天つ神のおまじない

選択編


成人式の朝は大変だ。振袖はレンタルにしたので、朝5時に美容室へ行くことになった。着付け、髪型のセット、化粧、記念撮影までを2,3時間かけて行い、一旦家に戻る車の中では窮屈な着慣れない着物を着たまま、うつらうつらとしてしまっていた。

それでも一生に一度のことだ。すみれは気合を入れて目をこじ開ける。ここで眠ってしまい、変にセットが崩れでもしたら、それこそ無駄というものだ。

「すみれ、会場まで送るか?」

運転席の父親が、振り返らずに問うてきた。一瞬すみれは体を強張らせたが、運転席と助手席に座る両親がそのことに気づくことはなく、すみれは手の甲を摩って考える様子を見せた。

「うん。お願い」

答えてから、心の中で式神たちにも問いかける。

(これで……良いんだよね――?)

成人式が行われる市民会館にて、高校時代の友人達と落ち合う約束はしていた。けれど、大河とは連絡を取っていなかった。

すみれとしては、当然大河からも誘いが来るのだろうと予想し、友人達にはどう対応しようか悩んでいたところだったのでむしろ助かったのだろうが、何となく腑に落ちない。どうして遊びには頻繁に声を掛けてくれるのに、こうした大事な式典に限って何の連絡もしてくれないのか、不安で仕方がなかった。

問いかけても六合はおろか、式神の誰も答えてくれない。それが更に不安を煽った。

どうして何も言ってくれないのだろう? 何かあったのだろうか?

大河にとって自分はどういう存在なのだろうか……?


――1週間前――


「あけましておめでとうございます!!」

神社の前で待ち合わせをしていた大河に、六合や天空を始め、すみれは一緒に頭を下げて礼をした。くすり、と微笑んで大河も「明けましておめでとう。今年もよろしく」と返してくれる。

地元の小さな神社ではあるが、三箇日真っ只中ということで、参拝客で道は人混みに溢れ返っていた。道の両端には幾つもの屋台が押し並べ、祭りさながらの風景である。毎年父方の田舎へ行っていたすみれにはこの光景は新鮮で、知らず式神達と同様にはしゃいだ気分でいた。

「大河、大河! オレたこ焼き食いたい!」

浮き足立った天空が嬉しそうに屋台を指差せば、こら、と嗜めたのは呆れ顔の朱雀だ。

「おい天空! それより参拝が先だろ! 先にこっち並ぶんだよ!」

がしっと首根っこを朱雀に掴まれた天空はさすがに大人しく従う。その様子を見て可笑しそうに声を洩らしたのは天后だ。

「クスクス。天空は相変わらずですわね」

「全く。もう少し大人になってもらわなければ困りますわ」

目を細めて貴人が溜め息を吐く。

その一連の様子を見てすみれは思わず笑った。大学に入ってからこうして彼らが姿を見せるのは無かったからということもあり、なんだか大勢で来ているだけで楽しかった。初詣に誘ったのも大河だったが、式神達を表に出すよう言ったのも大河だった。

賑やかな言葉の押収を耳にしながら歩いていると、すれ違い様に肩がぶつかり、すみれの体がふらりと傾く。

「大丈夫か」

すみれの肩を抱いて支えたのは隣を歩いていた青龍だった。

「あ、うん。大丈夫。ありがとう」

彼にこうして助けてもらうのは何度目だろうか。すみれがニッコリと笑顔で礼を言うと、逆隣からぐい、と肩を掴まれた。

すみれが驚いていると、青龍とすみれを引き離した張本人である大河はムッと難しそうな顔で二人の間に割って入ってきた。シッシッと手を振って青龍をあからさまに追い払う。

「青龍、余計な事をするな。ほら、朱雀らと一緒に天空のお守りでもして来い」

ふと前を見れば、首根っこを掴まれていた天空は今は、朱雀と白虎という大柄な二人に挟まれて、まるでやんちゃな弟とその兄姉のようだった。

「ちょっと柴島くん、その言い方はないんじゃ……」

いくらなんでも助けてくれた青龍に失礼だ、とすみれが言えば、首を横に振って否定をしたのはその青龍だった。

「気にするな、すみれ。私は構わない」

大河としては自分の心が青龍に見透かされていること自体が気に食わないが、それは今更であり仕方のないことなので、この際は気にしないことにした。ありがたく彼の配慮に甘んじさせてもらう。それに大河は感謝していた。いつだって――腹立たしいくらいに彼女を守ってきたのは青龍を初めとした式神達で、大河自身ではないのだ。

「というわけで、あいつらも好き勝手にしてるし、俺たちは二人で並ぼう」

気を取り直して大河がニコリと微笑んで促せば、うん、とすみれは頷く。そしてふと大河の後ろに視線を向け、遠慮がちに尋ねた。

「あ……、でも騰蛇は良いの?」

彼も居るのだから、この場合は二人ではなく三人ではないだろうか。

黒髪で細身の彼は長身で、青龍とは違ったタイプの寡黙で静かな、青年の姿をしている。正直なところ、すみれは未だまともに彼と話をしたことがなかった。

「ああ、こいつは良いよ」

軽い口調で大河は言った。騰蛇はすみれに――もっと言えば人間に対して関心がない。大河はだから、青龍の時のように気に病むこともなく彼の好きなように、傍に付いてくるのを許している。何より最も信頼している男だった。

「……あのさ、すみれ」

傍にいる式神は騰蛇だけということを確認して、声を落としながら大河は口を開いた。

どこか言い難そうに首の後ろを掻く大河を見上げ、すみれは「うん?」と小首を傾げた。……可愛い……、とこれから言おうとしていることを頭の隅にやって大河は、顔の筋肉が緩むのを必死で堪えた。今はシリアスな場面なのだと己に言い聞かせる。

「今年成人式あるだろ。もうハタチだし、最近は厄鬼も見なくなったし」

ポツポツと話す大河を見てすみれはパチクリと瞬きした。

「そろそろ式神をすみれから離そうと思うんだ」

「えっ……」

「すみれは元々フツウの人なんだし、今は厄鬼が憑いてるわけでもないから、式神が“憑いて”たら逆に負担になるだけだ。まだ自覚症状はないと思うけど」

「ああ、うん……」

そういえばそんな話を最初にされていたことを思い出した。もうずっとこの状態が続くと、どうして思っていたんだろう。不意に頭を殴られた感覚に襲われた。それくらいの衝撃だった。突然過ぎたのだ。

「成人式の日に離そうと思うんだけど、良いよね?」

「良いも何も――」

どうしてそんなことを前もって言ってくるのだろう。式神を憑けたのは突然で、何の説明もなかったのに。今までだってそういった判断は全て大河がしてきたことで、すみれは従ってきたというのに。その確認に意味はあるのだろうか?

すみれは視線を大河から離し、自分の足元を見つめた。

式神がいなくなるということを改めて考えてみる。そもそも彼らは自分に憑いていた厄鬼を追い払うために大河が憑けたもので、言わば大河とは式神がいたから今まで繋がっていたのだ。でなければ同じ学校にいても級友の一人でしかなかっただろう。それがなくなるということは、つまり。

「柴島くん、あの……」

黙り込んでいたすみれが、視線は下に向けたまま小さな声で口を開いた。思わず大河は喉を鳴らした。嫌に緊張する。手に汗が滲む。

大河にとってこれは賭けだった。立木の存在で焦った結果、と言っても良いかもしれない。

すみれの回答によっては今後の己の行動を考えなければならない。嫌だと一言あれば少しは望みがあるのかもしれないが……。

「もし式神達を離しても、あたしと柴島くんは今のまま、だよね?」

「え?」

今? 今のままというのはどういうことだろうか。

「あたしたちは友達のまま、だよね」

「ともだち……」

大河は安堵したのと愕然とした気持ちが入り混じって、どういう表情を作ればいいのか分からなかった。

これは喜ぶべきなのか? 悲しむべきなのか?

「……俺としてはもっと親密に付き合っていきたいんだけど」

ボソッと呟くように、けれどはっきりとした口調で、大河は思い切って言ってみた。

パッとすみれの頬が赤く染まる。

え――?!

その反応を見て、ドキッと大河の胸が高鳴った。いやでも期待が膨らんでしまう。そういえばクリスマス・イヴに(半ば無理矢理にこじつけて)デートもしたし、最近は良い雰囲気ではなかったか。ドクドクと鼓動が早くなるのを感じた。

「あ、そ、そうだよね! フツウの友達ともちょっと違うよね! え、えーと……し、親友? って言っていいかな」

すみれは顔を赤くして、恥ずかしそうに、照れくさそうに答えた。目が右往左往としているのが見えた。

彼女もきっと緊張をしていたのだろうけれど、大河のそれとは全く違うものなのだ。

「親友……か」

トモダチ以上という意味では、賭けは勝ったことになる――のだろう……か??

「え!? 嫌だった?」

項垂れる大河に驚いたすみれは慌てて謝ろうと口を開くが、大河の指が唇の前に立ってそれを制した。

「いや、嫌じゃないよ。特別って意味だよな、親友ってのは」

「え? うん、そう……だよね。親友は特別だよね」

「じゃあいいよ。うん。親友だよね」

今はとりあえず、トモダチから昇格したということで満足しよう。

大河はそう納得して、にっこりとすみれの方に向けて微笑んだ。それを見てすみれも嬉しそうに笑顔を見せる。――今はとりあえず、すみれのこの笑顔だけでも本望だ。

すみれは大河の笑みを見てほっとした。大河があまりにも思いつめた表情を見せたので、自分は彼の望む答えを出せなかったのかと不安で焦ったのだが、間違っていなかったのだと安堵した。大河が不安だとすみれはもっと不安になる。きっと大河は知らないけれど。

≪ F I N. ≫

   

2010/1/10 up  美津希