天つ神のおまじない

50万打御礼記念企画・リクエスト作品

大学祭編 another


すみれが大河の通う大学へ行くのは初めてのことだった。幸い最寄の駅から大学までは学生らしい人間がたくさんおり、彼らの後へ付いて行けば良かったので迷うことは無かった。

「本当は迎えに行けたら良かったんだけど」

夏休みが開けてすぐに行なわれる学祭に誘った大河は、ひどく残念そうにそう言って、待ち合わせ場所を記したメモを渡した。すみれはそんな大河を特に気にするでもなく「平気だよ」と笑う。何かにつけて大河は心配が過ぎるのだ、とすみれは常々思っていた。それは高校の時に出会ったきっかけが、偶然ではなく必然的だったことによるのだろうけれど、既にあれから1年が経っている。この1年は嘘の様に穏やかで平和で、それでも尚気遣ってくれる大河の優しさに甘えていた。

「午前中は手伝いがあるから、昼から一緒に回ろう」

にっこりと笑って誘ってきてくれた大河に、すみれは断るはずもなかった。他の大学へ行く機会などそうそう無いので好奇心が煽られた。何より大河のからの誘いを断るという選択肢自体、よっぽどのことがなければすみれの中に存在していない。すみれ自身驚くべきことだったが、この1年で“友人”として大河は、すみれにとって誰よりも大切な存在となっていた。

「あ、あれ大河じゃない?」

大学の正門を潜り、受付場所が設置されてある本館の前を通り過ぎたとき、不意に六合の声がした。ふと前を見ればペイントされたTシャツを着る大河の姿が見える。自然とすみれは笑みを浮かべた。

すみれが近づくと大河もようやくこちらに気づいたようで、足早に駆け寄ってきてくれた。

「思ったよりも早かったね。迷わなかった?」

「うん。分かりやすかったよ。駅からも近かったし」

すぐに頷いて答えるすみれを見て、大河は安堵の笑みを浮かべる。万が一迷うようなことがあっても六合達がついているので心配はしていなかったが、それでも実際にすみれの姿を見るまでは気になって仕方が無かったのだ。厄のことは既に解決したと言っても良いのだが、大河が気に病む理由はそればかりではない。

「柴島くんは? まだ12時にはなってないけど」

午前中は手伝いがあると言っていたから、せめて昼ごはんを食べる頃になるまでは一緒に居られないだろうと思っていた。すみれこそ、少しばかり早い時間にこうして外へ出てきている大河を見て、首を傾げながら尋ねた。

「ん。ちょっと早めに抜けさせてもらったんだ。そんなに混んでなかったし」

それよりも先に昼ご飯食べようか、と大河は言った。ならば気にすることでもないのだと判断し、すみれは「そうだね」とぐるりと周りを見渡した。

奥に行けばもっと屋台や出店はあるのだろうが、入り口付近のここでもかなりの屋台が出ている。それら全てが学生によるものだということは分かる。簡単に摘むくらいのものならここで買うのも良いだろうと思った。少し早いといっても食堂はさすがに混み合っていそうだ。

「あたし、お好み焼きがいいな」

一角にある屋台を指差してすみれが言えば、大河は「分かった」と頷いてそちらへ向かう。すみれもそのあとに続く。

「柴島くんもお好み焼きにするの?」

数人の列に並びながらすみれが聞く。そうだな、と考えてから大河は隣の屋台へと視線をずらした。

「俺は焼きそばにしようかな」

どうせなら違うものを買って分け合うのも良いかも知れない。すみれは恥ずかしがるかもしれないが、それを口実に「あーん」と食べさせることができれば……とも大河は平然とした表情で考えていた。もちろんそれをすみれに気づかせることはなく、己の妄想として留めておくつもりだ。今まで何度か二人で食べに行ったことはあるが、食べ物を分け与えるという行為をしたことは一度もない。

変に距離を近づけて困られても、嫌だし――。大河がそんなふうに思考を巡らせているうちに順番が回ってきた。

「お好み焼き一つ」

いらっしゃいませ! と元気に声を上げた女子学生に大河が注文する。「一つですね」と答えた彼女はふと顔を上げ、一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔になった。

「って、大河君じゃん! あれ、彼女?」

どうやら大河の知り合いらしく、手を動かしながらも親しげに声を掛けてきた。横にいるすみれを見て尋ねた彼女は悪戯っぽい笑みを向ける。

「……友達。高校の同級生なんだ」

少し間を置いて大河は答えた。さすがにすみれ本人の前で言うのは心的に厳しいものがあったが、顔に出さないことには慣れている。

「へぇ。大河君が友達呼んで来るとは思わなかった」

「どういう意味だよ?」

「いや、だって大河君の高校時代の話聞いてたら、友達居なかったんじゃないかと思ってたから」

ズバズバと言いながら笑い飛ばす彼女に、大河は呆れたように息を吐いた。

「失礼な奴だな」

「ごめんごめん。お詫びにソースとマヨネーズをたっぷりかけてあげるから」

そう言って彼女は本当にソースとマヨネーズを溢れんばかりに掛けていく。さぞ濃い味のお好み焼きになっただろうな、とすみれは僅かに顔を顰めた。

「ばか、入れすぎ。これ俺が食うんじゃないんだよ」

すみれの僅かな表情の変化にも目敏い大河は、内心大きく舌打ちをし、すぐに非難の声を上げた。彼女はてっきり注文してきた大河の分だとばかり思っていたのだろう。思い切り目を丸くした。

「え、そうなの? うわ、すみません! もう一個用意しますから!」

慌ててもう一つの皿を持ってくると、今度は適度なソースとマヨネーズを掛け、心ばかり鰹節を多く乗せたものをすみれに渡す。

「こっちはサービスってことで。400円です」

一つ分の金額を言った彼女に大河は頷き、自分の財布から500円玉を取り出した。

「100円のお釣りね。はい。ありがとうございました!」

彼女はすみれにもにっこりと微笑んでペコリと頭を下げた。すみれも釣られて笑みを返し、先に歩き出した大河の後を追う。ちらりと後ろを振り返れば、既に別の客を相手にしている彼女の笑顔が見えた。

(大学では「大河君」って呼ばれてるんだ……。なんだか新鮮かも)

すみれの高校では大抵、女子は男子を名字で呼ぶのが普通だったし、すみれの通う大学でも名前で呼び合う異性同士というのはあまり見かけないので、女子学生が名前で呼んでいることはとても特別なことのように思えた。しかし大河自身は特にそれを何とも思っていないふうだったから、今はそれが当たり前のことなんだろう。そもそも大河が呼び方一つに拘るような性格でもないのかもしれない。それが一番納得できるような気がして、けれどどこか引っかかるのはなぜだろうか、とすみれは内心頭を捻る。

大河が食べたいと言った焼きそばは、すぐ近くで売られていた。

焼きそばを一つ買った大河は、中庭にあるベンチで食べようと提案してきた。大河の大学のことなので、どこに何があるか分からないすみれは、その提案に賛成するしかない。かくして中庭は、日当たりも良い人気スポットだということを知った。

運良く一つのベンチに座れた大河は、予定外に手に入ったお好み焼きと、焼きそばを開ける。

「二つとも食べるの?」

大河の隣に座ったすみれは、そっと覗き込むようにして尋ねた。大河も男なのだからこれくらいの量は朝飯前だとは思うが、すみれは微かに眉根を寄せて表情を歪ませた。

「うーん、それでもいいけど。天空、お前食べるか?」

ベンチの背中側に振り向いた大河がそう言えば、いつの間にか姿を現していた天空がキラキラと目を輝かせてそこに座っていた。

「天空が食べるの?」

すみれも体を捻って天空に向き合えば、へへ、と笑う天空がソースとマヨネーズたっぷりのお好み焼きを受け取る。

「別に式神は食べなくても死にやしないんだけど、オレはけっこう食うことは好きなんだ」

「まぁそういうことだ。俺達も食べよう、すみれ」

大河が声を掛けて、すみれは天空から向き直るように座りなおした。

パックを開ければ温かなお好み焼きの上で鰹節が舞っている。端は僅かに焦げており、その匂いからも食欲が刺激される。何てことはない、見慣れた普通のお好み焼きなのだけれど、すみれは暫くそれを眺めていた。

「すみれ? 食べないの?」

「ううん、食べる。いただきます」

小さく手を合わせて割り箸を割る。一口食べれば、期待していたとおりの美味しさだった。

すみれがお好み焼きを口に運んだのを見届けてから、大河も焼きそばを食べた。二口目にさしかかろうとした時、ふと視線を感じた。

隣に目をやれば、正しくすみれがこちらを見ている。

「柴島くんの焼きそばも美味しそうだね。一口貰ってもいい?」

屈託の無い笑みで言われれば、大河は珍しいすみれの言動に驚きつつも喜びを隠せない。ふっと微笑んで焼きそばを差し出す。

「じゃあお好み焼きも一口貰っていい?」

「イヤ。あげない」

「え?」

まさか断られるとは思ってもみなかった大河は驚いてすみれを見る。滅多なことでは否の言葉は出さないすみれが、こうもはっきりと拒否するとは思わなかった。驚き、ショックというよりも戸惑いの方が大きい。大河はまじまじとすみれを見つめた。

訝しげに見る大河の反応に満足したすみれは、ふふ、と笑ってお好み焼きを大河の方に向けた。

「嘘。食べていいよ。あ、お金はあとで払うから、忘れないでね」

唐突にお好み焼きの代金を大河に払ってもらっていたことを思い出したすみれは、食べ終えたら返すから、と言って大河の持つ焼きそばに箸を伸ばした。

「うん。焼きそばも美味しい」

未だ不思議そうに自分を見ている大河の視線に、すみれは少し心が晴れたような気がした。今なら天空の悪戯好きが理解できそうだった。どうして大河に意地悪をしてみたくなったのか、自分自身でも謎のままだが、たまには良いかもしれない。

「食べないの?」

一度大河に言われた言葉を、今度はすみれが口にする。慌てて「食べる!」と返事する大河が可笑しくて、すみれは「ふふっ」と声を上げて笑った。

≪ F I N. ≫

   

2010/09/05 up  美津希