Je t'aime

19


 前期の大イベントである文化祭が終わると期末試験が迫ってくる。それが終わると夏休みだ。受験生が大半のこの夏休みは何もかも節目となる。あたしも例に漏れずこの夏に文芸部を引退することに決めていた。季節はゆっくりと、そして確実に変わっていて、そろそろ制服も夏服が目立ってきている。
 だけど変わらないものもあって。それは何かと言うとたぶんこの先も変わることがないだろうと思う彼のあたしに対しての態度だ。
「おはよう、椿ちゃん。夏服も可愛いわねー」
 教室に入るなりそんなことを言われて固まるあたしに、藤崎大和は抱きつかんばかりに近づいてきた。それを呆れた様子で見ている篠原君がいる。篠原君は苦笑しながらも席に着いたままあたしたちを眺めて小さく息を吐いた。
「ヤマトってそう言うの慣れてそうだよなぁ。恥ずかしくないわけ?」
「本当のことだもの」
 しれっと言ってのける藤崎大和にあたしの方が赤くなって、ますますどうして良いか分からなくなる。篠原君も傍から見てそんなあたしに気づいたんだろう。
「けど藤崎さんは違うと思うからさ、そういうのあんまりしない方がいいんじゃね?」
 そう言ってくれた。あたしは心の中で激しく賛同する。
 文化祭のベストカップルに選ばれて以来、既に藤崎大和のこういう部分は公認のものになってしまって、森岡君とかは煽ったりするのだけど、篠原君は静かに行き過ぎないように止めてくれたりする。彼も森岡君に煽られても「もったいない」とよく分からないことを言って流したりするけど、篠原君の言葉にはちゃんと従っているから、彼なりに考えてくれているのかもしれない。
「そうね。でも可愛いのは本当だからね」
 そうして彼は篠原君のところへ戻り、二人で談笑を始める。あたしもあたしで自分の席について荷物を置くと、既に来ていた彩芽と喋ったりするのだ。
「あ、そうだ。引退の日ね、夏祭りの日にしようって言ってるんだけど、彩芽都合つく?」
 この前芳香と話してたことを彩芽にも伝えてみた。引退の打ち上げも兼ねて夏祭りに行こうというものだ。バイトをしてる彩芽の都合が良ければ3年全員参加ということになる。
「うん、大丈夫。それにバイトはもう辞めるんだ。受験に専念したいしね」
「そっか。じゃあ今年も皆で行けるね」
 良かった、とほっと息を吐くと、彩芽は「でも」と首を傾げる。
「椿はヤマト君と夏祭り行かないの?」
「え、なんで?」
 今度はあたしがキョトンと首を傾げる。どうすればあたしが藤崎大和と夏祭りに行くことになるんだろうか? そんなあたしの疑問に彩芽はそれこそ当然のように答えた。
「だって夏祭りって行ったらカップルのメインイベントの一つじゃん。引退の日って毎年夏祭り一日目でしょ? 二日目は絶対ヤマト君と行くべきだよ」
 確かにこの町の夏祭りは二日間行われているけど、藤崎大和と行くのは絶対事項なんだろうか? っていうかベストカップルに選ばれたからってあたしたちが“本物の”カップルではないことは彩芽だって分かってると思うのだけど。
 あたしはそう思っていたのだけど、どうやらそれはあたしだけだったようだ。
「そういえばさ、今年の夏祭り、ヤマトたちと一緒に行こうと思ってるんだけど、藤崎さんも来る?」
 一週間の期末試験が終わり、その解答だけの授業も終わった休み時間、唐突にそんな誘いを受けた。顔を上げるとそこに居たのは畑さんで、もちろん今まで彼女と遊びに行ったことなんて無かったからあたしはすぐに返事ができなかった。
「え、なんで?」
 声に出してみると、こんなふうに聞き返したことが前にもあった気がした。
「藤崎さんが行くならヤマトも絶対来てくれると思うのよね」
 当然のように言う畑さんを見上げたままあたしの頭の中は疑問符ばかりが浮かんでくる。
 うん、だから、どうしてあたしが行くと藤崎大和も来るということになるのだろうか。彼が来るかどうかは彼の都合の問題だと思うんだよね。
 そんな考えが顔に出ていたのか、横にいた彩芽が付け加えるように言った。
「ほら、ヤマト君って椿のこと気に入ってるじゃない。椿が誘えば二つ返事で受けてくれると思うよ」
「そんなことないと思うけどなぁ」
 その場ではそんなふうにして畑さんの誘いを曖昧にしたけど、同じ日に同じようなことを芳香に言われてしまった。
「やっぱりフジ子から誘うべきじゃない?」
 珍しく部活に顔を出した彩芽の「ヤマト君は椿と夏祭りに行くべきだ」という意見に芳香が当然のように言う。すると1年生も2年生もテンションを上げて賛同した。まじですか。
「だってヤマト君にとってこの町の夏祭りは初めてだし」
 そりゃそうだけど、それは理由になっていない気がする。
「もちろん浴衣ですよね、フジ子先輩!」
「そうよね。ナイスよ、飛鳥ちゃん!」
 芳香がヨッシーの顔になって親指を立てる。よりによって浴衣ですか。嫌だよ。
 けどそんな文句を当然芳香が受け付けてくれるはずも無かった。
 また別の日には篠原君から声を掛けられた。
「今年の夏祭りはクラスの奴らと行こうって話が出てるんだけどさ、藤崎さんたちも行ける?」
「あ、畑さんが言ってたやつ?」
 あたしが聞くよりも先に口にしたのはやっぱりこの時横にいた彩芽だった。畑さんはあたしだけのことを指してるような言い方だったけれど、篠原君の場合は彩芽も含んでいるような言い方だったから、すんなりと口を挟めたんだろう。
「そうそう。聞いてたんだ? 一応日にちはまだ決めてないんだ。今聞いて周ってるところ。榎本さんは大丈夫?」
「一日目はクラブで行くからダメなんだけど、二日目だったら行ける。あ、椿も同じクラブだからね」
「じゃあ二日目だね。うん、きっと二日目が優勢だね」
 面白そうに笑う篠原君にあたしはやっぱり首を傾げる。どうしてそういう結論になるんだろう?
 ありがとう、と言って篠原君が離れていった後、突然彩芽が何かを閃いたかのように「あっ」と声を出した。
「でもクラスで行くんだったらデートにはならないよね。ごめんね、椿」
「はい?」
 思わず聞き返してしまった。デートって単語が聞こえたんですけど、何かの間違いじゃないだろうか。というか謝られる要素なんて無かったと思うんだけど。
「大丈夫、わたしが篠原君たちに言って二人きりにさせてあげるからね!」
「え、なんで?」
 あたしの声を聞くよりも早く、彩芽はさっさと篠原君たちの所へ行ってしまった。彩芽は変なところで積極的なのだ。
 ……なんだか大変なことになっていく気がする。これはたぶん気のせいじゃないと思う。
 そこでふと、彼女のことを思い出した。
 棚口の妹で藤崎大和の女友達だという香苗さんだ。彼女ならきっとあたしの味方をしてくれる。というか、もう彼女しか味方になってくれそうもないのだ。
 別に藤崎大和が嫌なわけではないけれど、あたしは普通に夏祭りを楽しみたいだけだ。こんなふうに仕組まれたような感じがする夏祭りは嫌だった。
「あっ、加島君」
 早速昼休みに1組の教室を覗くと、ちょうど加島君と目が合った。だけど肝心の棚口の姿が見えない。
「棚口は?」
「生徒会の引継ぎがあるとか言ってたから、たぶん生徒会室だと思うけど」
 ああ、そうだ。3年は前期で生徒会も終わるんだ。そういえばこの前、後期の生徒会選挙があったっけ。期末試験の直後はいつも記憶が曖昧だ。
「分かった、ありがとう」
 あたしは加島君に礼を言って、生徒会室の方へ足を向けた。生徒会室は1階にある。職員用の玄関のすぐ隣にあって、一度見たことがあるけれど教室ほどの広さも無い狭い部屋だった。ただ正面に生徒会長の席が一つどんと構えていて、部屋の中央には大きなソファがあった。それだけはなぜか印象に残っている。
 生徒会室の前まで来ると、確かに人がいるようで、明かりがドアの窓から見えた。どうしようか一瞬迷ったけれど、やっぱりやめることにした。生徒会室はなんだか簡単に入れるような場所じゃない気がしたし、引継ぎの作業を中断させてまでするような話じゃないとも思った。
 あたしが生徒会室の前で待っていると、しばらくしてドアが開いた。何人かが出てきた後、最後に棚口が現れた。
「あれ、藤崎?」
 驚く棚口にあたしは近寄る。
「あのさ、ちょっと頼みがあるんだけど」
「うん?」
「夏祭りにさ、香苗さんも連れてきてほしいんだけど」
 あたしの言葉に更に棚口は驚いた表情をした。そりゃそうだろう。あたしと香苗さんは一度だけ会っただけの、それだけの関係なのだから。
「別にいいけど。なんで?」
「……」
 言えない。藤崎大和と一緒に居たくないから、なんてそんな自意識過剰みたいなこと、恥ずかしくて絶対言えない。
 あたしはどうやって答えていいか分からず、何とも言えない沈黙が流れた。
「ふじさ」
「あ! 椿ちゃん!」
 棚口の声と被さるように大きな聞きなれた声があたしたちの沈黙を破った。声のする方に目を向けるとものすごい勢いでこっちに向かってくる藤崎大和の姿があった。
「ちょっと香苗兄、椿ちゃんに何したのよ」
 がばっと棚口から隠すようにあたしの後ろから抱きついてきた彼は、責めるような口調でそんなことを言い放った。
「なんだよそれ。別に何もしてないよ」
 棚口は呆れたように言うけれど、藤崎大和の威嚇するような視線は変わらなかった。
「おーいヤマト、それくらいにしとけって」
 そう言って間に入ってきてくれたのは、やっぱり篠原君だった。