Je t'aime

25


 どれくらいそうしていただろう。あたしがだいぶ落ち着いてくると藤崎大和はさり気なくあたしの手を取って歩き出した。たぶんあたしを座らせる場所がほしかったんだと思う。だけど適当な場所が見つからなくて、結局皆とは反対の位置にある河川敷公園まで行って、そこのベンチに座るように促した。公園まで行く長い道のりはほんの数分だったと思うけれど、あたしは柄にもなくいつまでもこの道が続けばいいのにと思ってしまった。
「大丈夫?」
 彼はあたしが座ると手を離し、正面に立って聞いてきた。だけど顔を覗きこむとかはしなくて、ただ聞いてきただけだった。あたしが顔を上げないと彼の表情は見れない。
「……だいじょうぶ」
 あたしの視界にはあたしの足と、彼の足が見える。藤崎大和の履いているスニーカーは少しボロボロで、あたしの履いている靴といい勝負だ。
「あ、あの、ごめんね」
 あたしが二人の靴をぼんやりと眺めていると、慌てたように彼が謝った。あたしは何のことだか分からなくてキョトンと顔を上げていた。目が合うと途端に彼が焦りだしたのが分かった。
「いや、ほら、昨日のこととか、色々……椿ちゃんが何も言わないから調子乗っちゃって、アタシ、その……」
 目を泳がせながらも一生懸命に彼は喋って、だけどだんだんと視線が下へ落ちていく。
「その、なんていうか、椿ちゃんが本気で抵抗しないから、もしかしたら椿ちゃんも――なんて、自惚れてる部分とか、うん、あったんだけど。……ごめんね、ほんと。これからはちゃんと嫌だって言ってくれてかまわないから。っていうか、言ってくれないと困るっていうか」
「うん……ごめん」
 そうだよね。もとはと言えばあたしがハッキリしないからだ。何だかんだで、結局あたしは何も言ってないし、だからあたしの気持ちなんて伝わるはずもなくて。
 だけど今は未だ何も言える状態じゃなくて。でもそれはあたし自身が自分の気持ちをよく分かってないからで。彼はちゃんと言ってくれているのに、あたしはやっぱり黙ったままでいることしかしないんだ。
「や、違うの。アタシは謝ってほしいんじゃなくてっ」
「うん」
「嫌だったら嫌だって言った方が良いよっていう話で」
「うん」
「でも椿ちゃんから離れていくのを見るのは嫌だから自分から離れてみようとしたんだけど」
「うん……」
 ……うん?
 え、待って、それって。
「でもやっぱりアタシ、椿ちゃんが好き。好きなの」
 藤崎大和はあたしの前にしゃがみ込んであたしを見上げた。
 なんだか、こっちが恥ずかしい。
 急に体温が上がった気がした。たぶんあたしの顔は赤くなっているだろう。この暗さで見えるかは分からないけれど。
「なん、で?」
「え?」
 あたしはどうしていいか分からないまま、そんなふうに口を開いていた。
「どうしてあたしなの?」
 信じられないけど、本当にこんなセリフが出てくるんだ。――なんて、頭のどこかでよく分からないことを思いながら彼の目を見ることも出来ずに、あたしは再び足元を見つめることにした。
「……ほんとはね」
 困ったような彼の声が静かに聞こえる。
「アタシ、椿ちゃんのことを知ってたのよ」
「え?」
 思わず彼の顔を見る。やっぱり彼は困ったように笑って、覚えてないよね、と寂しそうに呟いた。
「アタシね、去年の冬くらいに一度今の学校に来てたの。転入の手続きとかで、一応ね。そのときに椿ちゃんを見かけて。って言っても学校じゃなくて駅でだったんだけど、制服着てたからすぐにここの高校だって分かった。その時ね、椿ちゃん、迷子の子を必死で宥めてて。椿ちゃんはたぶん覚えていないかもしれないけど。なんかその姿がね、すっごく印象に残ってて。で、転入して同じクラスになって、椿ちゃんがあの時の子だって気づいて、気になってずっと見てたら、なんかいいなって思うようになったの」
「駅でって……いつ?」
「終業式の前くらいだから、2月の終わりくらいだったかしら? あ、いいの、覚えてなくて。ただなぜかアタシには印象的だっただけだし」
 2月の、終わり頃――。
 それから転入してすぐ、あたしを見てくれていたんだ。
 どうしよう!
 じゃあ委員会の時のあれは、気のせいじゃなかったの? あたしが図書委員が良いと言ったから、それに決めたの?
 ふとそんなことを思ったけど、声に出して聞くことはできなかった。そこまで自惚れていると思われたくなかった。
「あの、椿ちゃん?」
 あたしが黙っているとまた静かな彼の声がして、あたしは視線を再び彼の足元から上げた。まだ彼は困ったような微笑を浮かべてあたしを見上げていた。
「怒ってくれていいのよ? 昨日は完全にアタシが悪いんだし、殴ってくれたって構わないし」
 そしてすぐに視線を落とした彼の表情を見て、あたしは怒るなんていう気は全然しなかった。というかそういう発想がなかったのに、あたしの曖昧な態度が彼をこんなにも不安にさせているのかと自分が嫌になりそうだ。
「怒ってないよ。い、嫌じゃ……なかったし……」
 あたしの消え入りそうな言葉に彼は思い切り目を開けて顔を上げた。
「ホント?」
「う、うん……」
 嫌じゃなかった。
 そうだ、嫌じゃなかったんだ。
 驚いたけど、ただそれだけで、嫌だとか気持ち悪いとか、そういう感情はなかった。
 だけど。
「ごめん、あたし――藤崎君の気持ちに応えられない」