Je t'aime

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「へぇ。そんな面白いことになってたの」
 彩芽に実行委員をすることになったことを話すと、その場にいなかったことを悔しそうにして彩芽が言った。
「面白いって……」
「だって他人事だもんね」
 可笑しそうに笑う彩芽にあたしは肩を落とした。こっちの気も知らないくせに。いやだからこそ他人事なんだよね。はぁ。
「でもそっか。じゃあしばらくは一緒に帰れないね」
「うん、そういうこと」
 結局言いたかったことはそれなのだ。これからしばらくは実行委員として応援団や体育委員と一緒に準備を進めなくてはならない。文化祭の時のようにクラス単位で準備をするわけではないから色々と面倒で、だから実行委員が倦厭されるんだけれど。

 今日は体育祭で行う種目を決めて、時間が余れば体育倉庫にある道具の点検作業をするということになった。種目は前年の体育祭を元に大幅な変更もなく決められた。あまりにあっさりと決まったので、点検作業も分担して早く終わらそうという空気の流れが出来る。
「じゃあ1年は体育館の倉庫、2年は陸上競技用の道具と、3年は球技用の道具ね」
 委員長の指示の下、実行委員と体育委員の4人が1グループとなってそれぞれの箇所へと散らばっていく。確認できれば用紙に記入し、各自解散ということになった。
「椿ちゃん、一緒に行きましょ」
 藤崎君に誘われてあたしと畑さんは一緒に食堂横にある倉庫へと向かう。高郷さんは他の組の子と行くようだ。たぶん同じ部活の子なのだろう。
 鍵を開けて戸を引くと、むわっと蒸し暑い空気が外へ出て思わずあたしたちはむせ返った。
「うわぁ、この中をやるの?」
 畑さんの嫌そうな声に思わず同意した。この中に入るのはなかなかやりたくないことだ。
「さっさとやっちゃお。まずソフトボールからよね」
 藤崎君が数を数えて畑さんがそれをプリントに記入していく。あたしと高郷さんは藤崎君が出してきた道具の片付けをしていくことにした。コレが結構な労働作業で、終わる頃にはあたしも高郷さんもシャツが背中に張り付くほど汗を掻いていた。キャミを中に着ているとは言え透けていたら嫌だと思う。けれどその可能性は高い気がする。何せ窓もない蒸された空間の中でずっと、重い道具の入ったカゴを上げたり下げたり押したり引いたりしていたんだから。
「お疲れ。何か買って来ようか?」
 畑さんがプリントを提出しに行っている間、高郷さんがそう言ってくれた。彼女もあたしと一緒に動いていたはずなのに、そういう気を使える人なんだと感動した。
「いいよ、あたしも行く」
 あたしが思わずそう言うと、「いいって」と藤崎君が言ってきた。
「二人とも女の子なのに力仕事させちゃったから、アタシが奢ってあげる。何が良い?」
「そう? じゃあグレープフルーツ!」
 あたしが躊躇っているとすぐに高郷さんが声を上げた。
「オッケ。椿ちゃんは?」
「あ……、えっと、リンゴ」
 本当は紅茶が良かったけど、ミルクティはあそこの自動販売機になかった気がする。
「分かったわ。じゃ、ちょっと待ってて」
 藤崎君が買いに行っている間あたしと高郷さんの二人になったのだけれど、その後すぐに高郷さんとここまで一緒に来た子が来て、二人で少し離れたところへ言ってしまった。結果一人になってしまい、どうしようかととりあえず近くの階段に腰を下ろすことにした。あたし達が居た倉庫の前がちょうど校舎の非常口に面していて、そこの入り口までに数段の階段があるのだ。
 ちょうど小さな屋根が真上にあって太陽から日差しを遮ってくれていた。日陰に入ったことと少しの風で、この時間が心地良く感じる。
「あれ、何してるの?」
「篠原君」
 振り向くとジャージ姿の彼がいてあたしは立ち上がった。
「今実行委員の仕事が終わったところで。篠原君は何してるの?」
「俺は久しぶりに部活に顔でも出そうかなと思って」
 そう言って篠原君がさっきまであたしが座っていた隣に腰を下ろしたので、あたしも元の場所に座りなおした。さわさわと風が吹く。温かい風はまだ夏のままだと主張しているようだった。
「っていうかどうして実行委員の仕事?」
「新橋さんに代わってって言われて」
 あたしが素直に答えると、篠原君はハハッと声に出して笑った。
「藤崎さんってノーって言えないタイプ?」
「いや、そうでもないと思うけど」
「まぁそうか。ヤマトのことは断ったしね」
「それはぁっ」
 何も言えないじゃないか。篠原君って結構意地悪な人だったりするのかな。
 あたしが困ったように彼の方へ視線を向けると、ゴメンゴメンと笑って謝ってくれた。
「でもどうなの? コレを機に藤崎さんから言ってみるとか」
「……うん、できればそうしたい、けど」
 あたしは呟くように答えて、だけど心のどこかで「無理だよ」と笑っている自分に気づいていた。無理だよ。椿にはできないよ。そんな勇気がどこにあるの。
「何だったら俺、協力するよ?」
「うん、ありがと」
 あたしは笑顔でちゃんと言えたかな。
 きっと篠原君がいてくれたら、ちゃんと言えるだろう。そう思いたい。
「ねえ、二人して何してるのかしら?」
 不意に、低い声が上から落ちてきた。
「あ、ヤマト……」
 見上げるとにっこりと笑う藤崎君がいて、隣にいる篠原君の少し引きつった声が聞こえた。
 藤崎君を目の前にして、篠原君はなぜか動揺しまくった様子を見せた。
「えっと、じゃあ、俺は部活だから。ま、またな、ヤマト。藤崎さんも」
「あ、うん、頑張ってね」
 あたしはそう声を掛けたけれど藤崎君は何も言わずに彼を見送った。
「最近仲良くない? 椿ちゃんと篠原」
 ハイ、とリンゴジュースをあたしに渡しながら藤崎君が言った。
「そうかな」
 あたしは受け取りながらそう答える。
 高郷さんはまだ友達と話しこんでいて、戻ってくる気配はなさそうだ。
 ちらりと上目遣いに彼の方に視線をやると、やっぱりどこか怒っているように見える。最近、あたしは彼に何かをしてしまったんだろうか。
 そういえば自分のことでいっぱいいっぱいで、周りのことを見ていなかったかもしれない。……とはいえ、もとから周りに目を向けることはあまりしなかったから、今更な気もするけれど。藤崎君が怒っているのはあたしが原因だったりするのだろうか。
「あの、なんか、ごめんね?」
 恐る恐るといった感じで謝ってみる。え、と驚いた表情で彼が振り向いた。
「どうして椿ちゃんが謝るの?」
 どうして、と言われると答えに窮するけれど。謝らなければ良かったのかな。
 どうしたらいいか分からない。
「だってなんだか、怒ってるみたいだったから」
 とりあえず思いついたことを言ってみた。すると藤崎君は口元を押さえて顔を顰めた。そして困ったような目であたしを見る。
「アタシ、そんなふうに見えた?」
「うん……、ちょっと」
 いや結構そんな空気が出ていたけれど。表情にはあまり出ていなかった気がした。
「そう。ごめんね、そんなつもりはなかったのに」
 それから少し苦笑して、だめね、と呟いた。
「だめね。どうしても嫌だって先に思っちゃう」
「え」
「相手は篠原なのに。変よね」
――あ。
 ああ、そうか。
 あたしは棚口と生徒会室前で話していた時のことを思い出した。
「いいのに」
 考える前に口が動いていた。
「え?」
「無理しなくていいのに。藤崎君も、嫌だったら嫌だって言って良いよ」
「椿ちゃん……」
 あれ? あたし今、すごく恥ずかしいこと言った?
 顔が熱いんですけど。