天つ神のおまじない

完結編・プロローグ

決断編


――大河にとってすみれは最初から特別だった。



祖父に“見得ざる物を見る目”があることを知ったのは小学校に上がる少し前だ。家族で祖父の家に泊まった夜、金縛りにあった大河を助けたのが祖父だった。重く圧し掛かる存在を消してくれた祖父は、当時夢中になって観ていたテレビの中のヒーローに見えた。そして、怯える大河に祖父が御伽噺を読み聞かせるように、“見得ざる物”の話をしてくれた。それは、ファンタジーにしては地味で恐ろしく、怪談としては滑稽すぎる、とても奇妙で不思議な物語のようだった。

大河がはっきりとその話を意識したのは、小学校4,5学年の頃、己にもその“目”が備わっていると知った時だ。きっかけはやはり祖父の家で起きた出来事だった。

当時はまだ祖母が生きていた。癌に侵され呆気なく逝ってしまう2年前、足の関節の痛みが酷いと苦笑する祖母のそこに、異様なものを見た。

驚愕と恐怖と、誰もそれに気づいた様子を見せない異常さに固まってしまった大河は、咄嗟に祖父を呼んだ。なぜそうしたのかは分からない。けれど近くにいた母や父ではなく、別の部屋で寛いでいた祖父を選んだのは、金縛りにあった時に聞いた話をどこかで覚えていたからかもしれない。その時は“見得ざる物”が何か理解していなかったが、実際に“それ”を見た時、大河の頭には祖父の姿しか浮かばなかった。慌てて部屋を飛び出した大河を、祖母たちはどんな表情で見ていたのだろう。今でも知る術はない。

そうして異様なもの撃退した祖父はやはりヒーローのようで、もし出来るのならば、自分もそうでありたいと思った。

その一連は当然のことながら家族の目の前で行なわれ、祖父を初めとした皆が、大河のその力を認めざるを得なかった。

中学に上がる頃、既に大河は“見得ざる物”が何であるかを知っていた。そして祖父が全国でも数少ない“厄師”と呼ばれる特別な能力者であることも理解していた。大河のように親族間で複数の人間にその能力が現れるのは珍しいわけではないが、本来厄師が持つ“目”は血縁に関係なく、それ自体が突然変異であるらしい。ある時代では崇められ、ある時代では疎まれた。厄師が表の世界で知られなかったのは、疎まれた時代があまりにも長かったからだ。……そういったそれら全ての知識は祖父が与えてくれたものだった。

式神の存在を知ったのもその頃で、大河はすぐに夢中になった。厄と戦う式神、という構図に、いよいよ本物のヒーローに近づいたと興奮した。熱心に祖父の元へ通い、もともと才能が秀でていたのか最初の式神を召喚できるまでにそう時間はかからなかった。

しかしそんな大河を祖父は諌めた。

「式神は厄師の手駒ではない」

祖父の言うことは尤もだと頷いたが、当時の大河がどこまで理解していたのか、自分でもよく分からない。ただ、祖父はそれ以上に怪訝な顔をしていたことを覚えている。当時はそれを見て心外だと憤慨した。信用していないのかと腹立ったりもした。人間に無関心で、服従することに一番抵抗を示した騰蛇を召喚できたことで、式神に厄師として認められた自分によっぽど自信があったからかもしれない。

高校に上がった時には、小さいながらも厄師の真似事のように、厄を見つけてはそれを排除していった。祖父にそう動けと言われたことは一度もない。式神に慣れるためだと己に課して、動ける範囲を徐々に広めていったのは大河の判断だ。正月や盆の度に祖父の家へ行っては、祖父から遠回しに忠告されたが、大河は聞かなかった。その頃にはもう、札も無く式神を自由に呼び出せる力を身に付けていた。そういった自信が、祖父の懸念していたことだと気づかなかった。

鬼頭の存在を知ったのは高校2年になった春だ。ここ最近、厄の動きが活発になっていたことには気づいていたが、その要因は掴めないままだった。そんな時に玄武から、厄というには大きすぎる力を感じる、と報告が来た。それからすぐに、鬼頭から近づいてきたのだ。

大河は初めて、祖父に秘密を作る。鬼頭のことを祖父が気づいていないわけはなかったが、大河から鬼頭の話を振ることはしなかった。勿論、鬼頭と直接会ったなどと言える筈もない。だから鬼頭の後を追うことは難しかった。

すみれの存在を知ったのもその頃だ。何が気に入ったのか、鬼頭の気配を追うたびに一人の少女の姿があった。――それがすみれだ。大河にとって初めて具体的に見た“救うべき対象”だった。


すみれは最初から特別だった。幼い頃に思い描いた、ヒーローが守るべきヒロインとしては、あまりにも状況として相応しい。絶対に怯えさせてはいけない、と勝手な枷を己に課して、初めて人に優しく接した。“おまじない”と称して式神を全てすみれに託したのは、そういった自己満足のための優しさと、式神を全て離しても守りきれると過信したエゴに他ならない。

それが徐々に変わっていったのはいつからだったか、大河は気づかなかった。それでもはっきりと、今までとは全く違う感情の片鱗を覚えたのは、高校3年の夏だ。今でもはっきりと思い出せる。

学校行事として有志で集まったボランティア活動の中、目の前ですみれが海に攫われた。あの時の恐怖は、幼少の頃にあった金縛りの時に感じたそれとは比べ物にならない。そして彼女を救ったのは己ではなく、青龍だという現実が大河を襲う。本来式神はそういう役割を持ったものだ。青龍がしたことは当然だった。けれどそれを納得していない自分がいる、ということに打ちひしがれた。同時に、それでも息をするすみれを確かめ、安堵したのも事実だ。

おそらく、すみれを“救うべき対象”ではなく一人の人間として意識した、初めての出来事だったのだろう。それからすみれを見る自分の目が変わっていくのを、大河は自覚せざるを得なくなっていく。

いつしか一人の人間から、一人の女性へと意識していることへ気づいたのは、奇しくも鬼頭が嘲う戦いの中でだった。今度こそ本当に、目の前ですみれを失くしてしまうという状況に陥って初めて、自分の中での存在の大きさに気づかされた。


鬼頭が姿を消した後こそ、大河にとっては本当の戦いだった。厄相手ならばその対処法も数え切れないほどの経験で身に付けてはいたものの、こと恋愛に関しては無知すぎた。己の他とは違う能力を自覚してからは、その力を自分のものにすることで精一杯で、思春期の友人のように色恋沙汰に没頭することなどなかったからだ。少しは話を聞いておけば良かったと思ったことは一度だけではない。

それでも築いた関係を壊すことはないように、式神は憑けたままにした。それだけがすみれと繋がっていられる唯一の手段だと思った。すみれに課せられる負担など、その時は考えもしなかった。

すみれが好きだ。

会うたびに、話すたびに膨れ上がっていくこの感情に、戸惑いを隠せなかった。けれどそれ以上に、大切にしたいと願った。

そしてふと思うのだ。すみれにとって自分はどのような存在なのだろうか。

普通の友人とは違う、特別な関係だとすみれも思ってくれていることは嬉しかった。それでも友人の枠から外れることが出来ない“親友”という言葉に、ショックを受けなかったといえば嘘になる。そんなものでは物足りないと叫びそうになった。

そして、追い討ちをかけるように現れた恋敵の存在が、大河を追い詰めた。名前は立木という、一学年下の男だ。その頃から自分がおかしくなっていくのが分かった。嫉妬に狂った男は見苦しいと言うけれど、まさに今の自分がそれなのだと気づくのに時間はかからない。立木が現れなければ、すみれが大学を卒業するまでには、と暢気に構えていた自分の甘さに叱咤した。

そうではない。そうじゃない。結局は現状に胡坐を掻いていた己の傲慢さを立木の所為にしたかっただけなのだ。すみれと自分を繋いでいたものが“普通”とは違ったから、普通と違うということは特別だと思い込んでいたからだ。“普通ではない”ということと“特別”であるということは、決してイコールでは結ばれないのだと知ったショックを、全て立木の所為にしただけだ。

いつかすみれとの関係が変わるのならば、せめてそれは自分の手で齎(もたら)したかった。ずるいかもしれないが、第三者の手によって二人の関係に変化が生まれることを、大河はどうしても避けたかった。

すみれが好きだ。でも、それだけではどうにもならないこともある。

厄師として一生を生きていくのなら、きっとここが分岐点だ。いつまでもすみれに式神を憑けているわけにはいかない。そんなことは鬼頭が姿を見せなくなってから分かっていたことだ。それを約3年もの間、先延ばししていた。

それも、もう限界なのかもしれない。厄も憑いていないのに式神を十二も憑けているすみれは、大河のように能力者というわけでもない。そんな人間の体がどうなるか、大河はまだ見たことはないが、少なくとも無自覚であるうちに開放してあげなければいけないということは、分かりすぎていた。――そして一番の限界は、すみれに対する己の恋情だ。

好きだ。好きだ。好きだ。好きだ……。どうしてこんなに想ってしまうのか分からないくらい、好きなんだ。

だから、もう、彼女から離れなければいけない。そうでなければ、きっと自分が自分でなくなってしまう。昔憧れたヒーローは、こんなに情けない姿だったろうか。

≪ F I N. ≫

   

2010/11/28 up  美津希