Cette Place

35


 何か食べたい、と言い出したのは畑と新橋で、じゃあコンビニに寄ってついでに花火もいくつか買おうぜ、と提案したのは森岡だった。屋台があるのにコンビニかよ、と呆れた顔をしたのは篠原で、僕はいいよと皆を待つことにしたのは大和だ。自然と椿と彩芽も大和と一緒に待つ方へ回った。
「じゃあ俺も外で待ってようか。榎本さん一人じゃ可哀想だし」
 大和と椿が一緒にいたのでは居場所に困るだろう、と篠原が彩芽に申し出た。願ってもないことに彩芽は迷いなく頷く。
 大通りに面したコンビニは合わせて二店舗あるのだが、そのどちらも人で賑わっていた。考えることは誰も同じということなのだろう。大和たちはコンビニ組と離れて屋台の裏で待つことにした。歩道になっている裏は比較的人の行き交いも穏やかだ。
「椿、あたし達も何か買わない?」
 彩芽が屋台の方を指差して椿を誘った。こくんと頷いた椿を見て大和が動かないわけがなかった。
「たこ焼き食べたい」
 椿が遠慮がちに言うと、「じゃああたしも」と彩芽は賛同し、くるりと着いてこようとする大和へ振り返った。
「あ、ヤマトくんたちはここで待っててね。四人とも居なくなっても困るでしょ」
「え……」
 固まる大和の横で、さすがに篠原もそれはどうかと思う。
「女の子二人だけじゃ危ないよ」
 何のために自分も残ったんだか分からない、と言う篠原に、彩芽は笑って手首を振った。
「平気平気。ちゃんと篠原君のたこ焼きも買ってくるから〜」
 彩芽も結構短絡的とというか楽観的というか、無鉄砲だ。大和と篠原は思わず目を見合わせた。篠原が苦笑して肩を竦める。
 二人がカランコロンと下駄を鳴らして大通りへ入っていく。それを見届けて大和は歩道と屋台の間のガードレールに腰掛けた。思わず吐息が漏れる。
「榎本さんもなかなか……。分かってるのかなぁ」
 篠原が呟き、大和も無言で頷いた。
「そういえば森岡と同じ大学行ってるんだよね。今もサッカーやってるの?」
「ああ、まあな。でもほとんど遊びだな。俺も修司もサッカーのために大学選んだわけじゃなかったし」
「へえ?」
 大和は意外そうに篠原を見た。同じ大学に行ったと聞いたから、てっきりサッカーの強い大学だと思っていたが、そうではないらしい。
「悔しいことに修司は要領が良い奴でさ、必死でやってる俺とバカばっかしてるように見えるあいつと、成績はトントン。それで選んだ大学も同じだったってワケ。もともとプロになることは高校入って自分の実力が分かった時点で諦めてて、そういうのは修司も俺も同じだったみたいだし、意外に性格とか、根本的なところは似てるんだよな」
 初めて聞くことに大和は興味深そうな様子で目を細めた。篠原は恥ずかしげに首の後ろに手をやって苦笑を浮かべる。
 そんなふうに他愛のないことを話しているうちに、椿と彩芽が戻ってきた。両手にパックを抱え、二人の前で足を止めた。
 ハイ、と彩芽が篠原に、椿が大和に一つずつ手渡す。
「ありがとう」
 大和が微笑んで受け取るが、椿はぎこちなく微笑み返しただけだった。その反応に大和が首を傾げる。
「どうかした?」
 大和が尋ねると、椿は驚いたように顔を上げた。自分の小さな反応に対して問いかけられるとは思わなかったという顔だった。
「え、……な、にが……?」
 焦る時の椿は視線が斜め上に泳ぐことを彼女自身は気づいていないのだろうか。大和は小さく苦笑してパックの蓋を開けた。美味しそうな熱々のたこ焼きが綺麗に六つ並んで収まっている。
「よく分かんないけど椿ちゃんが気にすることは何もないよ?」
「えっ……!」
 途端に椿の頬が暗くても分かるほどに赤く染まった。やはりなにか気になることがあるのだ、大和の気づかないうちに。そのまま言ってくれてもそれは我侭にはならないのに、と残念に思う。
「もしかして椿、さっきのあたしの言葉気にしちゃってた?」
 うわぁ、ごめんねぇ、と申し訳なさそうに彩芽が眉を下げた。それは椿というよりも大和に対しての謝罪の言葉のようだった。何のことだろう、と大和と篠原は同じように首を捻る。
「いや、さあ、傍から見て二人ってイイオトコだねえって言ってたの。女の子の視線感じてない?」
「二人ってことは俺も入ってるの、それ。初めて言われたなあ」
 篠原は冗談でも言うように笑って答えた。大和もそれに同意する。
「僕も気にしたことないよ。というより――」
 そっと目の前の椿に顔を近づけて、耳元に静かに囁く。
「それってヤキモチだよね? すっごく嬉しい」
 かかる吐息が擽ったそうに椿は首を竦めて耳まで赤くした。
 思わずその可愛い耳元に口付けそうになり、けれどそれは森岡の四人を呼ぶ声によって辛うじて阻止された。

 コンビニの袋を手にぶら下げて、大和たちは昨年もやってきた河川敷へと足を運んだ。その時は椿とともに途中で抜けたのだ、椿が途中で泣き出して……。しかしそれよりも思い出すのは、二人で見た打ち上げ花火だ。あの時初めて思いを打ち明けた。それまでにも伝えてきたことではあったけれど、ちゃんと言葉にしたのはあの花火の時だったと思う。そして思わずしてしまったキスと。
「何ニヤけんてんだよ」
 大和の肘をついて森岡が揶揄するような口調で言う。大和は慌てて緩む口元を引き締めた。
「別に何でもない」
「そうかあ? まあいいや、今年は抜けるなよ」
 森岡も同じことを思い出したのだと知って、大和は「分かってるよ」と頷いた。何しろ今年は何も不安がることはない。
 後ろから畑が声を掛けてきた。
「もう少し行くと蛍いるんだよ〜。ヤマトくん、行ったことある?」
「えー知らない。皆で行く?」
 感心したように振り返りながら答えると、畑と彼女と一緒に並んでいた新橋が驚いた表情で顔を見合わせ、大げさに笑い声を上げた。
「やーだー、せっかく気を遣って言ったのに。藤崎さんと二人で行ってきなよ。雰囲気出るよぉ」
 本当に彼女らは……なんて協力的なのだろうと感動する。それもこれも椿にアプローチをしてきた大和の努力を知っているからだろうか。それとも単に遊んでいるのか。どちらにしても大和は素直に頷くことにした。
「何だよ、さっき俺が抜けるなよって言ったばっかじゃん」
「煩いなあ、森岡。恋人と久しぶりに会ったんだよ? 少しくらいは協力しなさいよ」
 大和の代わりに森岡に返事した畑に、彼は面白くなさそうな顔をした。
「藤崎とは明日会えるだろ。今日は花火やって友情を深めようぜ」
 腕を大和の肩に回す森岡を見やり、けれど大和は頷くことも腕を解くことも出来ずにいた。確かに椿と会えるのもほんの僅かな間だが、それと同時に彼らの友情に触れ合えるのもこの時しかないのだ。大学には大学での友人がいるが、やはり森岡らとは違う。
 そんな大和の反応を見てするりと腕を解いたのは森岡自身だった。チェッと拗ねたように舌打ちをした。
「やっぱ友達よりコイビトか、お前も」
 森岡の言い方が少し引っかかったが、大和は無視して彼の肩を叩いた。
「花火はやるよ。その後二人で蛍も見に行く」
 大和の言葉に畑と新橋は二人で呆れたふうに苦笑を洩らした。
「あーあ、ヤマトくん可哀想〜。森岡みたいなお子様の友達なんて」
「ああ? 煩せぇよさっきからお前ら! 俺らは親友なの! 問題ないだろ」
「ハイハイ」
「……待って。じゃあ修司と三年間付き合ってる俺の立場は?」
 篠原の問いに答えられる者はこの場にはいないようだった。おい、と静かに篠原の声が闇に消える。


 椿は蛍の光がこれほど輝いているものだとは思いもしなかった。周りには街灯もなく、空に浮かぶ月明かりだけ。何とも情緒的な光景だった。
 花火の飛び散る激しい華やかさも好きだけれど、静かに流れるような光も好きだ。薄く緑色に光るそれらがあの小さな蛍の一つ一つなんて到底信じられない思いだ。何かの宝石のようにも見える。皆と花火で遊び終えた後、大和に誘われるまま彩芽と別れて二人でやって来た。今は二人だけで良かったかもしれないと思った。
 大和は蛍の群れに見惚れている椿の横に立ち、そっと手を取った。やっと彼女に触れられた。ほう、と静かに息を吐き出す。
「椿ちゃん」
 小さく呼びかける。誰の声もなく、椿は視線をずらして大和を見上げた。まっすぐ見つめる彼と視線が絡み合う。いつだって大和に見つめられると胸が苦しくなる。切なくなって泣きたくなって、けれど、そんな感情は嫌いではない。
「覚えてる? 昨年の花火の下で告白したの」
「……うん。覚えてるよ。すごく、ドキドキしたもの……」
 あの時はまだ、彼の過去も苦しみも何も知らなかった。
「突然キスして逃げられちゃったんだよね。ごめんね、酷いことして」
 そんなこともまっすぐ見つめて大和が言うから、椿は咄嗟に俯いて小さく顎を引いた。大和には椿が恥ずかしがっているだけだと分かっていても、言わずにはいられなかった。自分の目が既に熱を帯びていることは、既に気づいている。
「今年は花火の下じゃないけど、やっぱり同じことをしたいと思ってるんだ」
 握る手に力を込めた。椿の顔が僅かに上がり、恐る恐ると彼女が大和を再び視線だけで見上げる。
「怖い?」
 己の不安げな声に大和は情けなくなるけれど、椿が大きく首を横に振ってくれたから。
 救われた。
「――好きだよ」
 身体を屈めて顔を近づける。
 静かに椿が目を閉じるのを捉えた。
 嬉しかった。
 昨年の、勢いだけの一方的なキスじゃない。その事実が本当に嬉しくて。
 長い長い時間、大和は椿の唇から離れなかった。触れてるだけのその時間が永遠に続けばいいと思っていたから、離れたくなかった。
 名残惜しげにようやく離した時には、身体は奥から熱があるみたいだった。そっと腕を引いて胸に椿を閉じ込める。
「僕は、変われたのかな……」
 この時間が止まれば良いのにと思っているのに。
 本当に止まってしまったらきっと困ることも分かっていて。
「これからもっと、変われるよ……」
 腕の中で呟く椿の言葉は、引っかかっていた胸の内の何かを、すんなりと落としてしまった。
 まだまだ自分は何も出来ないような子どもで、大人になるには途方もない時間が必要で。だけど気づいた時にはあの頃はガキだったと思えるようになっていて。そうなれば良いと今は必死に足掻いている。