Cette Place

30


 あれから自然と、大和は麻耶と二人で居ることが多くなり、尚志と良子が二人で居るところを見かけることが増えた。それは仕向けた、というよりは必然的なことのようにも思える。何より良子と麻耶の関係が著しく変化した。麻耶は良子のことが未だ許せないでいた。
「なに、二人、付き合いだしたの?」
 麻耶は大和が居ない時にそんなことを聞かれるようになった。その度にチクリと胸が痛むが、それを表に出すことはなく、ただ笑って否定する。
「違うよぉ。それにヤマトくんには可愛い彼女がいるし」
「えー、そうなの?」
 そうは言っても大概は納得していく。大和はきっと気づいていないだけで、その目立つ容姿はいつも話題の中心になっている。
 だから麻耶はその度に思う。いつか絶対、彼の恋人を見せてもらわなければ。自分が負けて当然だと言えるようでなければ、こんな惨めな思いをすることに我慢できない。


 晴太は意気揚々として通知表を見せてきた。一瞬大和はキョトンとしたが、そういえば中学校はもう夏休みに入っているのだと思い出した。
「見て見て! オレ初めて英語で4だった!」
 よほど嬉しいのか、通知表を広げて、晴太は床に座る大和の前に仁王立ちした。
「あ、ほんとだ。頑張ったもんね」
 目の前に広げられた通知表を手に取りながら、大和はにっこりと微笑んで言った。得意げな表情をしていた晴太は満面の笑みでくすぐったそうに笑う。
「これなら英語はもう大丈夫かな。今度は数学を重点的にやろうか」
「うっ……もう二学期の話かよ」
 思い切りしかめっ面になる晴太に苦笑しつつ大和は首を振った。
「じゃなくて夏休みの復習。おばさんに夏休みもお願いしますって言われたんだ」
 本当は大和から尋ねたことだった。夏休みの間だけ他の短期バイトをすることも考えたが、日程が予め決められるということと、少しの融通なら利くという点で、頼んでいたことだった。快く、むしろお願いしますと言われたのは運が良かったのだろう。
「まじかよ……」
 ガクンと項垂れる晴太だったが、ふと思いなおして顔を上げた。
「じゃあさじゃあさ、復習も宿題も頑張るから次の試合見に来てよ! スタメンに選ばれたんだ!」
「えっ、すごい! 行く行く!」
「ほんとに!? やった、絶対だからな!」
 嬉しそうに笑う晴太を見上げて、何度も念押しをされるたびに大和は頷いて見せた。
 最初はとっつきにくいかと思っていた晴太だが、まだ彼は中学生で、その純粋な子どもらしい素直さでもって大和に懐いてくれている。弟の真もこんなふうに自分を慕ってくれていたのを思い出した。もう少し大和が大人だったら、真にも当たらずに済んでいたのだろうか。
 そして椿にも、無理をさせずに済んだのではないだろうか――と思いを巡らせ、それは違うと否定した。むしろ椿に会いたいのは大和自身だ。家から出たいと強く願って、けれどこれほどまで椿の存在が自分の中で大きくなっているとは気づいていなかった自身の誤りだった。それこそこっちへ来たばかりの春は間を空けずに電話ばかりしていたくらいに。
 今はメールですら頻繁に送らなくなった。時間的に余裕がなく送れなくなったのもある。言葉だけという現実がもどかしくて何度直接ダイヤルボタンへ指が伸びたことか。それでもどうにか気を持ち直し、今の時間は授業中だろうか、とか、既に寝ている時間だろうかとかと理由をつけてメールのボタンへずらしていく。それの繰り返しだ。
 しかしいよいよ限界に近い。何といっても夏休みだ。まだ一年生の大和たちには自由な時間がありすぎる。会いたいと思えばいつだって会える時間を持てるのだ。
――決めた。
 大和は密かに決意する。この夏に椿に会いに行く。晴太流に枷を付けて、会いに行く。
 試験期間が終わるまでに今まで隠していた自分と決着を付ける。そうして椿に会いに行く、必ず。
 そうそう時間なんてかけていられない。短期決戦だ。


 いつもは麻耶が大和を探して隣の席に座っていたのだが、その日は大和が麻耶を探していた。
 少し早く来すぎたせいか、まだ彼女は教室に現れていない。大和はほっとしつつ、いつものように壁際の席に座った。
「おお、藤崎」
 腰を下ろすと後ろの席に座っていた学生が声を掛けてきた。振り向けば同じ学部の、それなりに見知った人物だった。尤もこの授業は法学部必修科目だから当然なのだけれど。
「そういえば聞いたか」
「何が?」
「海。前に行こうって言ってたじゃん。あれ、日程決まったから」
「ああ、それ……」
 そういえばそんなことも言っていたなと思い出す。確か椿をダシに行こうと誘われたのだ。しかし大和は興味ないと手を振った。そんなことをしなくても夏祭りに会わせて帰るつもりでいる。椿の水着姿は確かに魅力的だが、浴衣姿もなかなかに良いものだ。そもそもどちらにしても他の野郎に見せるつもりはない。
「僕行かないから」
 しれっと一度頷いたことを否定する大和に、彼は思い切り眉を下げた。
「はあ? どうして! 坪井も都合良いって言ってたけど?」
 今度は大和が首を捻った。
「どうしてそこで坪井が出てくるの?」
「だって付き合ってんだろ、二人」
 当たり前のことだとでもいうような口調で言ってのける彼に大和は思い切り呆れた。そんな噂を鵜呑みにしているのかと馬鹿馬鹿しくなる。
「そんなわけないでしょ」
 突き放すような言い方の大和に、彼は「じゃあ誰なんだよ、藤崎の彼女って」と怪しんで見せた。
「藤崎と仲の良い女って坪井と坂口くらいだろ。あ、サークルの先輩?」
「ていうか」
「全然違う」
 得意そうに推測する彼の言葉に、二つの声が重なった。どこから聞いていたのか、不機嫌そうな麻耶が隣で立っていた。
「ヤマトくんね、高校の時の同級生と付き合ってんの。わかった?」
 言って、麻耶は空いていた大和の前の席に座った。後姿からでも彼女の機嫌が悪いということは明らかだ。
「何怒ってんだよ?」
 聞いたのは大和ではなくその後ろの彼だ。麻耶の不機嫌な様子を見るのは初めてでどう対応して良いか分からず、彼自身も不機嫌さをあらわにした。間に挟まれた大和は気が滅入るだけだ。なんだ、この面倒臭い空気は。
「やっぱりヤマトくんの彼女は椿ちゃんなんだと思うとイラつくわよ。冗談でも頷いてくれればいいのに」
 ということはほぼ初めの方から聞いていたわけだ。
 椿も麻耶くらいにはっきりと妬いてくれたらいいのに、と思ったのは口に出さない方が良いのだろう。
「それはできないけど、坪井に頼みたいことはあるんだよね」
 あくまでも穏やかな口調で話す大和に、麻耶はゆっくりと振り返った。
 にっこりと微笑み返す大和は、けれど彼女には酷な頼み事なのかもしれないとも思った。

――椿ちゃん。
大学祭には行けないけど、夏祭りには行くって篠原に言っておくよ。
そのあと、二人でまたあの花火を見ようね。

――藤崎くん。
あれからもう一年なんだね……なんだかすごく早い。
そうそう、彩芽からも伝言。二十日って空いてる?