天つ神のおまじない

クリスマス・イブ編


トレイを持ってすみれの待つ席へ戻ると、じっと見上げる視線とぶつかった。

「……何?」

呆れたように微笑みながら問えば、彼女は軽く首を振って頬杖を付いていた手を膝の上に直した。

「ううん。別に。ありがと」

そう言ってすみれは大河が持って来たトレイの上から自分が頼んだハンバーガーとジュースを取り出して、自分の前へ置いた。

何もなくはないだろう、と大河は思う。今朝、いつものように駅前で待ち合わせをしてから買い物をし、今遅めの昼ごはんを取るためにファーストフード店へ入ってからも、しばしばすみれから強烈な視線を感じていた。それは見つめる、という可愛らしいものではなく、なんだか行動1つ仕草1つを見逃すまいとするような、どこか観察されているモルモットの気分だ。

すみれに見つめられるのは良いが、こういった視線は喜ばしくない。

「なんだか、不思議だなぁと思って」

パクッと一口、バーガーを齧ってすみれが呟いた。ズルル、とコーラを飲んだ大河が「うん?」と顔を上げた。

「こうやって柴島くんと遊んだりすること。あたし、今まで友達と外に出たりって、ほとんどなかったし」

大河は少し目を丸くしてすみれを見た。大河とすみれが二人で外に出るようになったのは高校3年の春に出会ってから2年が過ぎている。何を今更、と思う反面、それもそうだと納得する部分もあった。

「まぁ、すみれは人を寄せ付けない雰囲気持ってたしね」

「ええ? そう!?」

心外だと言わんばかりのすみれに、今は随分と丸くなったよ、と大河は続けた。

「厄のせいとか関係なく? あたしそんなふうに見られてたんだ……」

すみれは、落ち込むなぁ、と見るからにしょんぼりとする。大河は苦笑を深くして彼女の顔を覗きこんだ。

「そんなに気落ちすることでもないだろ? 俺は嬉しいけど」

そう言って大河が微笑めば、すみれは小首を傾げて見つめ返した。

「嬉しいってどういうこと?」

「天空から何度も言われてるじゃん。俺って独占欲強いからね」

笑ってそう言われ、すみれは立木のことを思い返した。確かに彼は独占欲が強いようだ。大学2年になり取った教職の講義で知り合った彼に、幾度となくあからさまな嫉妬心を見せていた。すみれは珍しいと思いつつ面倒な事にならないよう流していたが。

そうか、と納得してみせるすみれに、大河は肩を落とす。そこで納得されても困るのだが、そのことにさえ彼女は気づかない。すみれの鈍感さに救われることも、愛しいと思うことさえ多々あるが、やはり少しくらいはこちらの感情に察してほしいところだ。

大学生活も、3年になれば就職活動が始まってすみれは今よりもずっと忙しくなるだろう。薬学部にいる大河は6年間は学生だから、いろいろと覚悟を決めなければならない時もそれ程遠い未来ではない。

「それで? どうして急にそんなことを考えてたんだ?」

苦笑しつつ肩を竦めた大河が問いかけた。すみれは逡巡して、ゆっくりと口を開いた。

立木のことが発端にあったからあまり話したくはなかったけれど、それでも今日の自分の視線はあまりにあからさまで不躾だったと自覚はあったし、それほど大河が気を揉むようなこともないだろうと判断した。実際、立木にも自分にも、お互い特別な感情はないのだ――とすみれは思っている。

「25日にね、テストの終わりに食べに行こうって話になったんだけど。そういえばこういうのってデートっていうのかな、と思って」

「でぇーとぉー?」

すみれから出るはずのない単語が出て、大河は思わず声を上げた。当の本人は驚愕する大河に驚いていた。

「男の子と女の子が遊びに行ったりするのはデートって言うんでしょ?」

違うの? と首を傾げるすみれに、大河は困ってしまった。確かに間違ってはいないが……そういう認識を覚えられると困るのは確実に大河だ。

「誰がそんなこと言ってたの?」

「立木君だけど」

――ということは25日にすみれを誘ったのも立木だろう、と大河は確信し、眉を寄せた。

すみれは慌てて言葉を繋ぐ。

「でも、立木君は冗談で言ってたから、実際にデートするわけじゃないよ? デートって恋人がするからデートっていうんだもの。あたしだってそれくらい分かるし」

それは違うよ、と大河は言おうとしてやめた。問題はそこではない。

「……じゃあさ、俺たちもデートしようか。クリスマスイブに」

大河はにっこりと微笑んで、胸の内に渦巻くモヤモヤとしたものを押し隠した。もともとポーカーフェイスは得意であったけれど、すみれと付き合うようになってさらに拍車がかかった気がする。すみれは人の感情には鈍いけれど、表情を読み取るのは上手かった。きっと人見知りする彼女なりの、身に付けた世渡り術なのだろう。

「良いよね?」

そういう聞き方をすれば彼女が断れないことを知っていて、大河は問う。

「う、ん……」

コクンと頷くすみれを確認して、大河は満足げに笑みを深めた。

きっと彼女は大河のセリフの真意に気づいていないのだろう。立木が誘った日が25日――クリスマス当日でなかったら自分がここまで穏やかに微笑めてないことを、すみれはきっと気づかない。




24日当日は、学校の終わった19時に待ち合わせた。普段は休日の昼頃に待ち合わせることがほとんどだったから、何だか新鮮な気分で、すみれは浮き足立っていた。クリスマスイブだからお洒落してきてね、という大河の言葉に頷いて、滅多に履かないスカートを履いてきた。大学の友人達に「よく似合って可愛い」と持ち上げられ、少し良い気分だった。

「ちょ……、すみれ?」

現れた大河はいつものジーンズではなく、黒革のパンツにベルトの付いたショートブーツ、ジャケットもラフなのに格好良く決めてタイを緩ませている。思わず見惚れていたすみれに、大河は不機嫌そうにすみれのスカートに視線を落とした。

すみれも自分自身の足元に視線を落とす。膝上丈のスカートにロングブーツスタイルだ。慣れない格好で恥ずかしいが、彼も可愛いと褒めてくれるだろうか。

「どう、かな? 柴島くんの言ったとおりお洒落してきたんだけど」

「……短すぎない?」

思いのほか低い声で言われてすみれは悲しくなった。非難されることを想定していなかった分、ショックは思っていたより大きいようだ。

「そうかな? ミニスカートっていう程じゃないんだけどな」

「いや、可愛いけどさ。せめて膝下が良かった」

どうやら好みの長さではなかったようだ。すみれは申し訳なく思って小さく「ごめん」と謝った。

焦ったのは大河だ。あまりに心無い言葉をかけてしまった。

「あ、違う。ごめん。ちょっと寒そうだったからさ」

言い訳にもならない言い訳をして、あやすようにすみれの腰に手を回した。

「とりあえず行こうか。今日はレストランを予約してるんだ」

外にいるときは滅多に触れてこない大河が、ごく自然に腰に手を回してエスコートをすることにすみれは驚き、慣れないことをされて鼓動が早くなる。

赤くなった顔を隠すように俯いたすみれに大河は目を細め、そっと顔を近づけた。

「せっかくのクリスマスイブだし、今日くらいは恋人気分でいても良いよね?」

にっこりと微笑んですみれの返事を待つ。

けれど大河は、すみれの答えを知っていた。自分がずるいことを嫌と言うほど分かっている。臆病なくせに結果は欲しくて。

そしていつかこれが本物になる日が来ることを、聖夜の空にそっと願った。

すみれは大河の腕の中で、遠慮がちに彼の顔を見上げる。「いいよ」と彼の望む返事をするために、小さく口を開いた。

≪ F I N. ≫

   

2009/12/14 up  美津希