ホワイト編
どれを着て行こうかと、明日に備えてクローゼットの中を覗き込むすみれの横で、六合も同じように体を前のめりにさせる。もう少し組み合わせのバリエーションを増やせるように服を買えばいいのに、と思う。まあ、すみれがどれだけダサイ格好をしていても、大河に文句はないのだろうけれど。
「今日はやけに嬉しそうだね? 明日何かの日だっけ?」
それにしてもすみれの上機嫌さに首をかしげる。これが大河だったら分かりやすいのだが、すみれはそこまで大河のことを特別に思っていない気がする。あくまで六合の見解としては。
「そんなに行きたかったのか、遊園地」
呆れたようにそう言い放ったのは、すみれの背後で腕を頭の後ろに組んだ天空だ。賑やかなところを好む彼は、しかしテーマパークのような騒然とした場所はそれほど魅力的には感じられない。むしろ人と人とが本気でぶつかり合う祭りが最も燃え上がる。
「別にそういうのじゃないけど……」
言いながらも、すみれの頬は緩んでいた。確かに天空や六合が言うように浮かれているのかもしれなかった。映画や買い物に誘ってくれたことは何度かあったけれど、今回はいつもと違う気がするからだろうか。
明日は3月14日だ。しかも土曜日で、遊楽日にはぴったりだと思う。卒業式が2月にあって、大河との関係もそれきりだと思っていたから、また大河と遊べることが嬉しいというのもある。
これはきっとバレンタインデーのお返しに違いなかった。思ってたような渡し方ではなかったが、ちゃんとチョコレートは大河の元へ行ったのだ。それが1ヶ月前のことだった。バレンタインという行事を真面目に遂行できたのは初めてで、ホワイトデーをちゃんと過ごせるというのも初めてだ。それが嬉しい。
こういう気分は悪くない。小学生の時に体感した遠足前のような気分だ。そういえば遊園地自体、行くのはどれくらいぶりになるのだろう。楽しみだ。
朝、目覚めは最高に良かった。ゆっくりと着替え、支度を整えてリビングへ降りると、ちょうど朝食が出来上がっていた。
時間に余裕を見て家を出る。ここのところ大河と二人で出かける時は何だかんだで慌しくしていたから、なんだか日差しまでもが心地良い。
「あれ、すみれが早い」
待ち合わせ場所に現れた大河が、先に待っていたすみれの姿を見て悪戯っぽく笑った。
「ちょっ……、ひどいっ」
せっかく楽しみに来たのに、と不愉快そうにすみれが言う。
「ごめん、ごめん」
慌てて大河は謝った。冗談で言ったのに真顔で応えられるとは思わなかった。
くすくす、と呆れたような笑い声がすみれの耳の奥で微かに聞こえた。きっと六合だ、とすみれは思った。
気を取り直して二人は歩き出すことにした。今日向かうのはここから一番近い小さな遊園地だ。最寄り駅は普通しか止まらず、更に駅から近いとは言えない距離にあるのだが、それでもお化け屋敷や特設ステージに力を入れていて、よくテレビでCMが流れている効果もあってか、相変わらず人気は高い。すみれも幼い頃に何度か連れて行ってもらったことを覚えている。
「柴島君はここ、初めて?」
ふと気になってすみれは尋ねてみた。出会ってそろそろ1年ほど経とうとしているが、未だに彼自身のことについて教えてもらったことはあまりない。それこそ転校してくる前はどこに居たのか、実の両親を亡くして厄師として活動し始めるまでどうしていたのか、そういうある意味核心的な生い立ちの話題は上手く避けられていた。
「うん。ていうか遊園地とか動物園とか、学校の行事で行くくらいだったかな」
「……それってほとんど皆無に近いんじゃない」
それじゃあ今日はめいいっぱい遊ばなくちゃね! と張り切るすみれに、大河は嬉しそうに微笑んだ。
自分のために頑張ってくれるというのは本当に嬉しいものだ。それが命を削るようなマイナスなものではない、前向きな気持ちであればあるほど、喜びと愛しさは増していく。
だからだろうか。こんなにも彼女に惹きつけられるのは。愛しくて時に感情が溢れ出しそうになってしまうのは。
「これでもポーカーフェイスには自信があったんだけどなぁ……」
緩んでいく口元を手で覆い隠し、大河はぼそりと呟いた。
「え。何か言った? よく聞こえなかった」
「いや、なんでもない。それよりどこから回るんだ?」
入り口で貰ったパンフレットを広げながら大河が聞くと、「そりゃもちろん」とすみれは楽しげに指を差す。
「ジェットコースターは外せないでしょ」
釣られて大河も笑みを零した。すみれが楽しそうならそれでいい。誘って良かったと心から思った。
二人が帰る頃にはすっかり太陽は沈みきっていて、はしゃぎ疲れた子ども達は親の腕の中で寝息を立てていた。
「楽しかったねぇ」
駅に向かう途中ですみれが満足気にそう言った。同じ方向に向かって歩く家族連れからもまだ元気が有り余っている子どもの声や、友人同士ではしゃぎ合う高らかな声が、僅かに聞こえてくる。
「俺も楽しかったよ。誘って良かった」
「うん」
「来月からはお互い大学生になるだろ。大学違うからあんまり会えなくなるだろうけどさ、たまにはこうやって一緒に遊んだりしようぜ。な」
「うん、そうだね」
高校を卒業して、お互いの進路ははっきりと別れた。すみれは県内の女子大に通うし、大河は隣の県の国立大学に通う。大学生活に慣れるまではお互いに忙しいだろうし、アルバイトもしたい。もしかしたらサークルに入るかもしれない。それでもやっぱり、大河とこのまま離れてしまうのは寂しいと思う。
「それと……さ。もし良かったらさ……」
大河が口篭ることは珍しく、すみれは「うん?」と小首を傾げながら隣を見上げた。
「朝、一緒に行かないか?」
「え?」
言っている意味が分からなくて、すみれはもう一度首を傾けた。
「だから大学。朝は一緒に行こうって言ってんだよ」
「え、でも逆方向だよ? 電車」
「うん。けど時間的には同じだろ。だから駅で待ち合わせて会おうよ。そしたら毎日会えるじゃん、一応」
強い口調で言い放つ大河は、けれど何が気恥ずかしいのか、首の後ろをしきりに摩っていた。すみれはそんな仕草を見ながらキョトンと瞬きを繰り返す。
「え、でも改札で別れるんだよね?」
改札前で待ち合わせて、改札を通って別れるのだから、その行為に意味はないのではないだろうか。
そんなすみれの返答が気に入らなかったのだろう。大河は首の後ろを摩っていた手を下ろし、目を細めてすみれを見下ろした。
「なに、嫌なの」
「え、いや、嫌ってわけじゃないけど……」
なぜか睨まれた気がして、すみれは慌てて首を横に振った。どうして怒られた気になるのだろう。出会ってからどうも、すみれは親や教師に怒られよりも、大河に怒られる方がよっぽどの恐怖を覚える。ある種のトラウマなのだと天后や貴人に指摘されたこともあるけれど。
もしかしたら大河も故意的にか無意識かは分からないが、そのことに気づいているのかもしれない。
「じゃあ決まりな」
「あ、うん……分かった」
すみれが頷くのを見て、大河は天使のような微笑を見せた。この笑みも怖いんだな、とすみれは頭の隅で考える。
まぁでも、今日は勿体無さすぎるホワイトデーだったのだから、これくらいはマイナスにもならない。
「それにしても今日は本当に楽しかった。次はもっと遠出してみたいな」
そんな大河の言葉にすみれも頷いた。
「うん。あんなチョコレートのお返しにしては勿体無いくらいだよ」
すみれは自分が買ったチョコレートの値段と今日の二人分の入場券の値段とを比較してみても、その差は明らかに大きい。
気持ちだけでも嬉しかったのに、と言おうとして。
ふと大河の様子が変わったことに気づいて足を止めた。
「え、あ……そっか……。今日って14日だっけ」
しまった、と呟いて大河の表情が歪んだ。「どうしたの?」と訳がわからないすみれは振り返って大河に尋ねる。
「確か近くにコンビニあったよな……。悪い! ちょっと待ってて!」
「あっ、え!?」
すみれが何事かと口を開く前に、既に大河は背中を向けて走り去ってしまった。突然のことで何が何だか把握できないうちに、一つ目の角を曲がって大河の姿が視界から消える。
すみれは仕方なく道の端に寄って、彼が戻ってくるのを待つしかなかった。
一人で居るには風は冷えきっており、もう4月も間近だというのに夜は未だ寒い季節だと実感させられる。
どれくらいそこで待っていたのか、すみれには具体的な時間は分からない。けれど長くも短くも感じた。
息を切らせてようやく戻ってきた大河の手には、先ほど向かったのだろうコンビニの袋が握られていた。おそらくこの場を突然離れた目的がそれなのだと理解する。
「はぁっ、はぁ……。ごめん」
「いや別に、良いんだけど。どうしたの?」
大河の息が整うのを暫く待つ。
言葉が放たれる代わりに持ち上げられた大河の腕。突き出されたコンビニ袋は、どうやら受け取れということらしい。
「くれるの?」
遠慮がちにすみれが尋ねると、体を起こした大河が大きく頷いた。
「今日がホワイトデーだってことすっかり忘れてた。100円ので悪いんだけど」
コンビニ袋の中を覗くと、そこにあったのは菓子袋だった。パッケージを見てすぐに何か解った。
「マシュマロ……」
「あのチョコにこんな物で割りに合わないんだけど、勘弁な」
「へ……?」
呆けるすみれに、大河は僅かに浮かぶ汗を拭った。
――時々思うのだけど。
大河って妙なところで天然ボケをかましてくる。
ホワイトデーを忘れていたって遊園地に誘ってくれたことでナシにしても良いものなのに。それともマシュマロに拘りでもあるのだろうか?
まあ、何にしても。
イベントに関係なく遊園地に誘ってくれたことが、何よりも嬉しかったりするのだけど。
≪ F I N. ≫
こうして「天つ神のおまじないT」へ続くのです。
2009/03/27 up 美津希