Je t'aime

23


 あれからどうやって家に帰ったのか覚えていない。いつの間にか自分のベッドで朝を迎えて、昼は何をする気にもなれなくてゴロゴロしていたら、あっという間に夕方になっていたらしい。突然ケイタイの着信が鳴り、いつもは普通の音量もこのときはけたたましく感じられた。驚いて慌てて取ると、彩芽からだった。
『ちょっと今どこ!?』
 時計を見ると、待ち合わせ時間はとっくに過ぎていて――。
「……ごめん! 今行くから!!」
 窓を見るとすっかり赤く揺れる太陽はそろそろと沈んでいっている。あたしはその場に用意していた小さ目のバッグに必要なものだけ詰め込むと、ダッシュで玄関を出た。
 全速力で駆けつけた待ち合わせ場所には彩芽と藤崎大和と香苗さん、それに篠原君がいた。彩芽はいいとして、篠原君達が待っていてくれたことは少し意外で驚き、同時に嬉しく感じた。
「ごめ……ほんと、ごめん!」
 息を整えながら謝る。彩芽は頬を膨らませて完全に怒っていた。時間には厳しいのだ。そんな彩芽を香苗さんが宥める。二人ともバッチリと浴衣姿で決めていて、その時になってようやくあたしだけが普段着だと気づいた。昨日でさえもう少しオシャレに気を使っていたのに。
「クラスの奴らは先に行ってるからさ、俺たちもゆっくりと追いつけばいいじゃん」
 篠原君がそう言ってくれて、彩芽もようやく落ち着いてくれたようだ。あたしは何度も謝って、その度に香苗さんも篠原君も優しい言葉を掛けてくれた。森岡君が「気にすんな」と言ってあたしの頭をポンポンと撫でた時はどこからかの視線が痛かったけど。

「あー、もう、遅ーい!」
「やっと来たなー!」
 クラスの皆の姿が見えたのはパレードが半ばを過ぎた頃だった。女子はほとんどが浴衣姿で、中には色違いのを着てたりして、どれも可愛かった。男子は私服が多かったけど、二人ほど甚平を着ていて、少しだけかっこよく見えた。もちろんマジマジと眺めることは出来なかったけど、普段と違う特別な時の格好はやっぱり特別違って見えるから不思議だと思う。
 と、あたしがそんなどうでもいいことを考えていたら、いつの間にか傍には女子達が集まっていて、彼女たちが誰を囲んでいるのかはすぐに分かった。
「ヤマトはもうこれ食べた?」
「次一緒にこれ食べない?」
「あそこで射的やってるんだけど、行ってみない?」
 なんとなくあたしははじき出され、その輪から少し離れたところに彩芽と香苗さんを見つけたので急いで二人のところへ避難した。
「大丈夫? 椿」
「うん、まぁ」
「ってかやっぱり藤崎君ってどこ行ってもすごいですね」
 確かにその通りだ。学校でもそうなんだから、こういうところだと特に目立つ。あたしはなんとなくその取り巻きを見ながら、ぼんやりと思い出すのは昨日のことだ。
 今日はまだちゃんと話してないなとか、昨日の事は気にしない方がいいのかなとか、ついそんなことを考えてしまう。本当はもっと楽しみたいのに、そんなことが頭によぎってしまうから、足も心も重く感じて嫌だ。こんな自分が嫌だ。
「ねえ、藤崎さん」
 不意に声を掛けられて、振り返るとクラスの男の子たち何人かがあたしたちの傍にいた。今まで話したことがなかったから急に声を掛けられて驚いた。
「ちょっと前にヤマトの彼女だって噂になってた人だよね?」
 そう言って彼らがあたしの前を歩いていた香苗さんを指差して言った。
「あぁ、うん」
 あたしが頷くと「やっぱりなぁ」と頷きあう。それがなんだか不思議で首を傾げる。香苗さんは文化祭前に藤崎大和の彼女かもしれないと噂になった人ではあるけれど、棚口の妹でもあるのだ。その情報はあまり流れていないみたいだから、たぶんこの人たちも知らないのだろう。……知ったらどう思うんだろうか。
「ねっ、良かったら僕らに紹介してくれない?」
 あぁそっか、それで――。
「でも棚口が怒るかも」
「棚口? って、1組の棚口?」
 なんでその名前が出るんだろうという顔をされたので、やっぱり知らないんだと確信した。
「や、棚口の妹だから。んでもってシスコン気味なんだよ」
 あの時はあたしも驚いたなぁ。なんてことを思い出しながら言うと、案の定皆は合わせたように驚いていた。
「ええ!? マジで? 嘘だろー!?」
 軽くパニック入っているかも知れないほどの驚きようで、あたしもそれに驚いてしまった。でもそのうち、そんなふうに驚かれる棚口が可笑しくなってきて、笑いが込み上げてくる。あたしが笑うと他の人たちも伝染したように笑って、信じられないとか、あの棚口に、とか、散々言い合って盛り上がる。こんなふうに今まであまり話さなかった人と笑ったり話したりするのは楽しいと素直に思えた。
 しばらくすると香苗さんのことは諦めたみたいで、彼らはまた別のグループの人たちの所へ行った。あたしも彩芽と香苗さんとの会話に加わったりした。そう、こんなふうに、楽しむんだよね、祭りっていうのは。皆でワイワイとやって、笑って食べて。昨日みたいなのはちょっと違うんだ。

 パレードもあたしたちも折り返し地点までやってくると、ゲーセンかカラオケに行くという話になった。だけどこれだけ大人数で入れる場所があるはずもなく、二つに分けることになったのだけど。
「とりあえず二つに分かれようぜ。俺んとこと畑さんとこに分かれて」
 篠原君が仕切っていく中で、なぜかあたしは当然のように藤崎大和の隣に立たされていた。なんでっ?
「コラ、椿、そんなにオドオドしないの」
 彩芽にそんなことを言われてもどうしていいか分からないんだけど。っていうかなんで皆してこんなことするのかなー……。
「ほらヤマト君からも何か言ってあげてよ」
 うわー。やめてー。
 彩芽の言葉に藤崎大和があたしを見たのが分かった。顔は上げられないけど、視線は感じる。なんだかそれだけでも気まずいんですけど、意識しすぎなのかな、あたし。
「嫌だったら言った方がいいよ」
 え。
 ――あれ。
 なんだろう。おかしいな。
 なんか。
 なんでか、泣きそう。
「藤崎くん?」
 香苗さんも彩芽も不思議そうにしてるのが分かった。だってそうだよね。二人の知ってる藤崎大和は、たぶんこんな静かな声は出さない。怖いと思えるくらいの静かさで話さない。でもそれはあたしも同じだ。あたしもこんな彼を知らない。
「んじゃあ行くよー!」
 篠原君の明るい声があたしたちの間に響いた。ゆっくりと動き出す足はみんなバラバラだった。