26
花火が夜空を飾っている下でされた触れるだけの彼とのキスは、驚いたけれど嫌だとか気持ち悪いということはなく、たぶんそれはあたしが彼のことを好きだからなのだと思う。そして彼もあたしを好きだと言ってくれた。
けれど。
「ごめん、あたし――藤崎君の気持ちに応えられない」
彼があたしのことを気に掛けてくれてたのは、迷子の子を宥めていた“あたし”を見かけたからで、きっとそれがなかったら彼は地味で平凡なあたしのことなど見向きもしなかったと思う。だけどあたしは、きっと何もなくても彼の事を見ていたと思う。
だから。
「――……そっか」
いつの間にか目を閉じていたあたしのそばで、少しかすれた彼の声が聞こえた。ゆっくり立ち上がる音がして、あたしはそっと目を開ける。膝に乗せた両手は気づかないうちに拳を作っていた。
「もう、期待もできないかな? この先とか、可能性もない?」
顔が上げられない。
「……ごめん」
応えられないと言ったのに、期待させることなんてできるわけない。そこまで曖昧な、嫌な人だと思われたくない。
だけどこれも自己満足なだけなのかもしれない。結局は、そういうことだ。
「それじゃあ、仕方ないわね。――でも、夏祭りは一緒に行きましょ? 友達として付き合って? まだクラスメイトでいる時間は長いし、気まずいのは嫌だもの」
「うん」
ありがとう。あたしは心の中で呟いて、ようやく顔を上げることができた。
その後あたしたちは駅まで一緒に行き、別れた。あたしが帰宅すると彼からメールが来ていた。そこには「ごめん」という一言と、約束していた彼の地元の夏祭りに行く日が書かれていた。
そして翌日。
「はぁ? 振っただぁ?」
彩芽に呼び出されて近くのカフェに行くと、そこには芳香と香苗さんも来ていて、三人に昨日のことを報告するようにとせがまれた。あたしは勢いに負け、というか勝てるはずもなく、所々省略しながら告白されたこととあたしの返事を話した。
で、さっきの呆れた声が彩芽と芳香から漏れたのだ。
「藤崎君のどこがだめだったんですか? やっぱりあの口調とか?」
真剣に尋ねてきた香苗さんにあたしは何も言えなかった。
「いやいや香苗ちゃん、何か論点ズレてるから」
「え、そうですか?」
ヨッシーの突っ込みに首を傾げる香苗さんは、実は天然ボケの子なのかもしれない。あたしはつい笑いそうになってしまった。
「てか椿って、明らかヤマトくんのこと好きじゃん?」
そう言ったのは彩芽だ。それには芳香も香苗さんも頷く。そういえばだいぶ前に畑さんからもそんなことを言われた気がする。そのときのあたしは、彼のことなんて何とも思っていなかったけれど、どうしてそんなふうに見えるんだろう。
「それって断定?」
一応聞いてみると、「当たり前でしょ」と即切り返された。
「見てりゃ分かるもん。気にしてるなぁって」
「そりゃ……同じ苗字の人だし、気になるって言えば気になるけど」
ていうか“藤崎”っていう名前って、ありそうでカブることはないし。珍しいと思うのだけど。いや、これこそ論点ズレてるか。
「それよかさ、どうして振ったの? 仮に好きじゃなくってもさ、あのヤマトくんだよ? 顔良し頭良し性格良し。で何が不満なわけ?」
芳香の言葉に彩芽も香苗さんも頷いて同意する。
「とりあえず付き合うべきよ。それから好きになるかもしれないし。むしろ好きになると思うし」
「そうですよ。女口調だからって気にしちゃだめです。あれも個性ですよ!」
「香苗ちゃん、だからそれ違うって」
芳香が小さく再び香苗さんに突っ込みを入れた横で、彩芽が身を乗り出してあたしの顔を覗きこむ。
「どうなの、椿?」
睨むような彩芽の視線にあたしは小さくなりながら、両手を組んで少し考えた。
考えた結果、やっぱり彩芽たちには話すほかこの場を逃げ切れる方法はないと結論付けた。あたしは二人のように強くないのだ。
「藤崎君が……駅であたしを見かけたって言ってたの」
緊張して、泣きそうになる。
「うん、聞いた。迷子の子どもを宥めてる椿に一目惚れしたんでしょ?」
「ひっ一目惚れ!?」
思わず声が裏返る。っていうか彼は一目惚れしたなんて、一言も言ってなかったよ。
けど彩芽はなんてことないように、あたしに話を続けるように促す。
「それはいいから、続けて」
芳香にも言われて、渋々立ち上がりそうになった腰を下ろし、座りなおした。一目惚れ云々はそんなに些細なことでもないような気がするけど――しょうがない。
「えーと、それで、それが2月の終わり頃って言ってたの」
これも既に話したことだ。三人とも「うん」と相槌を打つ。
「でもあたし、2月から3月の間の半月、大阪に居たのよ。――覚えてる?」
恐る恐る上目遣いで彩芽のほうを見ると、彩芽は目を丸くしてあたしを見ていた。香苗さんは不思議そうな表情を浮かべていたけど、芳香もすぐに「あっ」と小さく声を出した。どうやら思い出したようだ。
「そういえばそうだった……。確かおじいさんが亡くなって、椿だけ少しの間残ってたのよね。えーと……なんでだっけ?」
「身内があたしの家族と叔父さんの家族だけだから、49日まであたしとイトコだけ残ることになったの。お母さん達は仕事があるから、週に3日くらいしか来れなくて」
「ああ、そうそう、卒業式に間に合わなくて先輩に花を渡せなかったのよね、フジ子だけ」
「えっと、あの、それって?」
香苗さんだけが分かっていないようで、困ったように首を傾げる。あたしは再び両手を組んで汗ばむ掌を握り締めた。
「だから藤崎君が会ったのは、あたしじゃないの。あたしなはず、ないんだ」
彼の心を打った相手はあたしじゃなくて、同じ学校の別の女の子だ。
彼はあたしを好きになったんじゃない。あたしを通して違う女の子を好きなんだ。
あたしじゃ――ない。
それが事実で、真実だ。だからあたしは彼の気持ちに応えることはできない。きっとあの子に会ってしまったらきっと気づく。あの時の制服の子はあたしじゃないことを。そしてあたしへの気持ちが幻想だったことに気づくんだろう。
そうなる前に、あたしは離れないといけないのかもしれない。でも少しでも傍に居られるなら、クラスメイトのままが良い。結局は、自分のため。そういうことだ。
あたしは傷つきたくなくて、応えなかった。いつか醒めてしまうだろう彼の気持ちを先回りして。逃げたんだ。
「そんなの関係ないよ!」
静かに流れていた沈黙を破ったのは彩芽だった。突然声を張り上げたから、あたしも芳香も香苗さんも全員が驚いて彩芽を凝視する。
「ヤマト君が勘違いしてたからって、そんなの関係ないよ。それはきっかけでしかないんだから。ヤマト君が好きになったのは椿自身だよ!」
力強く言う彩芽に、芳香も香苗さんもその通りだと頷きあった。
「そうよね。だってヤマト君言ってたんでしょ、ずっと見てて、良いなぁって思ったって。それはフジ子を見て、フジ子を好きになったってことじゃん。問題なんて全然ないじゃない」
「お二人の言うとおりです! 私もそう思います。きっかけはどうであれ、今藤崎君が好きなのは椿さんですよ。見てれば分かります」
ギラギラと熱く励ましてくれる三人に、あたしは少しだけ気持ちが和らいだ気がする。確かにきっかけはきっかけでしかないのかもしれないけれど……。
「そうかな」
本当に信じてもいいのだろうか。自分を買いかぶっているわけではないけれど、真実を知って彼は幻滅しない? 気持ちが変わらない?
「そうだって、言ってるっしょ」
芳香がにっこりと微笑む。悪魔ヨッシーもこの時ばかりは天使のように見えた。
「――でも……」
「でも?」
「虫が良すぎないかな。一度応えられないって言ったのに、また、こんな」
「あーもう、それこそ関係ないじゃん」
呆れたように彩芽が溜め息を深々と吐きながら言った。
「そうですよ。それで簡単に諦められちゃうくらいの気持ちなら別ですけど、きっとそんなんじゃないと思います。だから大丈夫です!」
「フジ子は自分の気持ちを話すだけなんだから、何の問題があるの」
芳香の言葉心臓が思い切り高鳴った。
「今度二人でヤマト君の地元のお祭りに行くんでしょ? そのときがチャンスだかんね!」
彩芽が言った途端、「えっ」と芳香と香苗さんは一斉に彩芽を見た。そしてまたあたしの方に顔を向ける。
「なに、それ。そんな話聞いてないけど。え、っていうことは今のはアレ? ノロケですか」
あたしは自分の顔が赤くなるのが分かった。
「ちち違う! それは夏休みが始まる前から」
「なぁんだ、結局最初からあるんじゃん、そういうの」
「いやいやいや、芳香サン?」
あたしが必死で否定するのに、さっきまであんなに優しく言ってくれていた彩芽までもがニヤリと不適な笑みを浮かべる。あー、悪魔モード突入ですか。
「そうなのよねぇ。ちゃっかりしているというか。まぁ本人に自覚がないから仕方ないんだけど」
ちらりと香苗さんを見ると、彼女もニコニコと楽しそうな笑顔を見せていた。
なんだかこれじゃあ、いつもと変わらないんだけど。
変わらなくていいのか。
「まっ、頑張りなよ」
「あ……うん」
こうして優しくしてくれるから、あたしたちは友達なんだと、親友なんだと思う。
それにしても、大丈夫かな……。