Cette Place

13


 講義が終わって駅へ向かうと、そこには麻耶の姿しかなかった。今日は学校の帰りに尚志と良子も含めて4人でホームセンターへ合宿の買出しに行くことになっていたのに、なぜ彼女だけしかいないのだろう。この日は大和だけが第二外国語の授業の関係で5時間目まで残っていたのだが、それにしても、良子だけなら分かるがなぜ麻耶なのだろうか。大和は首をかしげながらも歩く早さを変えずに改札を通った。
「千田と坂口は?」
 そう大和が尋ねれば、僅かに頬を赤らめた麻耶が、肩を竦めて答えた。
「んと、二人とも急用が出来たとか言って……」
「ふうん」
 大和はそれだけ言って麻耶の隣に立った。腕時計で時間を確認する。電車が来るにはもうしばらく時間がいるようだ。
 何となく分かっていた。というより、麻耶が一人だけでいるということが分かった時点で薄々は気づいていた。もともと彼女は良子を連れて尚志と大和に近づいてきた、他の女子学生と同じ類の人間だったのだ。今は気兼ねなく付き合える友人であるが、それも尚志が彼女を気に入ったからに他ならない。
「そういえば合宿ってどこに行くんだろうね」
 沈黙を破るように麻耶が話しかけてきた。いつもと違う彼女の様子に、大和はやはり自分の直感は正しいのだろうと確信する。それを企てたのが良子であるだろうことに驚きはしたものの、良子はまず麻耶の友人として大和たちと知り合ったのだから、大和よりは麻耶のことを優先するのだろうことも想像に難くなかった。
「ゴールデンウィークって言っても間に一日平日あるし、そんなに遠くまでは行けないよね」
 大和が黙っていると、心なしか焦ったように一人で話す麻耶に、彼は「そうだね」と軽く相槌を打った。それだけで彼女は安堵したように肩の力を抜いた。これはもう、ただの友人――ではないな、と残念に思う。この感覚は高校時代にも何度も抱いたものだった。例えば椿と共にクラブ紹介の時に一緒になったクラスメイトに対してだったり、夏祭りに誘われた時だったり。
「温泉とかあったらいいなあ。あたし好きなの、温泉。それにホテルより旅館派なんだ」
「へえ、意外。坪井より坂口がそんなこと言いそうなのに」
 素直に大和が感想を漏らすと、くすりと肩を揺らして麻耶が笑った。
「それどういう意味?」
「ん? どうって……渋いなあと」
「地味だってはっきり言いなさいよ」
 分かったように笑う麻耶に、大和も小さく笑った。
 大和が笑って、麻耶は少しだけ安心した。やはり綺麗だな、と胸の奥が切なくなる。麻耶は大和の柔らかな笑みが好きだった。尚志と良子が来ないことを言った時、少なからず彼に警戒心を抱かせたことが分かり悲しかったが、今は自分の話で笑ってくれたことが嬉しかった。
 一度電車を乗り継いで、二人は駅前に電気店と共に並ぶ大手のホームセンターへ入った。そこは平日の夜にも関わらず賑わいを見せていおり、1階に入っているファーストフード店は学校帰りの学生や親子連れなどでほぼ満席状態になっている。
 大和と麻耶は入り口近くのその店を横切り、まずは日用雑貨売り場へと進んでいく。
「何を買うの?」
 買い物籠を手に持った大和が麻耶に声を掛ければ、彼女はカバンから一枚の紙切れを取り出した。メモ帳から引きちぎったようなそれは、良子から手渡されたリストだった。
「まずは軍手が人数分と、雑巾、スコップ、ゴムの長靴が3足……」
「園芸でもするのかしら」
 ポツリと呟いた大和に麻耶が「え?」と振り向く。彼女の反応に大和は内心焦りながらも気にしないように振舞うことに徹する。気を抜くとすぐこれだからな、と長年の開き直りを少しだけ悔やんだ。
「だってほら、園芸用品ばかりだから」
 麻耶は普段と変わらない態度の彼に大した疑問を持つことなく、もう一度紙に書かれたリストに目を向けた。
「確かにね。あれ、でも菜箸にヤカンにプラスチック製のコップもある。それにどうして、マヨネーズ?」
 麻耶が首をかしげ、大和も同じように首をかしげた。園芸の後に調理でもするのだろうか。
「まあ、でもとりあえずさっさと買って早く帰ろ。坪井は明日も1時間目からでしょ?」
「あ……うん」
 大和は曖昧に頷く麻耶を横目に、言葉通り足を速めた。園芸用品は1階のフロアの右端にコーナー組みされていた。
 テキパキと指示されたものをカゴに入れていく大和を見つめながら、麻耶はショックを隠しきれずに、とうとうレジへ向かうまでほとんど口を開けなかった。本当は明日が早いからと言っても、この時間をゆっくりと味わっていたかった。大和にだって既に自分の気持ちや思惑など分かっているのだから、彼の優しさを突いて甘えた言葉の一つや二つは言いたかったのだ。けれど先回りに拒まれてしまってはどうすることもできない。
「マヨネーズは近くのスーパーにでも寄ろうか。業務用の大きいやつしかないし」
 一通りフロアを回った後、大和がそう提案してきた。まだ二人でいられるのだという安心と、それでも結局はあと1時間も一緒には居られないのだという落胆が混ざって、麻耶の反応が少し遅れた。
「ああ、うん。そうだね」
 明らかに元気のない麻耶に大和は困惑しつつ、それでもそうさせたのは自分であるという自覚がある分、特に何かを言うことはなかった。というか何と声を掛けていいのか分からない。今までにもあからさまな態度で来る女の子は居たが、そういう子は言葉でもはっきりと伝えてくる場合が多かったから、今の彼女のように言葉にしない相手にはどのような言葉を向ければ良いのか分からなかった。こういう時は何も言わない方が良いのだろうか、と自分の行動を前向きに捉えることくらいしかできないのだ。
「そういえばこの代金って部費で落ちるの?」
 レジで並んでいる間、ふと気になって大和が麻耶に聞いた。大和の記憶が正しければ未だそういう徴収は無かったように思う。経費はどこから落ちてくるのだろうか。まさか自腹というわけではないだろう。
 案の定、麻耶がコクリと小さく頷いて見せた。
「領収書さえちゃんとあれば、部費から落とせるって、良子が。会計は日高先輩みたい」
「領収書ってレシートでも良いんだよね」
「うん。サークルの経費くらいできっちりとしたものは取らなくて良いんじゃないかな」
 大和はほっと胸を撫で下ろした。
「良かった。あれって結構面倒なんだよね」
 高校2年の時の文化祭を思い出す。昨年は小道具や大道具などのことは一切やらなかったが、転校する前は先陣を切ってクラスのユニフォーム製作の企画や小道具の調達などをしていたのだった。
「あ、あたしも半分出すよ」
 清算の時になって麻耶は慌ててカバンから財布を取り出した。大和があまりにも自然に並んでいたから気づかなかったが、表示された画面に目をやれば結構な金額になっている。だが彼女が現金を出す前に大和はさっさと会計を済ませ、袋を両手に持ってレジを抜けた。
「じゃあ坪井はマヨネーズの分だけ払ってよ。レシートは僕が預かってまとめて日高先輩に渡しておくから」
「でも……」
 躊躇う麻耶に大和はにっこりと微笑んでみせる。
「日高先輩とは家が近いんだ。帰りにでも寄ってみようと思って」
 本当は隣同士なのだけれど、そんなことを言えば後が怖いので適当に誤魔化しておく。
「そ、う? それじゃあ、そうする」
 渋々といった感じではあるが、麻耶はそれで納得してくれたようだ。それならばと大和は早速近くのスーパーに寄り、麻耶がマヨネーズを一本買うと、マヨネーズと共にレシートを彼女から受け取った。
「何か一つくらいは持つよ?」
 駅に着くまで何度か言ってみたセリフをもう一度試してみるが、やはり大和は首を振るだけで大きな袋を離すことはなかった。
「大丈夫。それに見た目よりは軽いし」
 結局麻耶の申し出は一度も通ることはなく、行きよりは和やかな雰囲気で乗り継ぐ駅まで過ごした。ここからは二人とも路線が異なるので、必然的に学校から近い駅が最寄になる大和が、荷物を全て引き受けることになった。
「本当にありがとう」
「別にお礼言われるようなことはしてないよ? 力仕事は男の役目でしょ」
 大和が微笑むと、麻耶も困ったように笑った。彼女が納得できていないことはよく分かるが、こればかりは譲れない。彼女に言ったとおり、見た目は嵩張っているがそれほどの重さはないのだ。男としてこれくらいは当然だと思っている。
「それもあるけど、良子のこと、悪く思わないでね」
 ああ、そっちか――。大和は笑みを崩さずに小さく頷いて見せた。それとて同じことだ。男としては気にしてやらないのが当然だろう。
「分かってると思うけど、あたし、ヤマトくんのことが好きだから……」
 さらりと告げた麻耶の言葉に大和は一瞬体を固まらせ驚いた。まさかこのタイミングで言われるとは思っていなかった。
 それでも真摯に受け取る。返す答えは決まっているけれど。
「だから――」
 一歩、彼女が近づく。
 トンと麻耶の頭が大和の胸に触れた。
 二人の距離はゼロに等しく。
「坪井……?」
 買い物袋で塞がれた大和の両手は背中に回される彼女の腕を掴むことも振り払うことも出来ず。
「だから覚悟していて、ヤマトくん」
 そこに込められた想いに大和は何も言えなかった。返す答えは決まっているというのに。