天つ神のおまじない

七夕編


「日本ってのはまったく面白い文化を持ってるよね」

 すみれの背後で大河がそんなことを呟いた。まったくもって面白味のない男である。

「聖者の誕生を祝って、除夜の鐘を聞き、神社に詣でる――なんていう1週間を持つくらいだし、今更なのかもしれないけど」

 それに頷くように耳の奥で「確かに」と少年の声が聞こえた。いい加減、すみれはうんざりする。

「うるさいなあ。やる気がないなら無理にしなくていいんだから。あっち行っててよ」

 テーブルを挟んで正面に座る彼をきっと睨みつける。大河は意にも介さない表情ですみれを穏やかに見つめていた。しかしその手は黙々と動いており、あっという間に大きな色画用紙は細長く刻まれていく。苛立ちを通り越していっそのこと気味が悪い。

 こんなことなら大河ではなく式神に頼めば良かったと軽い後悔を覚えた。六合や貴人、白虎あたりならば快く引き受けてくれそうだ。大河を呼べば良いじゃん、と無責任なアドバイスをした天空の言葉をどうして真に受けてしまったのか。

 すみれは大学に入ってアルバイトを始めた。小学生から中学生を対象にした個人塾の講師である。もともと子供は好きだったから、多少自給が安くても楽しくできていたのだが、個人経営のその塾はイベント事にたいへん熱心だったのが運のツキだったのだろう。もうすぐ七夕ということですみれは塾長から短冊作りを命じられた。他のアルバイト講師の一人は部屋の飾りつけ、一番残念――もとい期待を寄せられたのは笹の調達を命じられたベテランスタッフだ。

「ところで、すみれは何か願い事はあるの?」

「なに、急に」

 すみれは言いながら、そういえばと考えてみる。大学に入ってからは思いのほか忙しく、服を買いに行く時間もあまりないまま半年が過ぎようとしているのだ。

「……うーん、そうだなぁ。でも旅行はしてみたいかな」

「旅行か。いいね、それ」

 大河の相槌にすみれは気を良くして、すっかり先ほどの苛立ちは忘れた。

「でしょう! 海外じゃなくていいから遠くへ行ってみたいんだよね。日帰りは疲れるから1泊ぐらいして。美味しいものが食べられたらそれで充分だから、博多とかいいよねぇ」

「いいね。うん、俺も行きたいな」

 そして大河は何かを思いついたように顔を上げた。にっこりと笑みを浮かべて、すみれはなんだか嫌な予感を覚える。1年以上一緒にいた経験上、こういうときの彼の笑みの奥には違う思惑が彷徨っているものだ。

「これが終わったら行こうか、博多。明日は講義があるから日帰りになっちゃうけど」

「は?」

「は、じゃなくて博多。ラーメン一緒に食べようよ」

 いやいやいや!?

 すみれは頭が混乱して眩暈がした。この男はいきなり何を言い出すのか。そんな簡単に言って行動できるものでもあるまい。だいたいがすみれはもちろん、大河とて(やや変人ではあるが)普通の学生という身分だ。そんなお金も持ち合わせていない。

「すみれの願い、短冊なんかに叶わせない。俺が叶えてあげる」

 言うなり大河はすみれの両手を自分の手で包み込んだ。それは初めて会ったあの時に似ている。彼がすみれにあの公園で“おまじない”を掛けたときと同じだった。

 じわり、と掌が熱くなる。すみれは思わず大河の手の中から自分の手を引っこ抜こうとしたが、大河がそれを押さえる。しだいに熱は氷のように冷めて、寒ささえ感じた。これも、あの時と一緒だ。

「青龍」

 大河が唱えるように囁くと、一瞬にして風が吹き抜けた。バサバサと音を立てて何も書かれていない短冊が床へと散らばる。それは色とりどりの絨毯のようにも見えた。

 しかし今はそんなことを気にしている場合ではなかった。

 未だに大河の両手はすみれの手を放さないでいる。大河の後ろには長髪の青年が現れた。切れ長の目は静かに彼らを見下ろしている。すみれは思わずムッと眉根を寄せた。

「ちょっと青龍。どうして柴島くんの方に居るのよ」

 不機嫌な彼女の声に青龍は申し訳なさそうに眉を下げた。

「すまない。けれど私を呼んだのは大河だ」

 青龍の言い訳に大河は困ったように苦笑した。

「謝るのかよ」

 すみれに彼ら式神を憑けた大河が、もともとの彼らの主である。そんな大河に対してその言い方はないだろうと思うが、きっかけがどうであれ今は彼女が彼らの主として認識されているのだろう。それは良いことのはずだった。でなければ式神は憑いているだけの、厄神と何ら変わらないからだ。

「とにかく青龍に博多まで連れて行ってもらおう。ね、すみれ。短冊で願うより確実だろう?」

 あまりに短絡的な考えにすみれは構えていた体の力を抜いた。普段はずっと自分よりもしっかりしていて大人な大河の、あまりに子どもじみた思考に呆れてしまう。

「そんなことのためにわざわざ青龍を呼んだの?」

「すみれ、私のことは気にするな。私もすみれの役に立てれば嬉しいのだ」

 青龍の真剣な眼差しに、すみれは思わず頬を赤く染めた。愛の告白を受けるよりも恥ずかしく感じるのはなぜだろうか。

 そんなすみれの反応に大河が良い顔をするわけもなく、あからさまに表情を歪ませた。どうしてたかが式神の言葉にそんなカオを見せるのか、堪らなく悔しく腹が立つ。

「すみれ。青龍もそう言ってるし、行こうよ」

 大河は先ほどよりも彼女の手を握る両手に力を込めて言った。すみれも「青龍がそう言うなら」と頷く。

 しかし大河の不機嫌は直るはずもなく、すみれは困ったように青龍を見た。助けを請うすみれの視線に青龍は残念そうに首を横に振った。

「青龍」

 苛立ちを含めた大河の口調に青龍は特に気にするふうでもなく頭を下げた。

「御意。――ではすみれ、後ほど」

 青龍が静かに姿を消した。

 自然とすみれの口から溜息が漏れる。こんなのは大河らしくない。

「どうしたの、柴島くん。おかしいよ」

 すみれの知っている彼は、自分の式神ですみれを困らせることはあっても、怒ることは決してなかった。青龍の機嫌が悪くならなかったのは救いだったが、あれが朱雀や騰蛇なら確実に喧嘩になっている。

 困ったような呆れたような怒ったような、複雑な面持ちをするすみれに、けれど大河は苦しそうにその手を唇に触れさせた。すみれは驚いて手を離そうとするが、やはりそれも大河によって封じられる。

「俺も分かってるんだ。青龍に当たるのは間違ってることくらい……。でも、すみれが悪いんだからな」

「なっ、なんであたしが悪いのよ」

「……教えない。六合か天空にでも聞けばいい」

 意味が分からない。

 すみれはほとほと困り、だからといって大河の前で六合や天空に聞くわけにもいかず、未だ手の甲や指先にキスを落とす大河に頬を染めた。

「そんなことばっかしてたら、博多行けなくなるよ」

 すみれの一言はいともあっさりとその口付けから解放した。

 そんな彼が彼女の本当の願いを知るのは――当分先の話である。

≪ F I N. ≫

   

+++ あとがき +++
ご精読ありがとうございました。超久しぶりの天神でした。
大河がどんどんタラシになっていく…。なんだかいろいろスミマセン。
今回は式神の名前をいっぱい出せたので、個人的に満足です(笑)
気に入っていただければ嬉しいです。
2008/07/06 up  美津希