Te amo

7


 入院していると言っていた彼は、いつも公衆電話から電話をくれていた。ケータイは事故の時に壊れてそのままだという。彼は私に病院の名前どころか事故の現場さえ教えてくれなかった。あまり話したくなさそうにする彼に無理に聞くこともできなくて、一度めに聞いてからは、私もあえてその話は避けることにした。
『どう、調子は?』
 まるで私が聞くことをわざと先回りしているみたいに、彼はいつも開口一番にそう言う。
「変わらずだよ。そっちは?」
 私が問い返すと、電話の向こうで彼は苦笑する。ハハッと乾いた声が聞こえてくる。リハビリが大変だと一度だけ言っていたから、なかなか上手く出来ないのだろう。……何をしているのか具体的には知らないけれど。
「いつ退院できるの?」
 バカの一つ覚えのように、私は何度したか分からない質問を繰り返す。
『まだ分かんねぇよ』
 彼もまた、変わることのない答えを返す。その度に私は胸が引きつるような、のどが詰まりそうな感覚に襲われる。泣きたくなるのを我慢して平気なフリを続けるのは、辛い。
『じゃあ時間だから』
 彼との電話はいつも2、3分。短いのか長いのか分からない、けれど彼と私を繋ぐ唯一の、かけがえのない貴重な時間は、彼からしか始まらないようにやはり彼から終わりを告げる。
「うん。……今度はいつ電話してくれるの?」
『来週の今日かな。こっちはこっちで結構忙しいんだよ』
「そう。わかった。待ってるね」
『当然だろ。じゃあな』
 いつもと同じ会話と、いつもと同じ終わり方。
 ケータイを閉じた後は、私の涙は止め処なく流れるだけだった。
 私は待っているのだ。彼が私の前に現れてくれるのを。どんな形であってもいいから電話じゃなく、声だけを聞くだけじゃなくて、彼の姿を見れる日をずっと待っているのだ。

 彼自身から事故に遭ったと告げられた日、彼は病院名を教えてくれなかったから、私は自分で調べてみようと思った。教えられなかったからといって「はいそうですか」と引き下がるのは嫌だった。これ以上都合のいい女になるのはゴメンだった。突然お見舞いに行って驚かせてやろうと思った。彼が嬉しく思ってくれるのか迷惑がられるのか分からないけれど――私が会いたかった。
 マモちゃんを通したりして色々聞きまわっていくとすぐ、彼の事故のことについて分かった。やはり彼は他の女性と一緒に居て、私のお金を待っていたらしい。その間もブラブラと街を歩いていて、あるコンビニの近くまで来たとき、急に車が突っ込んできたのだそうだ。そのコンビニの角が死角になっていて、そこから曲がってきた車が一時停止もなく進んだせいだろう。そして彼は彼女の通報により病院に運ばれ――。

 意識不明の重体。
 今も生死の境を彷徨っているという。

 彼は知らないのだ。私が彼のことを知っているということを、知らないでいる。

 彼の容態を聞いたとき、ぞっとした。じゃあ事故の直後公衆電話から私のケータイに電話をしてきた“彼”は誰だったというのか。遠野紀也ではなかったのか?
 答えは「NO」だ。これだけは誰に聞かなくても断言できる。“彼”は遠野先輩本人だった。
 たぶん俗に言う“幽体離脱”とか“生霊”とか、そういう類のものだと思う。オカルトに詳しいわけではないからよく分からないけれど、彼は半分幽霊なんだと思う。私はテレビで特集をやっていてもあまり信じない方で、興味もなかったのだけど、たぶんそうだ。具合について口ごもる理由も、それで説明がつく気がした。
 だから余計に悲しかった。泣くのを止められなかった。
 そんなになってまで私に執着する彼が怖いとも思った。
 どうして私に電話をくれるの? 私に何を言ってほしいの?
 マモちゃんに相談しようかと思ったのも一度や二度のことじゃない。でも結局できずにいた。マモちゃんに電話のことを話したと彼に知られるのが怖いと思ったし、何よりマモちゃんに話すことは彼を裏切ることになる気がしたのだ。なぜだかは分からないけれど……。
 それに自分の気持ちをマモちゃんに話すのが一番怖かった。
 本当の私はとても恐ろしくて、醜くて、それを知られるのが嫌だった。
 マモちゃんには汚いところをたくさん見られている私だけど、心の奥底にあるドロドロとした感情までは見せたくなかった。誰よりもマモちゃんに、嫌われたくなかった。
 いっそのことキレイに死んでくれても良かったのに。
 一瞬でもそんなことを思ってしまった私を、知られたくなかった。
 自分を許せなかった。