Je t'aime

30


 新学期が始まった。日焼けしたり髪型が変わっていたり、どこか違う皆がお互いに飽きることもなく尽きない話題で教室の中を賑やかにさせている。
「おはよ、藤崎さん」
「あ、おはよう」
 教室に入ってきた篠原君と目が合って、挨拶されて、あたしは少し驚いた。いやクラスメイトなんだし普通のことなんだけれど、篠原君とこんなふうに言葉を交わしたことは今までなかったからかもしれない。彼といるときは大抵藤崎君か森岡君も一緒のことが多かった気がする。
「あれから何かあった?」
 篠原君はちらっと窓際で森岡君たちと談笑する藤崎君を見てから、そんなことをそっと聞いてきた。
「え?」
 あたしは一瞬何のことか分からなくて、え、と篠原君を見上げる。
「なんかさ、夏祭りの後から変わったっていうか、雰囲気とか様子とか今までと違うなって思って」
「あ……藤崎君?」
 彼が誰のことを言っているのかに気づいてそう聞いてみると篠原君は黙って頷いた。あたしからは今までと変わらないように見えるけれど、篠原君からすればどこか違うんだろう。そしてどうしてあたしに聞くのかも何となく分かる気がした。だからって困ることには変わりはないけれど。だってあたしには藤崎君のことなんて何も分からないし、何も知らないんだから……。
「もしかして、付き合うことになった、とか?」
「え……」
 心臓が飛び出るかと思った。
「なわけないか。だったら真っ先にココに来るはずだし」
 真剣な表情で考え込む篠原君にはちゃんと言っておいた方が良いのかも知れない。なんとなく、彼には何でも話せそうな気がした。
「あ、あのさ、後で話、聞いてもらってもいいかな?」

 最初のホームルームは後期の委員会と係りを決めることから始まった。通年任期なのは校外学習委員と選挙委員だけだから、ほとんどの人が入れ替わることになる。二度は同じ委員になれないだろうから、どれをやろうか少し悩む。
「椿、どれにする?」
 彩芽が一緒に何かやろう、と誘ってきたので、あたしは黒板に並べて書かれた委員と係りを見た。
「あたしは」
「ヤマトー! お前体育委員やれよ。体育祭だぜ、体育祭!」
 あたしの声と被るように森岡君の声が聞こえた。振り向くと男の子達が藤崎君を囲んで賑やかに騒いでいた。
「ヤマト君が体育委員やるなら私もしようかなぁ」
「あー、わたしもー」
 畑さんたちも一緒になって決めているようで、そんな声が聞こえる。気づくとツンツンと彩芽が肘であたしを突いていた。
「椿は誘わないの? 椿が誘ったら一発だと思うけどなぁ」
「あたしが体育委員ってキャラじゃないの分かってるくせに。あたし、国語係で良い」
 つまんなーい、と彩芽が頬を膨らませる。
 っていうか一緒にやろうって誘ってきたのはキミでしょうが。
――結局。
 国語係はあたしと彩芽と、なぜだか篠原君になって、藤崎君は皆の推薦どおり体育委員になった。そのことがなんだか寂しいと思ってしまったのは誰にも言えない。
 やっぱりあたしから何か行動を起こすのは、簡単にはできないなぁ……。

「ヤマト君、体育委員はこれから委員会だって」
 放課後、そろそろ帰宅の準備を始める人の中で、女子の体育委員になった高郷さんが藤崎君に声を掛ける。何気なく聞こえたそれにあたしは少し視線を向けた。
「え。もうあるの?」
「体育祭も近いからじゃないかな」
 驚く藤崎君に篠原君が答えた。それはそうかも。来週には体育祭実行委員とか、応援団とか、いろいろと決めなくちゃいけないことはある。
「んじゃあ俺らは先に帰ろうぜ」
 森岡君がそう言うのを聞いて、あたしは支度を急いだ。
「ごめん、俺ちょっと用があるから。修司は先に帰ってていいよ」
「なんだよ洋介まで。分かったよ、帰るよ。じゃあなー」
「悪いな、ほんと。また明日な」
 後ろで足音がするのを聞きながらあたしも席を立った。ちらっと彼らの方へ視線を再び向けると篠原君と目が合った。あたしは藤崎君に気づかれないように、と思いつつ、笑みを浮かべる篠原君に笑い返した。とても小さなそんなやり取りに、どうか誰も気づかれないように。
 変だな。怪しいことをしているわけでもないのに、どうして気づかれたくないだなんて思うんだろう。ただ話を聞いてもらうだけなのに、どうしてこんなに後ろめたさを感じるんだろう。あたしは廊下を歩く足を速めた。