Cette Place

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「え〜っ、なんでなんで!? 椿ちゃん来てたのぉ!?」
 至極残念そうに麻耶が叫んだ。夏休みの間、椿が友人らとこっちへ来ていたことを大和から聞き出すと、しきりになぜ自分に知らせてくれなかったのだと騒ぎ出した。大和も隣に居た尚志も目を丸くさせ、固まった。
「なんだぁ? お前そんなに会いたかったのか?」
 聞いたのは尚志だった。麻耶にしてみればいわゆる恋敵だ。憎むべき相手にそこまで残念がることはないだろうに。
 しかし麻耶はキッと目を細めて尚志を睨みつける。尚志も大和も意味が分からない。
「当ったり前でしょ! ヤマトくんの彼女だもの」
「……もしかして、それだけ?」
「もしかしなくても、それだけ」
「……マジで?」
 麻耶が即答するので、思わず尚志が呟いた。
「何、文句あるの」
 低い声で言われて尚志は頭を掻いた。文句はない。が、分からない。
「女の子って不思議だよね」
 大和が二人のやりとりを見ながら、ふふ、と笑った。パチクリと瞬きをして尚志と麻耶は彼に視線を移す。大和の視線はどちらにも向かず、天井を見上げてぼんやりとしていた。大方椿のことでも思い出しているのだろう。
「何かあったのか?」
 なぜか聞かなければならないような雰囲気で尚志が言えば、ふふっ、とまた大和は表情を緩めた。
「僕もあれから色々反省したんだよ。やっぱり何でも話さないとね」
「はぁ?」
「なーに喋ってんのかなぁ、キミタチ?」
 尚志が首を捻るのと肩に力強く手を回されたのはほぼ同時だった。突然耳元で聞こえてきた低い声にギクリと肩を震わせた。
「今がミーティング中だってことは知っとるやんねぇ?」
 望が尚志の顔を覗きこんだ。コクコクと頷く尚志にニッコリと笑ってポンポンと肩を叩く。
「分かってるんやったら良いんよ」
 それからふと気づいたようにあれ、と辺りを見回した。
「ところで良子ちゃんは? 遅れてくるなんて聞いてへんけど」
 ミーティングが始まって大分経った今にするようなものでもない、遅すぎるほどの質問に、尚志が「ああ」と呆れた口調で答えた。
「今日は学校を休むってメールがありましたよ。風邪の引き始めらしくて念のため」
「え、そうなの? 珍しい」
 先に反応したのは尚志の正面で身を乗り出していた麻耶だ。驚いた表情で尚志を見上げた。
「だよな、坂ちゃんが休むなんて。ちょっと無理してでも出てきそうな感じなのに。よっぽど酷いのかな」
「違うわよ。良子が風邪を引くってことがよ。高校生の時から塾で一緒だったから知ってるけど、良子は咳の一つもしたことがなかったもの」
「マジでか!」
 尚志は感心した声音で驚いた。
「マジでよ」
 真面目な顔をして麻耶が頷く。その様子が滑稽で望が声高に笑った。
 オイ、と東原の低い声が彼女たちを叱り付けた。

 ミーティングが終わった小教室で、尚志が良子の見舞いに行こうと言い出した。麻耶と大和の顔が同時に引きつったが、尚志は気にせず続けた。今のこの状態で良いわけがないことくらい、誰もが分かっていることなのだ。
「ヤマトも今日はバイトないだろ?」
「ないけど……行かないよ」
 言い難そうに答える大和の横で、どうして、と眉を顰める尚志に麻耶も表情を歪めて口を開いた。
「私も行かないかなぁ」
「え、なんで? なんで?」
「だって行きづらいし。良子にしたって私らが行っても迷惑だよ、きっと」
 だからね、行かないの、と麻耶が言い切って話は終わってしまった。納得いかない様子の尚志の気持も分からなくはなかったが、大和は何とも言えず、困ったように椿に思いを馳せた。絶対にどうすれば良かったかなんて答えはないのだ。
 けれど尚志は諦めなかった。
 五時限目の講義を終えた三人が駅へ向かう途中、尚志はもう一度良子の見舞いへ行こうという誘いを口にした。麻耶と大和が口篭る反応は初めから分かっていた。
 良子に対して麻耶と大和は言葉に表せないような複雑な面持ちなのだ。廊下ですれ違っても尚志とは言葉を交わすけれど、良子の存在に曖昧な態度を取ってしまう。良子も大和への負い目から視線を合わせられないでいたから、尚志は見ていて辛かった。それでもどうしたら良いか分からず、この時を逃してはいけない気がした。
「良いじゃん、見舞いくらい。行こうぜ。ヤマトだってもう怒ってるわけじゃないんだろ?」
 大和の態度も、麻耶の態度も、見ていればすぐに分かるのに、良子は全然二人を見ていない。
 尚志はそう確信していた。
「じゃ、じゃあさ! 麻耶だけでもさ、一緒に行こう! なっ!」
 思わず掴んだ麻耶の手は冷たくて、尚志は振りほどかれた手を追うことができなかった。
「や、だってさぁ……」
「良いじゃん良いじゃん。仲直り仲直り!」
「でもさあ……」
 一度離れた関係は元に戻るのだろうか。
 大和と一時気まずい関係になった麻耶だが、良子との関係を絶って大和と再びこうして普通の友人として付き合えるようになった。でも良子とは? 何の犠牲を強いて元に戻せると言うのだろう。そうしてまで得たものに何の意味があるのだろう。
 それに彼女と会って、何と言えば良いというのだろうか。良子は大和を気持ち悪いと言ったのだ。それが早とちりの誤解から来るものだったとしても、彼の人格を否定する言動は、今も絶対に許せない。大和を傷つけた彼女を許せない。
 それでも尚志は麻耶を連れて行くことに決めた。麻耶だけは連れて行こうと決心した。
「とりあえず麻耶だけでも一緒に行こうって!」
「とりあえずって……」
 突っ込んだのは大和だ。尚志は喉を詰まらせて無視をした。
「友達の見舞いは普通じゃん! 躊躇うことないじゃん!」
 何を迷うんだよ、と尚志が麻耶を強引に誘う。
 良子と自分は果たして今も友達と言えるのだろうか。
 彼女を許せないでいる自分は、良子と会って何が出来るだろうか。
 初めて体調を崩した良子を目の当たりにして何が――。

 麻耶と尚志と別れた後、大和はスーパーへ寄ってからアパートへ戻った。階段を上りきったところで望も玄関の鍵を開けているところで、大和は「ああ」と声を洩らした。
「お帰りなさい、先輩」
 大和が声を掛けると望は驚いたように振り返って、ああ、と同様に声を上げた。
「藤崎くんもお帰り。遅かったんやね?」
「ええ、まあ」
 そう言って大和が主に食料の入ったビニール袋を持ち上げて見せた。望は納得したように軽く頷いた。
「そういば良子ちゃんは大丈夫なんかなぁ。麻耶ちゃんが咳もせぇへん子やって言ってたし」
 心配そうに視線を落とす望に、大和は苦笑を浮かべつつ首をかしげた。どうして俺に聞くんだろう、と思ってしまった。
「今日千田と坪井が見舞いに行くって言ってましたけど」
「藤崎くんは? 行かんかったの?」
「ええ、まあ」
 曖昧にする必要性も感じなかったが、大和は今の現状を説明する気もなくて、結局肩を竦めるだけに終わった。
 自分は彼女とどうしたいんだろう。友人に戻りたいのだろうか。このままの状態を維持していくのだろうか。
 もしかしたら良子に何かを求めているのだろうか。例えば麻耶に言われた愛のような感情とか。