Te amo
 -side T-

4


 あの頃の俺は自分勝手で、なんとなくやりたいように出来ていたから、世界は自分を中心に回っている気がしていた。
 ただそれはそう見えているだけの、狭い世界の中だけだということを知らなかったのだ。
「お前のファンがあの子の友達にヤったみたいだぜ」
 後藤が慌てて教室に入ってきたかと思えば、俺の席にすっ飛んできてそんなことを言った。俺は机の上に脚を乗っけたまま、見ていた雑誌から目を離すことなくそれを聞いた。
「ふぅん」
 一言だけ呟いて、次のページを捲る。
「ってオイ、少しは驚けよ。動揺しろよ。遠野のお気に入りのミノリちゃんだぞ」
「勝手に名前で呼ぶな」
 ようやく顔を上げた俺を、後藤は少し怒った顔で見下ろしていた。
「ソレ、実莉がやられたわけじゃないんだろ?」
「お前なぁっ」
 後藤が叫びそうになったのを制したのは佐島だった。後藤の肩を引いて、佐島も俺を見下ろす。
「最低だな、遠野」
 その軽蔑するような視線に、さすがの俺もむかついてきた。なんだって佐島にまで言われなきゃならねえんだよ。女一人口説けない奴に、そんな眼で見られなきゃならないんだ。
 机の上に乗せていた足を下ろして雑誌も投げ捨てるように机に叩き付けた。
「ウザイ」
 俺は実莉が大丈夫なら他はどうなったって良いんだ。俺自身がどうなったて構わない。
 そこまで思ってる自分に気づいて、何となく分かった。
 ああ、これが――。

 教室を出てブラブラと歩いていると、実莉と会った。明らかに俺から視線を逸らすその様子で、ついさっき聞いたばかりの情報が頭の中に浮かび上がった。
「実莉ちゃん、最近俺のこと避けてるでしょ?」
 いつもの調子で声を掛ける。それだけのことに彼女は肩を揺らして驚いた。ニコニコと笑う俺の笑顔を、困惑した表情で見上げる彼女の目は、確かに不安の色を見せている。やはり後藤が仕入れてきた友達の件はその通りらしい。
「何かされた?」
 でもあくまで俺の基準は実莉だ。他のやつのことはどうだっていい。
 そんな感情を押し隠して俺は優しい先輩になりきる。
 すると戸惑った様子を見せていた実莉の目からぽろぽろと涙が溢れてきた。声も出さずに静かに流すその涙は、今まで付き合ってきたカノジョの誰も見せた事のないようなもので、俺はすっかり困り果てた。どう対処していいか分からない。黙ったまま、俯いたまま、だけどその涙を止めることも知らない実莉に俺が出来ることと言えば、優しい言葉を掛けることと髪を撫でることくらいしか思いつかなかった。
「まぁ、色々あるけどさ、人生にはね。でも実莉ちゃんが落ち込む姿は見たくないんだよ、俺は。だから困ってどうしようもなくなった時は遠慮なく連絡して? 電話でもメールでも良いからさ。そしたら俺が一番に駆けつけて助けるから。な?」
 我ながら上出来だと思った。さり気なく連絡先を知ることが出来たこともそうだし、何より警戒しがちだった実莉の視線がすっかり変わっていることに気づいた。
 俺は彼女の信頼を得ることが出来たようだ。
 それでも俺は、俺たちは、ゆっくりとしたペースを保っていた。本当に俺らしくなく、だから後藤でさえその変化に気づかなかった。

 俺が実莉と付き合うようになったのは、俺の卒業式の日に俺が告白したからだ。
「卒業おめでとうございます」
 そう言って差し出された花束を俺は受け取って、嬉しさからか自然と笑みが浮かぶ。
「ありがとう」
 こんなに素直なお礼の言葉が出てきたのは初めてだった。そんな自分に驚きつつも嫌な感じはなかった。むしろ心地良くて、きっとこれがカオリなんかだったら、こんなにさわやかな気持ちにはならなかったと思う。
 気持ちよくなった俺は花束と共に実莉の体も包み込む。初めて抱きしめた実莉の身体は雰囲気と同じようにふんわりと優しい感触がした。柄にも無く胸が高鳴る。
「俺の彼女にならない?」
 いつになく緊張した声は、しっかりと実莉の耳に届いただろう。何人かの女と付き合ってきた俺だけど、俺からこんなに真剣に告白したのは初めてかもしれない。全てが初めてづくしだ……。
 けどこういうのも、悪くない。

「そういうの、紀也っぽくなーい」
 そう言って笑う目の前の女は飯塚香。佐島の思い人だったヤツであり、俺の恋人だったヤツだ。実莉と付き合うようになっても俺はカオリとは別れの言葉を交わさなかった。そうしてたまにこんなふうに会って、話して、時々抱いたりする。でも既に恋人なんていう甘い関係ではなくなっていて、何でも話せる女友達と言った方がしっくりくる関係だ。もともと友達の延長線みたいな関わり方しかしていなかったから、今更って感じもするが。
「なんだよ、それ。俺はもともと一途なの」
 だから俺も笑って返す。俺もらしくないって意見には賛成だ。確かに一途とか純粋ということにはあまり縁がない。
「でも彼氏にするならそれくらい思われたいわね」
「佐島はどうなんだ? アイツは優しいと思うけど」
 ふと思い出して聞いてみた。するとカオリもらしくない、女っぽい表情を浮かべて微笑んだ。
「優しいわよ、誰かと違って。さり気なく労わってくれるしぃ、気遣ってくれるしぃ」
 こいつはこいつで上手くやっているらしい。俺は俺を睨む佐島の表情を思い出してニヤリと笑みを浮かべてみる。
「でも物足りないから俺とも会ってるんじゃねぇの?」
「あら、そんなことないから。っていうかそれって紀也の方なんじゃないのー?」
 予想外の答えに俺は可笑しくなって声を立てて笑った。やっぱ面白い、コイツと居ると。
「俺は怖がりなだけだよ」
 それだけを言って席を立つ。カオリも後に続けて立ち上がり、1時間ほど居た店を出た。辺りはかなり暗くなり、もう夕時と呼ばれる時間帯は過ぎていた。
「今日はお前んち行ける?」
「ダメ。ホテルで良いじゃん」
 そう言って俺たちは手も繋がずに夜の道を進んでいく。