しそうな顔を見たら、そんなことは言えなかった。

「知ってると思うけど」
 棚口家からの帰り道、なぜかあたしの手を握って歩いている藤崎大和が、ぽつりと言った。
「アタシは椿ちゃんが好きだから」
 消え入りそうな震えた声は、きっとあたしの耳から離れることはないだろうと思った。
 手を握り返すこともできずにあたしは、ただ、知ってる、とだけ答える。
 今はそれだけが精一杯の勇気だった。

 なんであたしなんだろう?
 家に帰るなりあたしはベッドにダイブしてそんなことばかり頭の中で巡らせていた。
 なんであたしなんだろう? 苗字が同じだから興味を持ってくれたのだろうか。だって思い返せば最初からだ。同じ委員を選んだり、シンデレラ役だって彼からの提案だって聞いたし。
 その前から会ってた――なんて、それは小説の読みすぎだ。第一彼が前にいた町にあたしは行ったことがないし、内向的なあたしはあまり家を出ないから買い物に行くのだって何でも近所のスーパーくらいだし、そんなんだからめったに友達とだって会わないのだ。
 そういえば「好き」って……あれは愛の告白だったんだ。
 今更ながら顔が熱くなってきた。「知ってる」って、何言ってんだ、あたし。こういう場合ふつうならなんて返すんだろう。「あたしも」とか言って恋人同士?
――ありえない。
 なんとなく、有り得ない気がする。あたしと彼がそういう関係なんて。そもそもクラスメイトというだけで滅多に会話しそうにないほど、タイプが違う人間同士なのに。
 っていうか、手、握ってたし。ますます有り得ない。有り得ないはずなのに、なんで現実として起こっているんだろう。もう一度自分の手を見てみる。たいして大きくも小さくもない手だ。昔ピアノをやってたから指は今でも少し長め。だけど、それだけ。
 大きかった。彼の手は。少しゴツゴツしてて綺麗な顔なのに手はちゃんと男の子だった。

 どうしよう。

 よくわかんないけど、どうしよう。

 明日はいよいよ体育館で全体練習の日だ。