04
祐はバイト中も学校にはちゃんと来ているようだけれど、あたしが見かけたのは実に2週間ぶりだった。バイト期間中は常にそうであるように、既に疲れたような顔をしていて、僅かに無精髭が生えている。それでもやはりイケメンは変わらず、大丈夫? と心配そうな素振りであわよくばお近づきになりたいと思う女子の群れが集まってきていた。
その様子を教室からぼんやりと傍観していたあたしは、いつの間にか目の前に来ていたそのイケメンに気づかなかった。
「エミ」
呼ばれて顔を上げれば、今まで眺めていたはずの疲労感を隠せていない顔が間近にあり、驚いた。何と言って散らしたのか、あたし達の周りに先ほどまでいた女の子達はとっくになりを潜めていた。
「侑と会った?」
いつ、どこで、と聞かないのは祐らしいと思う。思わず笑ってしまった。
「会ったけど一緒に飲んだだけだよぉ」
「それだけ?」
祐はあたしのことをよく知っている分、疑わしそうに僅かに目を細める。確かにいつもならその後もあったと言うところだけれど。あたしがそんな嘘を吐く筈もないと分かっているのも祐なので、特にそれ以上は聞かれない。
「じゃあ今夜付き合って」
「バイトはぁ?」
「終わったら連絡する」
用件だけを言い終えると祐は後ろの方の席へ移った。見計らって散らばっていた女の子達が何人かすかさず祐に話しかけていた。
それを横目で眺めていたあたしは誰にも気づかれないように溜息を吐く。バイトの間は祐の機嫌が割と悪い。たぶん侑くんと会えないからだと思うんだけれど、それなら何も秘密にすることもないんじゃないかとも思うのだ。缶詰状態だから場所を教えていたってそんなに会えるわけでもないだろうが、気持ち的には随分と違うだろう。まあ祐のことだから、何か思うところがあるんだろうけれども。
それにしたって侑くんが不憫でならない。あたしは断然侑くんの味方だ。祐に侑くんは勿体無い。
「ねぇ、エミ! エミってば!」
ゆさゆさと腕を揺すられて我に返れば、いつの間に来ていたのか、奈々が期待に満ち溢れた目で隣に座っていた。
……嫌な予感しかしない。
「さっき祐くんと話してたの、聞いてたわよ。もちろんアタシも誘ってくれるわよね」
「えー」
嫌そうな顔はしてみたものの、奈々にそんなものでは何の効果も与えられず、渋々祐にお伺いを立てることになってしまった。最悪だ。
祐の機嫌の悪さは確かではあるものの、恐れていたことは何も起こらず、あたしの不安は杞憂に終わった。このまま何事もなければいいのだけれど、とどこの誰かに祈るような気分で、噴水前のベンチに腰掛ける。
「まったく、エミが勿体つけるからどうなることかと思ったけど。やっぱりイイオトコね、祐くんは」
同じようにベンチに腰を下ろし、足を組みながら溜め息混じりに奈々が言った。結局祐にお伺いを立てた結果、奈々の同席は認められたのだった。しかも特に嫌がるふうでもなく、来るなら来ればいい、という“いつも”のスタンスで。少しは睨まれるかもしれない、と危惧していたあたしはどことなく拍子抜けし、それならばと奈々に伝えたのだった。言わずもがな、その返答に奈々は大満足である。
祐が指定した公園はオフィス街の近くにあるものとしては割と大きく、外周はジョギングコースにもなっているし、公園の端には遊具がある広場があり、小さな噴水は中央にある。
噴水を囲うようにして並べられたベンチには、おそらく昼時には弁当を突く会社員の姿が多く見かけられるだろうし、夕方には小さな子供を連れた親子が多くなる。日も暮れかかる今の時間帯は人もあまりいなくて、会社帰りのカップルがたまに通るくらいだ。祐のバイト先がこの近くにあるということで、あたしと奈々はここで待つように言われたのだった。
「そこまでして祐とヤりたいのぉ? 彼氏いるのにぃ」
普段から納得できないでいることを聞いてみると、奈々は平然とした顔で「当たり前でしょ」と言い切った。いっそ清清しくもある。が、本当に? と重ねて言いたくもある。浮気じゃないの、それ。彼氏に対して不誠実だ。
「イイオトコとシたいって思うことは女の本能なの。だからエミだって色んな男と寝てるんでしょ?」
その言い方に少しだけムッとする。まるであたしが男となら誰でも良いみたいだ。あたしだってそれなりに選んでいるし、簡単に体を許しているわけじゃない。ただ少しだけ、許せる相手の基準が他の人よりも緩いから、結果的にカンケイを持った相手が多いだけだ。
「でもぉ、エミは彼氏いる時は他の人とヤらないもん」
むぅ、と頬を膨らませつつ反論するも、奈々は気にした様子も見せず、足を組み替えた。
「長続きしないもんね、エミは」
「どーゆー意味ぃ?」
「エミはね、ヤらないかもしれないけど他の男とも平気で腕組んだり、ボディタッチ多すぎなの。それで、別れたらすぐ他の男とヤっちゃうでしょ。そういう面では基本的に信頼されてないのよ」
そこまで言われてしまえばぐうの音も出ない。奈々は嘘は吐かないが、その分吐く毒が結構キツイ。陰口を言わないのは良いけれど、本人の前で堂々と言ってしまうのもどうだろうか。なまじ本当のことなので言い返すことも出来ないし、淀みなく言われると説得力も増す。だから奈々は敵も作りやすく、ユッコが陰で愚痴っているのを何度か聞いたこともある。たぶん、それは奈々も知っている。
「それに祐くんとは、1回スればいいだけなの。たまたま今のタイミングで、アタシに彼氏がいるってだけ」
確かに奈々は今の彼氏が出来る前から何度も言い続けていた。けど、タイミングって結構大事だと思う。奈々に彼氏がいる時点で、そのタイミングを狙うのは違うんじゃないかな。また反論されるのも面倒なので言わないけれど、やっぱり納得できなかった。
奈々がバッグから携帯を取り出した。あたしもすることがなくて携帯を開ける。よく行くブランドショップのメルマガが届いていたので簡単にチェックし、それでも時間があったので新着メールがないか問い合わせてみた。
そんなことで時間を潰していると不意に目の前に影が差し込んできた。祐が来たのだろうかと顔を上げれば、知らない男が二人いた。
「ちょっと今時間いい?」
オフィス街の中にいる二人としては違和感のあるカジュアルすぎる出で立ちで、直感的にこれはナンパだと分かった。聡い奈々は既にそれは気づいていたようで、持ち前の気の強さを全面に出し、良くないと断っている。
「この近くに美味い店があるんだよね。でも男二人とか寂しいじゃん。奢るからさ、一緒に行ってくれない?」
「悪いけど、アタシ達これから約束あるの。他当たってくれる?」
「でもさっきから見てたけど、随分待たされてるよね。約束の相手が来るまででもいいからさ」
奈々もだけど、ナンパ男達もなかなか引かない。ある意味ここまで強引に誘えるからナンパも成立するんだろうけれど、奈々の態度で脈無しって分かってくれればいいのに、とも思う。そんなふうに傍観していたあたしに、奈々は視線を寄越した。
「エミ、祐くんから連絡ないの」
「えーとぉ、もうすぐ来るってメールが来てたよぉ」
あたしが先程確認した新着メールの内容を端的に答えれば、奈々は「そういうわけだから」とナンパ男達に向き直る。
「アタシ達もう行くから」
行こう、と奈々はあたしの腕を引っ張って立ち上がり、あたしも腕を引っ張り上げられて立った。後ろから声が追いかけてくるが、奈々は振り返りもせずに公園を出て行く。行く当てなんか無い筈なのに、奈々の足に迷いはない。というか、祐がもうすぐ来るというのに公園を出てどうするのだろうか。完全に公園を抜けると同時に奈々はあたしの腕を離した。
「どうするのぉ?」
堪らず聞いてみると、困った顔の奈々が振り返る。どうやら奈々もあまり深くまで考えていなかったみたいだ。
「とりあえずここで待ってようか。祐くんに連絡してみて」
分かったぁ、と返事をしながら閉じていた携帯を再び開ける。
「あれ、エミちゃん?」
履歴から祐の番号を見つけるより前に、あたしの名前がどこかから呼ばれた。聞こえた方に顔を上げれば、近づいてくる男の人がいた。黒のジャケットに古びたビンテージのジーンズ姿は彼によく似合っていて、カジュアルな服装に革の小物が彼なりのセンスを見出している。
「椎名さん……?」
そういえば椎名さんも祐のバイト先と同業者だった。ということはオフィスも近いんだろうか。祐はだいたい現場担当だと言っていたけれど、何を持って現場と言うのかあたしには分からないので、そういうことにしておく。
「こんな所で会うなんて思わなかったな。驚いたよ」
「エミもですぅ。会社この近くなんですかぁ?」
「そう。本当は現場から直帰の予定だったんだけど、忘れ物があってね。でもおかげでエミちゃんと会えたから、たまには忘れ物もしてみるもんだね」
相変わらず椎名さんは口が上手い。女の子が言われてドキッとするようなことを平然と言ってくれる。しかも外見が伴っているからさっきのナンパ男達みたく軽い口調なのに気に触らないのだ。この違いはなんだろう。
「ところで隣の子はお友達かな」
椎名さんが奈々へ視線を向けてあたしに尋ねる。奈々も椎名さんが気になるようで、あたしに催促の視線を向けてきた。
「大学の友達ですぅ。奈々、こちらは椎名さん。えーとぉ、椎名さんはプログラマーさん」
奈々に椎名さんとの関係を言おうとして言葉に詰まり、結局は言えなかった。なぜだか奈々にはまだ秘密の隠れ家的なあのバーのことは話したくなくて、知り合いで済ますにはまだ椎名さんとの距離感があたし自身にも計れないでいた。
それでも奈々は特に何も言わず、自分の名前を言って会釈をした。椎名さんも合わせて「よろしく」と応えていた。
「それで、二人はこれから予定があるのかな」
「あ、実は友達と食事の約束があって、ここら辺で待ち合わせなんですけど」
椎名さんの疑問にすかさず答えたのは奈々だった。
「ほら、エミ。早く祐に連絡入れてよ」
と小声で小突かれ、あたしはいそいそと履歴から呼び出した番号に掛ける。その間奈々と椎名さんはなんだか和やかな雰囲気を作っている。あたしだって椎名さんともっと話したいのに、と思いつつも祐に連絡を入れなきゃいけないのも分かるので、ここは少し我慢する。
数コールで祐は出てくれた。既にこちらへ向かっているというので、公園の入り口にいると伝えた。祐は「分かった」と頷くと、あと5分もかからないと告げた。
「奈々ぁ、祐、5分もしないってぇ」
喋り口を押さえて奈々に伝えれば、奈々は驚くべきことに、椎名さんも同行させると言い出した。
「せっかくだし、椎名さんが良ければ、ですけど」
窺うようにして奈々は椎名さんの方へ向くけれど、その上目遣いは完全に狙いを定めていた。軽く小首を傾げたその目線の角度は奈々の十八番だ。普段気の強い奈々の、少し弱気な一面に見えるらしく、大概の男はそのギャップに落ちるのだ、というのが奈々の弁だ。
「オジサンが一人紛れて大丈夫かな。若い子同士の方がいいんじゃない」
「椎名さんなんて全然若いですよ! むしろ来てください、ね?」
何を思って奈々が椎名さんを誘っているのか分からないけれど、とにかくこの状況を祐に伝えてみる。
「俺はどっちでも良いよ。それよりもう見えてるんだけど」
え、と驚いて、辺りを見渡せば、横断歩道の向こう側に携帯を耳に当てている祐を見つけた。目が合ったのか、祐は軽く手を上げるとそのまま携帯を切って信号が変わるのと同時に歩き出した。
「奈々ぁ、祐だよぉ」
くいっと奈々の袖を引っ張って祐の方へ指を差す。奈々もそれを確認すると、最終手段に出た。つまり、椎名さんの腕を強引に引いて祐の方へと歩き出したのだ。人数的には男女2対2でバランス良いのかもしれないけれど。何となく腑に落ちなくて、祐が目の前にやってくるまで椎名さんの腕に触れる奈々の手から目が離せなかった。
「祐くん、ごめんね。急にアタシ達も一緒になることになって」
全く悪びれたふうもなく、奈々が祐に声を掛ける。しかも“アタシ達”の中には勝手に巻き込まれた椎名さんも含まれているのだろう。けれど祐は祐で気にするでもなく、別に、と答えただけだった。祐はどこまでも祐だ。
祐が案内してくれたのはオフィス街の中にあるイタリアンレストランで、ディナーの時間帯はそれなりに混んでいる評判の店らしかった。
席に案内されると、まずは奈々に連れられてお手洗いに入る。合コンじゃないんだから、と思うが、やっぱり口にはしない。
「ねえ、エミ。椎名さんとはもうヤッタの?」
化粧直しをするでもなく、単刀直入にそんなことを聞いてくるのは奈々くらいだ。
「エミそんなに簡単に誰とでも寝ないよぉ」
「ということは、まだなのね。ていうか、椎名さんはエミのことどこまで知ってるの?」
これは祐と会話をする際の注意事項の確認なんだろうか? 奈々がそこまで慎重な性格だったかと思いつつ、まだ知り合って間もないことを正直に話した。奈々はそれだけで満足したのか、軽く頷いただけでそのまま席へ戻ってしまった。あたしも慌てて追いかける。
あたし達が席を外している束の間に、男性二人はそれなりに馴染んだのか、会話が弾んでいた。ほとんどが仕事の内容だったから、同業に関わる者同士、合う話も多いのだろう。
「エミ、侑と飲みに行ったって言ってたよな。それって椎名さんも一緒だったって?」
席に着くなり祐がそんなことを聞いてきたので、少し驚いてしまった。もうそれを話してしまっていたのか。
「そうだよぉ」
元々話すつもりだったので素直に頷く。
「その後どうしたんだ? 二人で帰ったんだよな」
注文した料理が並べられていく中、祐は核心に迫ることを聞いてくる。隣は隣で奈々と椎名さんが楽しげに話しているし、別にいいのだけれど、この中で話す内容でもない気がするのはあたしだけだろうか。それとも何もないと分かっているから、祐は普通に聞いてくるんだろうか。
「駅まで送ってもらってぇ、それでバイバイ。何もなかったよぉ」
敢えて口にすることで祐が信じられるのならば、それでも構わない。隠したって椎名さんにもきっとあたしがどんな人間かはバレるだろうし、それは良いのだけれど。どうしてだろう、侑くんのことはあまり知られたくないな、と思った。椎名さんと侑くんは既に会ってさえいるのに、あたしと侑くんとのカンケイを知られたくないと思ってしまった。