大学祭編
広い校内を探し回って、大河はようやくすみれの姿を見つけた。高校のように入場制限が設けられていないため、学生の他に地域の人や近くの幼稚園に通う子ども達で溢れ、なかなかの人込みの中で発見した彼女に安堵感を覚える。
「あれ、遅かったね?」
だというのに、すみれはのんびりとした声で、咎めるわけでもなく大河を迎えた。もう少し責めてくれても構わないのに、むしろその方が言い訳もしやすく愚痴も言いやすいのに、すみれはどこまでも穏やかだ。だから大河は僅かに苦笑を浮かべただけにした。
「来る途中で何度も勧誘に引っ掛けられそうになってさ。焼きそば一つくれる?」
人差し指を立てて注文すると、すみれは手際よく鉄板の上の焼きそばを紙皿に盛り付ける。紅生姜と青海苔を軽く乗せ、割り箸を添えて大河へ渡すと、近くのベンチへ案内した。
「すみれの手作り?」
ベンチへ腰掛けるなり、そう聞いてきた大河にすみれは驚いて、可笑しくなった。
「そうかな? どうなんだろう? 焼いたのはあたしだけど、野菜切ってるのは他の人だし。みんなの手作りかな」
「ふうん。初めてのすみれの手料理だね」
大河が食べる初めてのすみれの手料理。そういう意味合いで大河は言って、おそらくそのニュアンスはすみれ自身にも伝わったのだろう。困ったように頬を染めて、彼女ははにかんで見せた。
「そういう言い方されると恥ずかしいね……」
恥ずかしがるすみれを見上げながら、大河は可愛いなと思う。どうしてだろうか、いつも思っているはずなのに今日は特に愛らしい。そう考えて、きっと彼女のエプロン姿を初めて見たからだ、と合点した。高校の調理実習は3年の時には無かったから、こういう姿を見る機会は今までなかったのだ。
(いいな。こういうのも――)
軽く妄想した大河はにやけそうになる顔を引き締め、焼きそばを口に運ぶ。辛めのソースが効いていて美味しかった。麺は太く柔らかく、普段食べる焼きそばとはまた違った食感で、しかしながら鉄板で焼いたことによって出来る焦げた部分がまた味を出している。
「美味いな、これ」
思わず呟いくと、すみれは嬉しそうに微笑んだ。
「だよね、美味しいよね! 実はそれ立木君のレシピなんだぁ。太麺ってあまり焼きそばに使わないんだけど絶対美味しいからって提案してくれたんだよ。凄いよねぇ」
「へぇ」
「あたし今まで食材に拘ったこととかなかったし、気にしたこと無かったんだけど、二人で買い物に行ったり作ったりしてると、料理って奥深いなぁってつくづく思っちゃった」
「へぇ……?」
楽しそうに話す彼女の声を聞きながら、ぴくり、と大河の箸が動きを止めた。今確かに、聴きたくない言葉が聞こえたような気がする。
『あちゃぁ……』
小さく六合の溜め息が聞こえて、すみれはキョトンと大河を見た。彼は変わらない笑顔ですみれを見上げているけれど、その表情が硬く見えるのは思い過ごしだろうか。
「二人で、作ったんだ?」
若干声が低くなる大河に、すみれはぎこちなくコクリと頷いた。彼がどこに引っかかりを覚えたのか、すみれには分からなかった。
「あたしだけ時間合わなくて、一回だけね、二人で作ったことがあって。その時に色々教わったの」
「二人で、買い物したんだ?」
「うん。立木君一人じゃ大変だし」
本当は誘われたのだ、と言ったらますます大河の機嫌が傾きそうで、すみれは思わず言い方を変えた。どうやら大河は、自分と立木が二人で居ることに不満らしい――ということに気づいたのはごく最近だ。それがどうしてなのかは未だ分からないけれど、思い返してみれば立木と知り合ってから、大河の顔色がよく変わることを知った。
「あの、もしかして立木君も……厄に関わってる、とか?」
ふと、鬼頭の一件を思い出したすみれは、不安げな表情を浮かべて大河を覗き込んだ。
大河は慌てて首を横に振った。安心させるように笑みを向けて、違うよ、と答える。もうあれから2年が経っている。それでも式神が居る限り、彼女の記憶から鬼頭は昇華されないのだろう。
「違う。これはただの、嫉妬。羨ましいなって思ってさ」
「嫉妬? 立木くんに? 柴島くんも料理できるでしょ?」
昨年の大学祭を思い出して、すみれは不思議そうに小首を傾げた。昨年はすみれが大河の大学祭へ行き、大河と一緒に回ったのだ。その時に大河の友人からそういった話を聞いたのだ。なぜか大河は嫌そうな表情をしていたけれど、すみれにとっては嬉しい発見だった。
「そういう意味じゃないんだけど……。まぁいいか」
今のところ直接すみれにアプローチしているわけではないのだし、と思うことにして、大河は再び焼きそばを食べだす。焼きそばが美味しいことに変わりは無かった。
「すみれも食べる?」
「ん? いいの?」
箸で摘んだ焼きそばを持ち上げて、すみれに尋ねてみれば、嬉しそうに手を伸ばしてきた。
大河は気を良くしてそのまま箸を渡さず、直にすみれの口へ持っていく。すみれもその意図を理解して、口を大きく開けて手の代わりに顔を近づけていく。口の中に広がるソースの味と紅生姜の辛さが相俟って、試食どおりに美味しい。
「うん、やっぱり美味しい」
にこにこと一口食べたすみれを見て、大河もにっこりと笑みを浮かべた。
「去年もこうやって焼きそば食べたなぁ。今思い出した」
「あ、そうだったね。柴島くんの焼きそばとあたしのお好み焼きを一口ずつ分け合ったよね」
「来年も一緒に食べような、焼きそば」
「食べてばっかりだね、あたしたち」
ふふ、と笑うすみれに大河は何も言わず、微笑み返しただけでまた焼きそばを食べる。
本当に欲しいのは焼きそばなんかよりもずっと甘いものなのだけれど。
それはまだ言わないことにした。
≪ F I N. ≫
2009/10/24 up 美津希