続・告白編
生まれて初めて“告白”というものをされた。
すみれ自身もある意味では“告白”をしたのであるが、すみれが受けたのはいわゆる“愛の告白”だ。これにはさすがのすみれも参ってしまった。
こんな時、すぐに思い浮かぶのは慣れ親しんだ六合や朱雀達であるが、今彼女たちは大河の元に帰っている。
大学の友人達は立木のことをよく知っているので、相談するにも気恥ずかしさが先に立ち、事実を明かすのも躊躇われた。
散々悩んだ挙句、結局行き着く先は決まっているのだ。
自分でもワンパターンだな、と思いつつ、他に頼る者もないので意を決して近くのスタバへ誘う。
だが、この選択も間違っていたのかもしれない、と気づいたのは目の前に座る彼の表情が険しく変化したからだ。その理由は解りかねるものだったけれど。明らかに人選を誤った雰囲気はひしひしと感じていた。
「あの、変なことで呼び出してごめんね? ……でも他に相談できる人、思い浮かばなくて」
申し訳なさそうに謝るすみれは、大河から向けられる鋭い視線に怯えるように体を小さく丸めた。
「……いや」
一応否定の言葉を放ってみるものの、実際大河の腸(はらわた)は煮えくり返っていた。喉の奥で叫びだしたい衝動を抑えようとすれば、返って感情の篭らない低い声しか出ず、余計にすみれを怖がらせるだけだと分かっているのに。それでもこの腹立たしさはどうすることもできなかった。
自分の中で渦巻く黒い感情は、すみれにも、己にも、立木にも向けられ、完全に八方塞だ。嫌になる。
「それで、すみれは本当のところ、そいつのことはどう思ってるの」
なんだか別人みたいだ、とすみれは感じた。その声音はひどく冷たく、すみれの知っている大河はいつも優しかったのだが、今はその面影が見当たらない。ただ相談をしたかっただけなのに、そこまで不愉快にさせてしまったことに新たなショックを受ける。
「立木くんは良い人だよ。学年は一つ下だけど、すごくしっかりしてるし、頭も良いし」
「は!?」
「っ、え、なに、どうしたの?」
大河は思わず声を上げていた。何か、衝撃的な一言が聞こえたのだが。
驚く彼の声に、すみれも驚いた。何事かと尋ねれば、戸惑い気味な大河が「あ、あのさ」言い難そうに眉根を寄せた。
「あいつって、年下なの? 2年?」
以前美術館へ行ったときのことを思い出しながら、大河は言った。学年が違うにしてはやけに親しくなかっただろうか。思い返せば大学祭の時も、いやそれよりも前から、話を聞く限り大河はずっと同学年の人間だと思っていた。年齢にそれ程拘りがあるわけではないが、やはり学年が違うというだけで同学年に対する接し方とは異なるものだ。確かに彼はすみれよりもずっと、しっかりしているようではあるが。
「そうだけど、言ってなかったっけ」
「聞いてないよ。てか、あいつタメ口だっただろ」
とぼけている様ではないが、キョトンと小首を傾げるすみれに、大河は呆れた口調で言った。
すみれと立木が知り合ったのは昨年の4月、教職課程の講義の中で、ということだったが、ということは当時彼は入学したばかりの新入生ということだ。
しかしすみれ自身は特に気にしているふうでもなく、軽く笑って見せた。
「ああ、それね。教職課程ってやっぱり教育学部の子が中心なのよね。だから最初立木君、私のことも同じ学年の子だと思ったらしくて。私も立木君のこと年下とは思わなくて、お互いに学年が違うって気づいたの、結構経ってからだったんだ。急に敬語で話されても距離感じるし、もうタメ口でいいよ、って私が言ったんだよ」
「だからってさぁ」
しかしながら、その大雑把さもすみれらしいと言えばすみれらしい。大河は怒る気も失せて頬杖をつく。大きく溜め息を吐く。
「それで、すみれはそいつが好きなの? 付き合うの?」
大河が単刀直入に尋ねる。
すみれは困ったように俯き、ちらり、と助けを請う視線を投げかけてきた。性質(たち)の悪いことには、大河はすみれの上目遣いに滅法弱かった。条件反射のように鼓動が高まり、失われた苛立ちが再燃した。何なのだ、この役回りは。
「好き……だけど、そういうふうに考えたことはなくて……」
「だったら断ればいいよ」
大河はつい投げやりな口調で返してしまった。すみれの唇が高く結ばれ、しかし大河は何も言えず、お互いに閉口する。
大河とてすみれの考えていることは分かる。こちらがどれだけアピールしようと気づかないでいた彼女だ。こういう時どうすれば相手を傷つけないかに心を砕いているのだろう。しかしその時点で、既に相手を傷つけることになっているとは、きっとまだ気づいていない。
「すみれ」
静かに名前を呼ばれ、すみれは俯いていた顔を上げた。
そこには優しく表情を和らげた大河が居る。
「せっかくだし、デートしようか」
それはいつか聞いたものと同じセリフだった。
すみれが返事をする間もなく大河は立ち上がり、ほら、と彼女を促す。すみれは慌てて大河の後を追った。
店を出ると、商店街を抜け、コンビニの横を通り過ぎる。角を曲がると細い路地に入るが、すぐに大通りへ出た。デパートが正面に見え、右端に駐輪場があることを認めると、大河が駅へ向かっているのだと気づく。
「どこへ行くの?」
前を歩く大河へ声を掛けてみた。振り返った大河はそっと立ち止まる。
じっとすみれを見つめた大河は、彼女の問いには答えず、右手を差し出してくる。その手が有無を言わさずすみれの左手を捉える。
「手、繋ごうか」
「え」
「デートだし、ね」
「あ」
強く握られた手は、しかしすみれが本気で抵抗すれば離せる程の力加減で、それもまたデジャヴを覚えた。一度だけだったけれど、あの時のようにすみれはどうすることもできない。
大河が二枚切符を買い、一枚をすみれに渡す。すみれが代金を払おうと言っても頑として取り合ってくれなかった。
改札を通るときの数秒だけ手を離し、すみれが出てきた切符を手にするのを見計らって、大河は再び彼女の手を取った。
あの時にも思ったのだけれど。初めは恥ずかしさしかなかったこの行為も、だんだんとその温度が心地良く感じてくるのはどうしてだろうか。
ホームへ出るとタイミングよく普通電車が入ってきた。あと二分も待てば快速電車が来ると電光掲示板にはあったが、大河は構わずに普通電車へ乗り込む。休日の昼間ということもあってか、平日よりは混んでいたが、それでも二人くらいは楽に座席へ座れる余裕がある。大河はドア側へ立ち止まろうとするすみれの手を引き、座席へ腰を下ろした。しばらくしてドアが閉まり、電車が動き出す。
すみれは、どちらかと言えば優先座席は余程空いている時でなければ、避ける人間だ。しかし大河は違うのだな、とどうでもいいことを思い、感心した。何を話すでもなく、隣に座る大河は目を閉じ、心地良さそうに揺られていた。
すみれもしばらくは窓の外に流れる景色を眺めていたが、一定のリズムで揺れる車内で、だんだんと瞼が重くなってきた。目的地が分からないので、黙って気を張っているよりは素直に眠ってしまった方が良いような気もして、そっと目を閉じる。意識が深い底へ落ちていくように感じると、頭が重くなっていき、そっと大河の肩に乗せた。大河が何も反応しないのを確かめると、いよいよ意識は暗闇へと沈んでいくのだ。
頭を撫でるように叩かれ、目を開ければ大河がこちらの顔を覗きこんでいた。
「次、降りるよ」
大河の言葉に従って立ち上がり、ドアの方へと向かう。ホームへ降りれば、そこは知らない駅だった――当然のことながら。普段使っている路線とも違うからか、駅名を見てもぴんと来なかった。
見渡せば確かに快速電車は止まりそうもない小さな駅で、駅前だというのに目立った繁華街も見当たらず、すぐにでも住宅街へ続いているような場所だ。時間帯のせいか、車の通りもほとんどなく、通行人も見当たらない。正直、ここに何があるというのか、すみれは全く見当も付かない。けれどやはり大河は一言も話さず、すみれの手を引いていく。
「どこまで行くの?」
耐えかねて再び尋ねれば、大河はにっこりと微笑んで答えた。
「あと二十分くらい歩くかな。何もない所で驚いた?」
すみれはコクンと頷く。やっぱり、と大河は笑う。
「俺のじいちゃんちがこの近くでさ。中学に上がる前まではよくここに来て遊んでたんだよ」
懐かしそうに話す大河を見やり、そういえば、とすみれは改めて彼のことをよく知らないことに気づいた。特に大河が転校してくる前の話は、鬼頭のこと以外は詳しく聞いたことがないし、率先して話してくれたこともない。
「その時に式神のことも色々教えてくれた。じいちゃん、母方のなんだけど、母親はそっち方面の才能なくて。だから普通のサラリーマンの親父と結婚して家出たわけ。でもいずれは、俺がじいちゃんの跡を継ごうかなって考えてるんだ」
それは初めて聞く、告白だった。
「継ぐって、……厄師、のことだよね」
答えはそれしかないと分かっていながら、すみれは尋ねた。大河は躊躇いもなく頷く。
「出会った頃に俺が、厄師と薬師は通じるものがある、って言ったの覚えてる?」
「うん」
大河は視線を移し、すみれが頷いたのを確かめてから言葉を続けた。
「実際似たようなものなんだよね。薬師はもちろん、今で言う薬剤師なんだけど。相手が人間か厄かの違いだけだし」
すみれは、まだ大河が施してくれた“おまじない”の意味も分かっていなかった時に、同じような言葉で説明してくれたのを思い出す。
「ただ厄ってのは人に憑いて生きるものだから、大学に入って薬剤師の資格を取ることにしたんだ。それはそれで、納得できるんだけど、俺としては並行して式神の勉強もしたい。すみれの時みたいな長期戦、何度もできることじゃないしね」
アレだって本当は、大河や彼の式神たちだけの力だけではどうにもできなかったのだ。そう思うと己の力の無さが歯痒くて仕方ない。大河は胸の内で溜め息を漏らし、気を取り直す。
「だから今年の夏は、休みを利用して集中的に篭ってみようかな、なんてね。計画中」
口調は至って真剣だったけれど、大河は大げさに笑顔を浮かべておどけて見せた。
「その前にじいちゃんを説得しないと、なんだけど」
「おじいさんは反対してるの?」
「いや、どっちかていうと賛成派。ただどっちつかずってのが大嫌いな人だから、大学に行っている間は薬学の方にだけ集中しろって言いそうで」
そうこうしている内に住宅街を歩いていた二人は、いつの間にか随分と奥の方まで進んでいたらしい。あと数メートルで直線だった道がT字路に分かれていた。その奥は小さな山というか、雑木林のように無造作に木々が生い茂っていた。大河は突き当りまで行くと、T字路を左に曲がる。そこから僅かもしない内にまた右に小さな道ができていて、そちらへ進むと緩やかな上り坂になっていた。
春先の暖かな風が吹くたびに、右隣の雑木林からざわざわと葉の擦れる音が聞こえ、耳に心地良く響く。
坂道をだいぶ登ったところで道が大きく開かれてきた。再び分かれ道が現れれば、不意に大河が立ち止まった。
「ここ。目的地」
大河は左手で指を差す。彼の長い人差し指は古びた鳥居を指していた。
「神社?」
すみれが確かめるように呟く。正しく目の前にあるのはそれだった。数十段ある石段を登れば、大きくは無い社が見えてくる。
ベンチなどがないので、大河は境内へと腰を下ろし、繋いでいた手を引っ張り、すみれにも隣へ座らせた。
手は一向に離される気配を見せない。大河がすみれの手を離したのは改札を通るときの2回だけだ。
「ここは初めて式神を召喚出来た場所なんだ」
ふと大河はそんなことを言って、真意を見せない視線を空へ向けた。
「で、迷ったり辛かったり、考えることが面倒になったら、よくここへ逃げ込んでた」
「……」
すみれは大河の横顔を見つめていたが、ゆっくりと彼の見つめる先へと視線を移動させた。この神社は小高い山の上に建っているようで、座っていても僅かに駅までの景色が下の方に広がっているのが見えた。もう少し駅前が賑わった町並みをしていれば、夜はさぞや綺麗な光景が広がるのだろう、と想像できる。
確かに、周りの人工的な雑音もなく、風に揺らぐ木々のざわめきを耳にしながら曖昧に広がる景色を眺めていれば、心が休まるような気がした。だからなぜ大河がここへ連れて来てくれたのか、すみれは理解できた。
けれど、すみれの心は既に決まっていた。
すみれの手を包む大河の大きな掌。その温もりを感じながら、そっと握り締める指に力を込める。
きっと大河が厄師のことを話してくれた時に、自分の心は決まっていたのだ、とすみれは思う。
私は、立木君を選ぶことは、――できない。
できない。
ただそのことを、大河に伝えることは、とうとうなかったのだけれど。
≪ F I N. ≫
2010/5/05 up 美津希