天つ神のおまじない

独占欲編


大河はそれを見て愕然とした。

「な、んで……?」

下足室で彼女を待っていた大河の前に現れた当のすみれは、平然とそれを“憑け”ている。

なぜだ。

始業式の日に式神を彼女に付けているから、すみれにもその存在は分かるはずなのに。

「ねえ、月島さん。それ、分かってる?」

だから思わず聞いていしまった。彼女の肩に乗っかる半透明な球体を指差しながら。

くるりと首を傾げるように回るそれは紛れもなく――。

「ああ。うん。“厄”ってこれでしょ。でも見えるとけっこう可愛いなって」

すみれが言うや否や、大河はそれを片手で叩いた。一瞬肩の辺りが冷たくなる。球体は消えていた。

「あっ」

思わずすみれは声を上げた。瞬間、ぎろりと大河に睨まれる。

「あ、じゃないよ。月島さん、分かってる? 厄を憑けてなにやってんの」

大河に叱られ、すみれは俯いた。どうして高校3年生にもなって同級生に真面目に叱られているのか。

大河は溜息をひとつ洩らすと、俯くすみれの片手を取った。公園でしたときのように、すみれの手に自分の手を重ねる。

そこだけ急に温度が変わる。

「青龍」

大河がそう呼ぶと、一瞬空気が動いた。気づけば大河の後ろ――すみれの正面に蒼い瞳をした長髪の青年が現れる。

すみれは驚き、ぱちくりと眼を丸く広げて青年を見上げた。切れ長の目が冷たく自分を見下ろしている。

いつの間にか周りには人の気配が完全になくなっていた。

「青龍、お前が居てどうして厄を祓わない」

明らかに外見は大河の方が年下なのに、その口調は強かった。青龍と呼ばれた青年は静かに頭を下げる。その名から彼も自分の中にいる式神なのだと知った。

「すみれが必要ないと」

青龍は淡々と答える。大河は再び大げさに息を吐き出し、頭を振った。信じられなかった。

「月島さん、君は何を考えてるんだ?」

「へ、」

呆れられたことは確かだ。すみれは居た堪れなくなってきた。どうして教師に説教されるより、親に注意されるより、こうも堪えるのだろう。

「厄がどういうものか、説明しただろう? 可愛いなんていう君の感性を疑うんだけど」

それに対してすみれは何も言えない。確かに説明はこの前してもらった。……かなり端的なものだったけれど。

要約すると、厄というのは大きく二つに分かれる。災厄と困厄だ。一般的に似たような意味を持つ二つの言葉は、ここでは見えるものと見えないものに分けられる。

そしてそれは大方具現化して見え、ヒトの形に成っていくほどその力は強く、厄鬼と呼ばれる。しかし厄鬼も含め、先ほどの球体も全て“厄”と称されるのだ。

厄に憑かれると不運、災害、困難に見舞われ、最悪死をもたらす。それらの厄――特に目に見えて現れる災厄を排除するのが、青龍を始めとする彼ら式神であり、式神を操る厄師である。

厄師は薬師にも通じ、式神を使うものの陰陽師とはまた違う存在であるが、すみれにはよく分からなかった。

「とりあえず、厄鬼は月島さんを狙っているんだ。どんな小さな厄でも憑けるのは危険だということを、もっと自覚してほしい」

そしてまた大河は、青龍に視線を向けた。青龍は相変わらず表情を変えず、そこに居た。

「そのためにお前達を付けたんだ。分かってるな?」

「危険が迫れば我々の意思に関係なくすみれを守るように指示されている。問題ない」

そういうことではない――と言おうとして、大河は口を閉じた。やはりまだ式神たちはすみれを認めていないのだろう。六合でさえ、この状態で出てこようとしていない。

「……なら、いい」

大河が手を前へ振ると、青龍は「御意」と声を発して姿を消した。瞬間、すみれの手の甲が熱を帯びた。

再び大河はすみれと向きあう。途端に周りに人の気配が集まりだした。彼が青龍を呼び出すために人を払っていたのだとやっと気づいた。

「気をつけてね、月島さん」

最後に大河は釘を刺すようにすみれに言い放ち、先に玄関を出ていく。すみれはその後姿を慌てて追いかける。

大河が転校してきて1ヶ月経った頃のことだった。


あれから既に1年が経とうとしている。


大河はそれを見て愕然とした。

「な……」

すみれを誘ったのは大河だった。好きな作家の作品が映画化され、それを観に行こうとすみれを誘ったのだ。

駅の改札口前で待ち合わせしようと提案したのも大河だった。ただ、大河が少し遅れた――と言っても約束の時間までは3分ほどある――というだけで。

そこには2人の男に囲まれたすみれの姿があった。一人は目立つ金髪の軽そうな男で、もう一人はすみれの肩を抱いて金髪の男の相手をする長髪の男だ。長髪の方は大河に見覚えがあった。

金髪の男は顔を歪めてすぐにその場を離れる。すみれは笑顔で長髪の男に礼を言っているようだ。

どうして肩を抱かれたままなのだ、と大河は眉根を寄せた。

「青龍」

思いのほか低い声が出た。振り返る青龍の、すみれの肩に置かれた手を払う。青龍は何も言わず一歩下がる。

青龍が触れていた彼女の肩に大河は自分の手を乗せ、抱き寄せた。相変わらずすみれは何も分かっていないようにきょとんとしていた。

「何やってるの?」

大河は青龍に聞いたのだが、答えたのはすみれだった。

「あ、あのね。しつこく声かけられて困ってたら、青龍が助けてくれたの」

「そう……」

大河はすみれに優しく微笑みかけ、しかし式神には冷ややかな眼差しを向けて戻るように視線を送る。

「厄のせいじゃないのに、本当、びっくりしちゃって」

おかしいよね、とすみれは大河を見上げながら笑った。しかし大河は少しも可笑しくなかった。憑いていた厄鬼が離れて既に半年ほど経っており、すみれの魅力に気づく者が――腹立たしいことに――増えてきているのは事実だ。

すみれ自身に自覚がないのが救いなのかどうかは分からないが。

「ありがとう、青龍」

大河に肩を抱かれたまますみれは言った。

「いえ。すみれが困っていれば助けるのが、我ら式神の役割なのだ」

『そうそう。だから礼には及ばないわ』

変わらない表情と声音で青龍が答える。六合の冷めた声も耳に届き、しかし少し照れているようだった。

そしてそれは良いことのはずなのだった。が、大河には気に食わなかった。

「もういいぞ」

大河が短く言うと、青龍は僅かに頭を下げて姿を消した。それはほんの一瞬のことで、それを不審がる者はいない。

「すみれはもう少し自覚してもいいと思うよ」

とりあえず、と大河は言ってみる。だが案の定、すみれは小首を傾げた。

「厄に好かれるのもあれだけど、他の男に好かれても俺が困る」

言いながら大河はにっこりと微笑む。悲しいかな、彼の言葉は半分もすみれに届くことはない。

すみれもにっこりと微笑み返した。

「だよね。いつも青龍に助けてもらうのも申し訳ないし。でもそんなの滅多にないから安心していいよ?」

「……そうだね」

では今彼女の肩に乗せている大河の手はどうなのだろうか。

大河は聞くのも怖い気がして、抵抗されないうちにと歩き出すことに決めた。

「すみれを守るのは俺だけでいいよ」

そう言って囁いてみた。

すみれの頬はさすがに赤く染まり、するりと大河の腕から体を離す。

大河は特に何も言わず、歩いていく。

隣に歩くすみれの手を握ろうか迷いつつ、結局できないことを知っていた。

≪ F I N. ≫

   

+++ あとがき +++
ご精読ありがとうございました。
前半の時期は高校3年生の春、
後半は大学に入る少し前辺りです。
というか。
は、恥ずかしい…!
2008/07/18 up  美津希