act4.2
電話に出ると不機嫌な声の遼佑くんに、出るのが遅い、と怒られた。だからあたしもついムキになる。
「あたしは何も動かしてないわよ! 雑誌は全部テレビの後ろでしょ」
『なんで後ろなんだよ、埃被るだろ。俺は横に置いてたんだ』
「あれのどこが横なのよ。ほとんど見えてなかったじゃない!」
『見えるだろう。勝手にテーブルをテレビの方へ寄せるからじゃないか』
「人に掃除を頼んどいて何、その言い方。寄せてるって気づいたなら戻せばいいのに」
『今気づいたんだ。……もういい、ある場所分かったから。悪かったな、忙しいところ、わざわざ』
嫌みったらしくするなら言わなくていいのに。余計にむかつかせるだけって、分かっているのだ、きっと。そのことが更に腹立たしい。
「別に。とにかくそれだけなら切るから」
『ああ、それと、少し話したいことがある』
「話したいこと?」
何だろう。改まって話すことなんかあるのだろうか。
あ――。
ふと、新田さんのことを思い出した。遼佑くんの元彼女で、彼の同僚の人。あたしは遼佑くんがまだ未練あることなんて既に気づいている。そういうところはすごく、失礼なほど分かりやすいのだ。
『今夜は泊まれよ。な?』
そしてこんなふうに切なそうな声を出すのも、きっと無自覚なんだろう。だからあたしは……。
言いたいことを吐き出すように溜め息をついて、携帯電話を持つ手に力を込めた。声が震えないように喉にも力を込める。
「分かった。遅くなるけど」
『迎えに行く』
「いいよ、朋子もいるし。終電には間に合うようにするから」
するとまたムッとしたような彼の声が聞こえてきた。
『なんでそんなに遅くなるんだ。今から行く。どこ?』
はあ?
思わず携帯電話を凝視してしまった。今から来るって、マジですか。
「やめてよ。子どもじゃあるまいし、ちゃんと帰れるんだから」
『だめだ。もう家出たし』
早っ。なんという早業を持ってるの、この人は。
『神田も一緒に送るから。どこの駅?』
げ。朋子も車に乗せる気? ていうか、会わせること自体まずいのではないか? だってそんなことにでもなれば、まずなぜ遼佑くんが来るのかから説明しなければならない。そんな面倒なことはしたくない。そうだ、それ以前にどうして遼佑くんなのかっていうところから話すべきなのではなかろうか。うう、さらにややこしい……。
「分かった。今から帰るから部屋で待ってて」
『もう駐車場に着く』
どれだけ早足なんだ! ものの数秒じゃないのか、あたしが考えてたのって。
「じゃ、じゃああたしのアパートの近くの駅で、そこで待ってて」
『本当だな?』
「ほんとほんと」
遼佑くんは何とか納得してくれたようで、ようやく電話を切ることができた。ほう、と深く息を吐く。そしてまた力を入れなおし、店の中へ戻った。
とにかく朋子と純もそろそろ帰らせなければ。
ところが実際戻ってみれば、既に純の友達二人は酒豪である朋子の前に崩れ落ちており、同じく酒の強い純とマンツーマン状態になっていた。大丈夫だろうか、この二人。
「おお、遅かったなぁ、遙。彼氏と愛を囁きあってたか?」
あたしに気づいた純があろうことかそんなことを言っては、隣に座る朋子にすごい形相で睨まれる。
「なにぃ! ハルだけは大丈夫だと思ってたのにぃ、いつの間にそんな男がいたの」
何に対しての“大丈夫”なんだ。怒りや焦りよりも呆れの方が強かった。
「飲みすぎだよ、朋子。いい加減にしないと」
ほら、と水の入ったコップを差し出して見せるが、ぷいっと頬を膨らませた朋子は顔をそっぽに向けた。子供か、あんた。
「それが聞いてくださいよ神田さん。遙の奴、ちっとも紹介してくれないんですよ」
当たり前だ、バカ純。だいたい遼佑くんとは紹介するような関係じゃないんだから。
「そうなのぉ? ひどいわぁ、ハル。ちょっと誰なのよ。教えるくらいしなさいよぉ!」
「いや。っていうかあたし、そろそろ帰るから」
「だめぇ! 教えてもらうまで帰さない!」
そう言って朋子はあたしの鞄をそのまま自分の腕に抱え込んでしまった。その素早さと言ったら、言葉も出ないくらいだ。
「ちょっと!」
鞄の中にはさっき携帯電話もしまったばかりなのに!
「返してよ、朋子!」
「白状してくれたら返すぅ」
もうっ、この酔っ払いめが。
「ではまず最初の質問でーす」
拳を握ってマイクのように口元に手を当てて純が言った。朋子も一緒になって「イェーイ!」と盛り上がる。
勝手に盛り上がるな!
「その人とはどこで知り合ったんですかぁ?」
そしてそれをこっちへ向けるなっ。
「ノーコメントです」
あたしが答えると「ツマンナーイ」と不満そうな顔をモロに出す。そんな顔をされたって答えたくないものは答えたくないのだ。
だってなんだか、身内と付き合ってるみたいで恥ずかしいじゃない。それにいまひとつ、あたしと遼佑くんの関係は曖昧で、人に言えるようなものでもないと思うし。
「年は?」
「ノーコメント」
「出身は?」
「ノーコメント」
「職業は?」
「ノーコメント」
質問するたびにあたしが即座に答えるから、さすがに純も難しい顔をした。
「遙……」
「何よ。何聞かれたってノーコメントだからね」
「――いくら相手が妻子持ちだからって、俺らに隠すことはないぞ?」
…………はい?
「ええ、そうなの、ハル!?」
いやいや朋子、本気にしないでよ。ていうか何を言い出すのか。
「だってそうだろう? 年も職業も馴れ初めもノーコメントだなんて、よっぽど秘密にしなけりゃならない相手ってことで。総合的に判断するにずばり、相手は仕事先の上司で妻子持ち。おまけに相手は既に離婚話まで持ち上がって……」
「ドラマの見すぎじゃないの、純」
どれだけ想像力豊かなんだ。
あたしはもう一度鞄を朋子から取り上げようとして、見事失敗した。しつこいなぁ、朋子も。ほとほと困る。
「じゃあどうして何も言えないんだよ?」
「言えないんじゃなくて言いたくないだけ」
「同じよ。ハルが白状するまで返さないって言ったでしょ」
「朋子ぉ……」
勘弁してよ……。
そこへまたあたしのケイタイの着信音が鳴る。ドキッと一瞬鼓動が速くなる。
ヤバイ、と思ったときには既に遅く、朋子があたしの鞄からケイタイを取り出してディスプレイを見た。あたしも一緒になって覗いて見れば案の定、掛けてきたのは遼佑くんだ。ああ、なんてことだろう。
「見吉遼佑――って、あの?」
驚愕した表情で朋子があたしを振り返る。
「なに、そのミヨシって人、神田さんも知ってるんですか」
もうだめだ。
あたしは仕方なく、だいぶ気を落として、力なく頷いた。
「あの見吉くんです」
なぜ敬語なのか、自分。
「う、え、ええぇ!?」
朋子が驚いてる隙にあたしは携帯電話を取り上げ、知られてしまっては隠す必要もないのでその場で電話に出た。少し周りの声が煩いけれど、聞こえないことはない。
「……もしもし」
『あ、遙? 迎えに行くの少し遅くなる』
「……どうして?」
『今新田から連絡あってさ。書類のミスがあったみたいで』
「うん」
『でもすぐに処理できるミスだから、30分くらい待ってて欲しいんだけど』
「わかった」
それから二言三言話して電話を切る。朋子から鞄も取り返し、改めて席に座りなおしてみれば、ぽかんとした純と朋子があたしの方を見つめていた。
「な、なによ」
うう、なんだかよく分からないが恥ずかしい。無性に恥ずかしいんですけど。
少し身構えてみれば、気を取り直すように純と朋子はお互いに顔を見合わせ、再びあたしを見る。だからなんだっていうの。
「いや、うん。なんか本当に付き合ってるんだなって。ハルと見吉くん」
朋子が言えば、それに合わせるように純もウンウンと頷いた。
「俺もなんか実感した。彼氏と話したときはあんまよく分かんなかったけど、さっきの会話、恋人っぽかった」
なんだ、それは。
「意味分かんない」
恋人らしいって、どういうことなのか。
分からない。
あたしにはよく分からない。
あたしと遼佑くんて、本当にそんな関係なのだろうか。
「とりあえず、あたし帰るからね」
財布から適当にお金を出して立ち上がれば、電話の相手が誰か分かっただけで満足らしい二人は、さっきまでとは180°態度を変えて笑顔であたしを見送ってくれた。
「彼氏からの迎えじゃしょうがないよな」
「見吉くんによろしくぅ!」
ふう、と何度目かの溜め息が漏れる。
「二人もそろそろ切り上げた方がいいよ。特に純は、友達どうにかしなさいよね」
「分かってるって」
本当かな。まあどうでもいいか。
朋子と純に見送られながら外に出れば、冷たい風が吹いた。もうそんな時期なんだよな、とどこか感慨深くなってしまう。
本当に大丈夫だろうか、あの二人は。
大丈夫か、あの二人は。朋子と純――、似たもの同士、あたしと遼佑くんよりはずっとお似合いなのかもしれない。