Te amo
 -side T-

7


 実莉との電話を切ったあと、俺はロビーのソファに座って考えることにした。
 さて、これからどうしようか。どうすればいいんだろうか。
 そういやカオリはどうしたんだろう。俺が車にぶつかった時、カオリもその場に居たんだ。たぶん救急車を呼んでくれたのはカオリのはずだし。さっき実莉に電話を掛けられたんだ、カオリにも掛けられるだろう。
 俺はそう思い立つとさっそく公衆電話の前へ再びやって来た。だが、一番肝心なことを忘れていた。
――番号知らねぇや。
 実莉のケー番は俺のケータイの発信履歴や着信履歴に並んでいて何度も見ていたから覚えていたけど、カオリや後藤や他のやつらの番号は覚えていない。
 念力でどうにかなるかと、受話器を握り締めてやってみたけど、世の中そんなに甘いもんじゃなかった。そうしている内に受話器を握り締めていることもバカらしく思えてきて、俺はもう一度ソファに座りなおすことにした。どかっと深く座り込む。俺はユウレイで実体の無いもんだから、座ったといってもソファのクッションが沈むという事もない。だけど、硬い感触というのは分かった。病院のソファというのはどうやら座り心地の悪い素材なんだと相場が決まっているらしい。
 意外に自分が冷静でいることを認識する。こんな非現実的なことが起こっているというのに、人間ってのは順応性があるというのだろうか。それともパニックを起こしていることに気づいていないだけの事なんだろうか。そんなことを考える自分に俺は苦笑する。今は自分が冷静かそうじゃないかなんて、大した問題じゃないのに、何を真剣になっているんだろう。
 とにかく考えないといけないのはこれからのことだ。ユウレイとなってる俺に未来なんかあるのかは知らないが、このまま浮遊しているわけにもいかないだろう。第一、まだ死にたくない、俺は。何も言わないまま、できないままで、消えてしまうのは嫌だ。
 思え返せば俺の人生、何もなかった気がする。大学に入るまでは何の苦労もせずに生きてこれたから、特に頑張るという事もせず、達成感というのにも縁が無かった。振り返るとそのことに少し寂しく思う。勉強もスポーツも女も、なんとなくやってきた。大学も結構有名な、難しいと言われるとこだったけど、一般入試で難なく合格できた。結局あんまり楽しいことも無く、行くこともなかったから中退したけど、それに関しては悔いなんて残るはずが無かった。何が勉強したいわけでもなかったし。
 諦めたくないことは特になかった。必死で守りたいものなんて持っていなかった。高校時代、佐島に軽蔑されようと罵られようと、俺には関係ないことだと思ってきた。他人が下す評価に興味は無かった。だからカオリのことだって……。
 けど実莉は違ったっけ。実莉のことになると俺は俺じゃなくなってた。それは不思議な感覚で。決して心地いいものじゃないのだけど、嫌悪するものでもなく、ただ空気みたいに暖かくて、そこに在るのが普通で、無いと苦しいような、そんな感じで。
 それはつまり、実莉のことが好きだったんだ。
 実莉には手が出せなくて、らしくもないプラトニックな関係を保ち続けてきたのは、俺が臆病だったからだ。本当に好きな子には、俺はとことんヘタレだったんだ。まぁその分他の女と激しくやってたから、どんなに我慢しようと理性を壊すことも無かったんだろう。一番強く反応する時はいつも実莉のことを思い出す時だったけど。
――ああ、会いてー。
 会って、抱きしめて、キスしたい。
 こんなことなら怖がらずに手でも握ればよかった。抱きしめればよかった。キスすりゃ良かった。そんなことをした日には間違いなく止められないけど。それでも、こんなふうに後悔するなんてことはなかったのに。
 俺は天井を仰いで顔を両手で覆った。どうしようもない感情は膨れるばかりだ。
「会いてーよ、実莉」
 なんだって俺はこんなところに居るんだ。ここには実莉は居ない。俺の体さえない。
 なんで。なんでだよ。
 そもそも俺は今、何なんだ!?

 目を閉じて思い浮かぶのは実莉の姿だった。
 実莉の小さな身体の感触は卒業式の日から忘れたことは無い。
 でも直に触れた肌の感触は知らない。どんなキレイな身体をしているんだろう。胸はたぶん小さい方だ。そういやいつか、着やせするからお腹周りはスゴイんだよと愚痴っていたっけ。まぁでも、あれくらいなら標準だろう。足も普通くらいだし。どんな肌触りなんだろう。きっと気持ち良いに違いは無いんだろうけど。
 実莉とのキスはどんな味がするんだろうか。絶対に甘い。そりゃあもう、脳天が突き抜けるくらい最高で、漏れる息なんか掛かったら、俺の理性なんて簡単になくなるだろうな。喘ぐ実莉の表情はどんな感じだろうか。
 いつも、カオリを抱く時も、マキを抱く時も、頭の隅には常に実莉がいる。俺は見たことも無い実莉の裸体を想像していた。決して手を出せない代わりに、俺の頭の中ではとても本人に言えないようなことをさせていたりもする。
 それもとうとう、会うことさえもできなくなったんだ。
 ああ、本当に。
「会いてー……」